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エピソード

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化政文化W(儒学と教育、藩校、懐徳堂・松下村塾、寺子屋、心学)
 藩制の改革で見たように、有用な人材を登用するには、門閥(家柄・身分)にとらわれずに、実力のある者を抜擢する必要があります。実力を見抜くには、見抜く指導者と、同じ土俵で、同じ問題で、競わせる場所が必要です。その場所は学校で、競わせる内容は教育で、見抜く指導者は先生ということになります。
 松平定信は、就職に役に立たないというので敬遠されていた朱子学を正学とし、それ以外を異学として、禁止しました。これを寛政異学の禁といいます。松平定信が優秀なのは、禁止するだけでは、有効でないことを知っていたからです。朱子学を学ぶメリットを実証する必要がありました。そのために、幕府直轄の昌平坂学問所を設立し、ここを優秀な成績で卒業したものを、門閥に関係なく、高級官僚として就職させる制度を確立しました。
 その結果、優秀だが、日陰の生活を強いられ、刺青を入れるほど荒れていた遠山左衛門尉景元は、トップの成績で学問所を卒業して、町奉行になれました。これが遠山の金さんです。
 もう1人は、大田南畝です。しかし、彼は窮屈な役人生活が性に合わなかったのか、脱サラします。蜀山人として、狂歌の世界で名を成します。
 財政再建が宿命である諸藩も、人材登用の為に、競って学校(藩校)を設立しました。享保以前は10校だったのが、化政期には260校にのぼります。
 水戸の弘道館、会津の日新館、米沢の興譲館、仙台の養賢堂、秋田の明倫館、庄内の致道館、岡山の花畠教場、萩の明倫館、福岡の修猷館、熊本の時習館、鹿児島の造士館などです。
 授業内容は、儒学や武術など、武士としての心構えが中心です。
 商品経済の発展を背景に、庶民にも塾(中・高等教育機関)を開設する必要が出てきました。私塾は全国に1500校ありました。
 大塩平八郎の洗心洞が有名ですが、大坂の町人が出資した懐徳堂が人気を集めました。先生は、三宅石庵に学んだ中井甃庵で、中井竹山の時が最盛でした。門人には、『出定後語』を著した富永仲基や『夢の代』を著した升屋の番頭である山片蟠桃がいました。蟠桃は、『夢の代』の中で、応神以前の日本書紀の記載を神話として否定し、合理論の立場から無神論(無鬼論)を主張しています。
 その他では、江戸のH園塾(荻生徂徠)、近江の藤樹書院(中江藤樹)、京都の古義堂(伊藤仁斎)、大坂の適塾(緒方洪庵)、萩の松下村塾(吉田松陰の叔父)、豊後日田の咸宜園(広瀬淡窓)、長崎の鳴滝塾(シーボルト)などがあります。
 庶民の初等教育機関として、寺子屋がありました。幕末、全国には1万5000にのぼりました。
 授業内容は、読み・書き・そろばんなど実学が中心で、教科書には『商売往来』・『実語教』・『童子教』・『庭訓往来』・『四書』・『五経』など実学と教養が中心でした。
 石川松太郎著『藩校と寺子屋』には次のような記述がありました。入学すると、束脩(入学金)を払い、年5回の謝儀(授業料)を払う。江戸では金1朱(今の2万円)を5回払うと、年間授業料は今のお金にして10万円になる。農村では、5万円ほどだそうだ。今の義務教育は原則時には無料だが、塾や家庭教師代に年間7万円を使っている(文科省)。今と変わらぬほど教育にはお金を使っていたことに驚かされます。
 ただ、家が貧しい子供には、先生が学費を返したり、文具を与えたりしたそうだ。現金がないと、卵10個でまけてくれたこともあったそうです。
 西洋に比べて、日本の近代化は、約300年遅れて始まりました。しかし、その後の日本の発展は、こうした庶民教育が充実していたことが、背景にあったと思います。
 石田梅岩を祖とする心学も流行しました。心学とは人間(自分)のぶ実践道徳哲学です。
