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エピソード

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化政文化X(政治・社会思想、荻生徂徠・安藤昌益・山片蟠桃・佐久間象山)
 政治・社会思想の発達を取り上げてみました。
 思想の「思」を語源的に見ると、上部の田は、幼児の頭に泉門のある姿を現します。下分の「心」は心臓を現します。そこから、おもうという働きが頭脳と心臓を中心として行われることを示しています。
 思想の「相」は、「木+目」からなり、向こうにある木を対象として見ることを現します。下分の「心」は心臓を現します。そこから、想は「心+相」で、ある対象に向かって心で考えることを示しています。
 つまり、社会・人生(ある対象)についてのまとまった自分の考えや考え方をいいます。誰が、どう言おうと、動じない信念を持っている人がいます。動じない信念、それは思想といえるのかも知れません。
 幕藩体制が動揺し、社会が変化すると、それに対する新たな考え・考え方(思想)が生まれました。封建制度を認める立場に立つ儒学者の間で、その方向について意見が対立しました。
 17世紀後半〜18世紀初、封建制度を補強する思想として、儒教的経世論経世済民論)が出てきました。
 熊沢蕃山は、『大学或問』を刊行して、武士の帰農・参勤交代の緩和を主張しました。
 荻生徂徠は、徳川吉宗の諮問に答えて、『政談』を刊行し、都市膨張の弊害を指適し、武士土着論を展開しました。
 荻生徂徠に学んだ太宰春台は、『経済録』を刊行して、武士の藩営専売を力説しました。
 18世紀半、商品経済の発展によって、封建制度の崩壊が明確になると、封建社会を批判し、社会改革しようとする思想が生まれました。
 人間平等論です。
 洋画家でもある司馬江漢は、西欧の人権思想に触れ、人権尊重の根底にある人間平等の思想を紹介しています。
 八戸の医者である安藤昌益は、『自然真営道』を刊行して、農本主義の立場から商工業の存在を否定しています。万人耕食の自然世の立場から、身分制を否定しています。また、『統道真伝』を著して、儒仏を批判し、君主なき平等社会を主張しています。
 合理主義です。
 先に取り上げましたが、懐徳堂出身の富永仲基は、『出定後語』を刊行し、仏教は釈迦の説いたそのものではなく、後の思想発達史の中で成立したと論証しました。
 同じく懐徳堂出身の山片蟠桃は、『夢の代』を刊行し、儒仏国学を批判し、物価・貨幣制度を論じて、自由経済政策を主張しています。また、地動説・無神論を主張しています。
 富国論です。
 宮津藩の儒者である海保青陵は、『稽古談』を刊行し、売買の道は天理で、君臣関係も商売であるという立場から、封建制度の修正を主張しました。同時に専売による徹底した重商主義を主張しています。
 開国論です。
 越後の本多利明は、『西域物語』を刊行し、人口論の立場から、航海・貿易の必要を主張しています。また、本多利明は、『経世秘策』を刊行して、国内を開発し、そして、貿易や海外経略などを主張しています。
 出羽米沢の佐藤信淵は、『経済要録』を刊行し、産業振興・官営商業を発展させ、その上で貿易を展開するよう主張しています。
 信州松代の佐久間象山は、藩主真田幸貫が海防掛に任命されると、洋学の研究を依頼されました。そこで、佐久間象山は、幕府の韮山代官である江川太郎左衛門英龍の門に入り、砲術を学びました。ペリーが来航すると、浦賀に行って黒船を見ています。ペリーが再来した時、弟子の吉田松陰が密航しようとして失敗しました。この時、師の佐久間象山も伝馬町に入牢させられます。一橋慶喜に開国論・公武合体論を説いて、尊攘派に暗殺されました。
 佐久間象山の弟子には、吉田松蔭の他、勝海舟がいます。佐久間象山の後妻は、勝海舟の妹です。時代より、早く生まれた逸材といえます。
お金より大切な、思想と信念、動じない心
 私は、美容(?)と健康を兼て、犬の散歩に時間をかけます。平坦な道では、効果が余りないので、急な坂道もあるコースを1時間かけます。その間、色々な事に遭遇します。一番多いのが、散歩している犬との出会いです。
 私の犬は、めったに吠えたり、かかって行ったりしません。たまにちょっかいを出す犬にも出合います。逆に、「キャンキャン」と吠えかかってくる犬もいます。まったく、動じない犬にも出合います。
 犬の心理を推理してみました。わが家の犬は、一部の犬に動揺します。なんでもかんでも吠える犬は、わが家の犬が、近づくと、地面にへたばってしまいます。吠えは一種の虚勢であるのです。まったく動じない犬は、エネルギーを保存して、本当に必要な時に一気に吐き出します。大小が分かっているのです。
 大小が分かることは、お金では買えません。「泰然不動」の心境は、日々、安らかな生活が送れます。これも日常生活における、思想といえます。
 明治時代、「真善美」という言葉が流行しました。私は、今も、「何を真と信じ、何を善と思い、何を美と感ずるのか」という命題は、大切だと思っています。言葉を変えれば、何に価値を見いだすかという価値観の確立です。
 ブランド志向という言葉があります。米なら、兵庫県でもコシヒカリを生産しています。「新潟産のコシヒカリ」を美味しいと頂いたことがあります。自分には、あまり美味しいと思いませんでした。「コシヒカリは魚沼産やで」という人から、頂いたことがあります。自分には、あまり美味しいと思いませんでした。実家で獲れる新米の方がはるかに美味しいです。
 「あそこの料理屋が一番やな」ということで、高いお金を出して行くことがあります。自分には余り美味しいと思いませんでした。米や料理の味は、人によって違うのです。誰がどう言おうと、自分で「この味が好きなんだ」といえることが大切だと知りました。
 安藤昌益は1752(宝暦2)年頃、『統道真伝』を著して、君主や支配者を農民に寄生する輩と批判し、すべての人が農耕を基礎とした平等である「自然世」に帰る事を主張しました。これは刊行されなかったので、他に対する影響はなかったものの、鎖国時代の日本で、このような主張があったことは驚きです。
 安藤昌益は、秋田に生まれ、八戸の医師となり、長崎で海外事情に触れます。触れたから皆が平等論者になったわけではありません。長崎留学を利用して、出世した人の方が多いのですから…。
 安藤昌益の著作は、危険視されたのか、近代の大正時代になって、やっと、明るみに出ました。京都帝国大学文文学部長(文科大学長)だった狩野亨吉が、民間学者となって発掘したことがきっかけです。

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