NO.149
第7章 幕藩体制の動揺
凡例:
[1 ](項目)
、
「2 」(人名)
、
『3 』(書籍名・作品名)
4]
儒学と教育
1
背景
イ
18世紀後半−幕府、A
[1 ]
学による武士の教育を奨励
@
D
[2 ]
派(古学派や諸学折衷の立場)−E片山兼山・E井上金峨(田沼時代)
A
D
[3 ]
学派(実証主義の立場)
a
松崎慊堂(こうどう)、狩谷掖斎、安井息軒・塩谷宕陰(しおのやとういん)
b
寛政〜文化時代
B
寛政の改革−A
[4 ]
学を正学とし、官立のA
[5 ]
学問所を設立
ロ
18世紀以降−藩士・子弟の教育のためにA
[6 ]
学(藩校)設立
2
諸藩
イ
藩学(260校。享保以前10校)
@
目的−藩政の危機を救うに足る人材の育成
A
内容−朱子学を主とする儒学の講義や武術・習字を教授→洋学・国学を採用
B
各地の藩校
a
鹿児島のC
[7 ]
、熊本のD
[8 ]
、萩のC
[9 ]
b
水戸のC
[10 ]
、会津のC
[11 ]
、米沢のC
[12 ]
c
岡山のC
[13 ]
、仙台のE
[14 ]
、福岡のE
[15 ]
d
秋田のD
[16 ]
、庄内の
[17 ]
、紀伊のE学習館
e
高知のE教授館、金沢のE明倫堂、名古屋のE明倫堂
ロ
*B
[18 ]
学(400校)
@
藩学の延長として藩士子弟教育−仙台のE有備館
A
庶民教育
a
C
[19 ]
(岡山藩主の池田光政)、土橋友直の含翠堂(平野)
b
E教諭所
3
民間
イ
*C
[20 ]
塾(共同学習の場)
@
大塩平八郎−D
[21 ]
A
大坂町人出資の*A
[22 ]
堂(三宅石庵−学主)
a
E
「23 」
(石庵に師事)→D
「24 」
の時最盛
b
門人−A
「25 」
(E
『出定後語』
)、A
「26 」
(升屋番頭)
B
その他
a
豊後日田E
[27 ]
(E
「28 」
設立)
b
近江E藤樹書院(中江藤樹)、京都C
[29 ]
(伊藤仁斎)
c
江戸D
[30 ]
(荻生徂徠)、大坂B
[31 ]
(緒方洪庵)
d
長崎A
[32 ]
(シ−ボルト)、萩C
[33 ]
(吉田松蔭の叔父)
ロ
*A
[34 ]
屋(庶民の初等教育機関)
。享保江戸800余、幕末全国1万5000
@
経営−武士、村役人、僧侶、神官、富裕な町人
A
教科−読み・書き・そろばん
B
教科書−E
『商売往来』
、
『実語教』
、
『童子教』
、
『庭訓往来』
、
『四書』
、
『五経』
ハ
*B
[35 ]
学
@
B
「36 」
(E石門心学の祖)−E
『斉家論』
、E
『都鄙問答』
A
門人−心学舎建設
a
C
「37 」
(石田梅岩に師事)−E明倫舎建設
b
C
「38 」
(手島堵庵に師事)−江戸で黄金時代を現出
c
天保期の柴田鳩翁
d
E出雲屋和助(中沢道二に師事)−関東・中部に進出
B
特徴−現世への批判消極的→消滅
a
A
[39 ]
道徳に仏教や神道の教えを加味した生活倫理(倹約と正直)をやさしく説く
b
商業・商人を低くみる風潮に対し、商業の正当性と商人の存在意義を強調
c
倹約・堪忍・正直などの徳目を説く
正解数( )問/問題数(39)問=正解率( )%