 石田梅岩は、「自分さえよければ、他人はどうなってもいい」(利己主義)という風潮に疑問を感じ、それぞれの心のあり方が大切であることに気がつきました(「真理は今、ここに、自分が手にしている」)。そして「他人がよくなれば自分もよくなる」(利他主義)を主張しました。
 「心学の儀は、神儒仏其三道の聖人よりの教によって、予が先祖是を相伝して弘め給ふ。…よって日々に御道をまもり、御用ひ、御出精被成候はば、本心を知ること神の如し」とあります。また「朝早くおきて…神さま仏様主親に御礼被成、其厚恩忘れずして、いつはり(偽り)いはず(言わず)、たる(足る)ことをしつて(知って)、他人にしんじつ(真実)をつくし…」とあります。
勉強と処世術
 昔、遠山の金さんのTV番組を見たことがあります。桜吹雪のおあ兄さんが、ピンチの時に出てきて、悪役を懲らしめます。町奉行のお白州で、裁きが始まります。悪役は、「その証拠があるか」と反撃します。時間も残すところ15分位になると、町奉行が片肌抜いてタンカをきります。このシーンにしびれる人が多いようです。
 金さんは、青白いインテリでなく、若い時、実社会の裏の部分を見てきました。「毒を制するには毒を以ってする」を実践しているのです。つまり、非番の月に、若いときの悪友(庶民の目線)に情報をもらっているのです。
 私は一時、高砂に勤めていたことがあります。この時、地元の先生に山片蟠桃の墓に連れて行ってもらいました。本名は、長谷川有躬といいます。なぜ、蟠桃なのかというと、大坂の豪商升屋本家の主人が、番頭の有躬を懐徳堂に通わせました。そこで、ペンネームとして、番頭を蟠桃にして、懐徳堂の中井竹山に学び、天文学を麻田剛立に習ったのです。
 山片蟠桃が通った懐徳堂の特色は、入学と退学は自由で、行きたいものだけが行くというものです。教える自由もあれば、学ぶ自由もあるという雰囲気です。
 私の知っている人の話です。その人の子どもさんが中学生の時、いつも夜遅くまで机にばかり向かっているので、「ええ加減に寝なさい」と注意すると、その子は「お父ちゃんが勉強させてくれへん」と泣いて先生に訴えたそうです。その子は、その後東大生になりました。本当に勉強の好きな子は、どんなことをしても勉強するものです。
 勉強すれば東大生、塾に行けば東大生、世の中は、そんなものではありません。ほっておいても、行くものは行くのです。無理をして行った者ほど、周囲をバカにするのです。無理をして行くこと事態、バカなことなんですが…。
 日本を発展させた教育の理念は、実学(利潤追求)と教養(マナー)です。
 今は、実学中心で、相手が傷つこうが、悲しかろうが、儲かればいいのです。
 その結果、手痛い反撃を受けています。次代を担う子供や若者に夢のない時代は、不幸です。私たち大人が、夢を与えていないのです。
 ビートたけしのTV番組で、ベナン共和国のゾマホンが主張していました。「日本の発展は、教育にある。自分の国には、学ぶ場所がない。だからいつまでたっても、発展しない」。彼は、色々な活動をして、自分の故郷に学校を作っていました。私も彼の本を買いました。それが学校建設の基金と聞いたので…。
 勉強する場所のない国があります。他方、毎日のような塾通いで、心身共に奴隷状態で、本当に疲れきっている子供がいる国があります。日本です。親は、親以上に、子供に期待してはいけない。子供は、自らの力で、親以上になるのです。今、子供たちは必死で逃げ道を求めています。逃げ道を断たれた子は、何処へ向かうのでしょうか。
 石田梅岩は子どもの頃、落ちていた栗を拾って帰り、父に「他人のものを黙って持って帰るとは…。すぐ返してきなさい!」と激怒されました。泣く泣く返しに行く子、それを見送る父の辛さを、石田梅岩は自分が父になったとき、分かったといいます。
 政治家は、目的のために手段を選びません(マキャベリズム)。このようなオメデタイ人は、上手く利用されてしまいます。本当は、このような『お目出たき人』が、尊敬される時代であって欲しいんですが…。
 「悪いやつほどよく眠る」時代でもあります。

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