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エピソード

152_01

滑稽本の十返舎一九『東海道中膝栗毛』(化政文学)
 私は、小学校ではマンガ、中学校ではダイジェスト版で『弥次・喜多道中』を読んでいました。高校に入り、図書館で『東海道中膝栗毛』(岩波版日本古典文学大系)を見つけ、原文で読んでみました。
 のっけから驚くやら、ビックリするやら、何でこれが古典の名作なのか。若い女の先生は、「滑稽本の代表作なので、味わって読みなさい」というが、本当の読んで言っているのか、目がくるくると回ったことを覚えています。
 滑稽本の面白さを知るには、この冒頭の場面を避けることができません。謹厳時直な方は、読み飛ばしてください。
 夫婦者の弥次郎兵衛の所を、駿河で言い交わしたという妹を連れて侍がやって来ます。仕方なく、弥次郎兵衛は妻に三行半(離縁状)を出します。15両欲しさに、古女房を追い出し、隠居が手を出した腰元を嫁にするための実居だったのです。
 その晩、宴会を終えました。深夜、喜多八が飛び込んで来て「頼んでいた15両、明日店おろしに必要なので、心配になってやって来た」と言います。弥次さんは「明日の昼には大丈夫だ」と話していると、半櫃の中に隠していた弥次さんの急ぎ妻のおつぼさんが「どふやら産そふになりました」と出てくる。実は、おつぼに手を出したのが喜多さんで、15両をつけてもらってくれる人を探していたら、弥次さんが引き受けたという話になりました。2人は、おつぼが「ウンウンうなってくるしがるをもかまわず」殴り合いのけんかをします。
 そうこうしているうちに、おつぼは「そこらをのた打まはりくるしみたがるが、ついに血をあげて目をまわしたをれる」。そして死んでしまいました。
 父親が来て、一目娘の死に顔が見たいという。手伝いの芋七は「さらばお開帳いたそうか」と棺桶の蓋を開ける。父親は「此仏にやア首がござらない。そして…コリヤハア男の死人と見え申て、胸髭がはへてござらア」と怒る。
 弥次さんも喜多さんも、「そんなはずはない」とあわてふためく。大家さんが「おやぢどの、きづかいさっしゃるな。首はあります。…仏さまを逆さまに入れたのでござる」。その後懇ろな弔いをします。
 喜多さんは、長年勤めた親方から追い出され、弥次さんの家に居候します。2人は相談して、「つまらぬ身のうへにあきはて…きさらぎのなかばより、いせさんぐうとおもひたち、東海道へと出かけける」。
 以上が、旅立ちの背景となっています。
 人が泣き、悲しむ死を、笑いの中に消化する。このモットーが滑稽本ではないでしょうか。
 旅での他愛もない話が続きます。
(1)水風呂の釜をぬきたる科ゆへにやど屋の亭主尻をよこした(酒匂川)
 風呂に入るが、スノコをせずに入ったので、とても熱い熱い。そこで、下駄を履いて入ることに気がつきました。「北八(喜多八のこと)はさすがにしりがあつく、たったりすわったりいろいろして、あまり下駄にてぐはたぐはたとふみちらし、つゐにかまのそこをふみぬき、べったりとしりもちをつきければ、湯はみなながれてシウシウシウシウシウ」。亭主は「イヤアおまいは、とほうもないお人だ。すいふろにはいるに、下駄をはいていはいるといふ事があるものでございますか」と文句を言う。北八は色々と言い訳する。「弥次郎きのどくにおもひければ、中へはいり、かまのなをしちん、なんりょう(南鐐)一ぺんつかはし、やうやうとわびことして」
(2)順礼のむすめとおもひしのびしはさてこそ高野六十の婆ヾ(蒲原)
  巡礼の娘らは二階に上がりました。「北八あたりを伺ひ見れば、皆旅疲れのかけ合鼾ゴウゴウスウスウムニャムニャ時分はよしと北八、そっとおき上がれども、あかりはなくまっくらやみ、そこらあたりを、さぐり廻して、よふよふとはしごにとりつき、二かいへあがり見れば、…やがて四ツばひになって、さぐりまはり、むすめとおもひ、ばヾアがねている、ふとんの中へはいりこみ、そろそろなでまはし、ゆすりおこせば、ばヾアめをさまし、だれだ、あによヲするトいうこへに、北八うろたへ、…下へどっさりおちる…」
(3)川ごしの肩車にてわれわれをふかいとろこへひきまはしたり(安倍川)
 川ごし「きんによう(昨日)の雨で水が高いから、ひとりまへ六十四文」、北八「そいつは高い」、川ごし「ハレ川をマアお見なさい」ト打つれて川ばたに出、弥二「なるほど、ごうせいな水せいだ。コレおとす(落す)めへよ」。…弥二「なるほど深いハ」…。かたぐるまよりおりてちんせんをやり。かわごしはすぐに川かみのあさいほうをわたってかへる。北「アレ弥次さん見ねへ。おいらをばふかい所をわたして、六十四文ヅヽふんだくりやがった」
化政文学の系譜
 高校時代、化政文学の系譜を覚えさせられました。初期は洒落本で、次が黄表紙です。その後、滑稽本、人情本、読本と続き最後が合巻でした。
 私は、この覚え方に、不満を感じていました。やはり山東京伝の『仕懸文庫』や『傾城買四十八手』を読んで、洒落本とは、「江戸の遊里を舞台に人間性の弱みを「おかしみ」として描く」小説なんだなーと実感できました。洒落とは、滑稽とか通という意味です。
 次に、黄表紙では、恋川春町の『金々先生栄華夢』や『鸚武返文武二道』などを読んで、世相を絵入りで、風刺したり滑稽化する成人小説なんだーなーと実感しました。洒落本の流れも感じました。
 本格的な本に対して、簡単な装丁で、絵を多用して、幅広い層の読者を対象としたものを、草双紙といいます。
 草双紙は表紙の色から、赤本(桃太郎などの昔話が中心)、黒本(敵討ちなどの忠義や武勇伝)、青本(少年や女性向け芝居小説)と分類されます。草双紙の中で、大人の読む本を黄表紙というようになりました。
 滑稽本は、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』や式亭三馬『浮世風呂』を読んで、なんでも茶化す、会話中心の滑稽小説なんだなーと感じました。
 人情本は、為永春水の『春色梅児誉美』や『春告鳥』を読んで、愛欲生活を退廃的に描いたアダルト小説なんだなーと感じました。
 読本は、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』や上田秋成の『雨月物語』を読んで、歴史や伝説を元に、勧善懲悪をテーマにして、ストーリー性のある、はらはらどきどきする小説なんだなーと思いました。
 合巻は、柳亭種彦の『偐紫田舎源氏』を読んで、絵入りで、長編で、草双紙の流れを感じました。
 合巻の合は、合わせるという意味、巻は草双紙のことです。つまり、草双紙を何冊か合わせたものを合巻と言い、草双紙より長編になります。
 「歴史は、小説より奇なり」といいます。歴史は、何も飾らなくても、面白いのです。それを、受験という仮面を被せて、面白くしていないのです。受験から、歴史を取り戻すのが、このエピソード日本史の役割でもあります。

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