print home

エピソード

198_01

日露戦争T(日英同盟、帝大七博士、幸徳秋水)
 
陸軍 総兵力 海軍 戦艦 巡洋艦  日露の戦力の差を見て、勝てる見込
みはありません。
相手は、ナポレオンを破ったロシア大
帝国です。
 しかし、戦争は始まりました。当時の
日本のリーダにはどんな勝算があった
のでしょうか。
日本 13個師団 1,088,996人 258,000t 6 6
ロシア 70個師団 2,080,000人 510,000t 12 10
露仏同盟 ロシア 朝鮮 日本 日英同盟  左は日露戦争前の世界
情勢です。イギリスとアメリ
カは、ロシアの満州・朝鮮
進出に警戒を持ち、日本
の短期決戦(5ラウンド)を
支持しました。
 ロシアは、15ラウンドを
戦う長期決戦を覚悟して
いました。
ロシアの東進(アジア)を支持
━━━━ ドイツ ロシアの満州占領に反対
三国同盟
イタリア アメリカ
 1901(明治34)年6月、@11桂太郎内閣が誕生しました。外相は小村寿太郎です。
 10月、日本は、朝鮮で、京仁線(京城〜仁川間)を完成しました。その後の閣議で、「鉄道の経営は我対韓政綱の骨髄なり」という方針を決議しました。
 1902(明治35)年1月、イギリスは、日英同盟協約に調印しました。
 4月8日、ロシアと清国は、満州撤兵に関する協定(18ヶ月以内に撤兵)に調印しました。これを満州還付協定といいます。しかし、ロシアは、第1期は履行しましたが、第2期は履行せず、かえって増兵の気配を見せました。
 1903(明治36)年4月18日、ロシアは、清国に満州撤兵条件として7項目の要求を提出しました。その内容は、次の通りです。
(1)満州を他国に譲ったり貸したりしない。
(2)蒙古の現状維持、ロシアの同意なしに、満州の港市を外国に開放しない。
(3)ロシア人が占領中に獲得した満州の利権は撤兵後も有効とする。
 4月20日、小村寿太郎外相は、駐清公使の内田康哉に対し、清国政府に「ロシアの7項目の要求を拒絶するように勧告しべし」と訓令しました。
 4月26日、小村寿太郎外相は、駐英公使の林薫公使・駐米公使の高平小五郎に、イギリス・アメリカ両国政府に協力要請を申し入れるよう訓令しました。
 4月27日、日・米・英を背景にした清国は、ロシアの要求を拒絶し、満州還付協定の履行を要請しました。
 5月、日英同盟を知ったロシア軍は、鴨緑江を越えて竜岩浦に至り、軍事根拠地の建設を開始しました。こうして、ロシア軍は、満州に居座りました。朝鮮の王室や政府へのロシアの影響力が強まり可能性が出てきました。
 6月10日、東京帝国大学法科大学教授の戸水寛人7博士は、「主戦論」を発表しました。
 6月23日、御前会議を開き、満韓問題に関しロシアとの交渉開始および協定案を決定しました。
(1)戦争をしてでも、ロシアに満州から撤兵させ、朝鮮における日本の地位を認めさせる。
(2)参謀次長の児玉源太郎は、「四部六部にして、六ぺん勝って四へん負けるとなれば、そのうちに調停者が出てくるだろう」と発言しました。
(3)海軍大臣の山本権兵衛は、「ロシアの海軍を全滅させるには、日本の軍艦も半分は沈められるだろう」と発言しました。
(4)時の経過と共に、極東のロシア軍隊は、増強されるので、今、開戦すると、一時の勝利を得ることは出来る。
 8月9日、頭山満神鞭知常佐々友房らは対露同志会を結成し、強硬な主戦論を主張しました。
 8月12日、ロシアとの交渉継続を図る桂太郎首相は、駐露公使の栗野慎一郎を通して、協定案をロシア外相に提出しました。その内容は、次の通りです。
(1)日本は韓国に、ロシアは満州の鉄道経営に、それぞれ特殊権益ををもち、これを保護するための出兵権を互いに認める。
(2)ロシアは、日本が朝鮮の鉄道を伸ばして、満州の鉄道につなぐのを妨げない。
(3)ロシアは朝鮮政府に対する援助と助言(軍事上の援助)の専権を日本が持つことを承認する。
 10月3日、ロシア駐日公使のローゼンは、小村寿太郎外相に、ロシア側の協定対案を提出しました。その内容・結果は、次の通りです。
(1)朝鮮領土を軍事上の目的で使用しない。
(2)朝鮮海峡の航行を妨害できるような要塞を設けない。
(3)北緯39度以北を中立地帯とする。
(4)満州とその沿岸を利益範囲外と認める。
(5)この協定案では、平壌・元山などは中立地帯ち入るので、日本の要求は達成されないことになります。
 10月12日、内村鑑三幸徳秋水堺利彦は、開戦論に転じた万朝報社を去りました。この時、幸徳秋水が「戦争は悪だ」と言ったのに対し、社主の黒岩涙香は「なぐられても黙っているのか」と激論になったといいます。
 11月15日、幸徳秋水・堺利彦らは、平民社を結成し、週刊『平民新聞』を創刊し、反戦論と社会主義を唱道しました。
 この項は、『近代日本史総合年表』などを参考にしました。
戦争は、総力戦
 ロシアのような大帝国と戦争するには、それ相応の戦力が必要です。戦力を維持するのがお金です。では、そのお金はどうしたのでしょうか。
戦費(日本) 戦費(ロシア)
15億23,21万4,209円 21億80,00万0,000円

 日清戦争の賠償金と遼東半島の還付金があります。総額は3億6460万円です。これでは不足です。
海軍拡張費 臨時軍事費 陸軍拡張費 八幡製鉄所創設費
1億6917万円 7896万円 5680万円 58万円
46.4% 21.7% 15.6% 0.2%
 その不足分を補うために、国債を発行しました。内国債6億円+外国債7億円=13億円になります。
 それでも不足しているので、3億円を国民の増税で賄いました。
 国債とは、国の債券、利子つきの借金証書のことです。つまり、歳入の不足を補うため、国家の信用を基として、国家が負う金銭上の債務のことです。内国債と外国債とがあります。
 2005年度の予算総額は、82兆1800億円です。その内、税収は44兆100億円で、残り38兆1700億円は国債です。国債は借金です。
 2005年3月末現在、国債残高626兆3633億円+政府短期証券96兆0762億円+政府借入金59兆1122億円+政府保証債務58兆1721億円=781兆5517億円が日本の借金です。借金をした場合、元金を減額しないと、利子だけで膨大な額になります。
 この元金返済と利子の返済は、次世代に申し送られます。当事者は痛みを感じない制度です。その分、子供や孫の痛みを感じるのです。明治時代に、すでにこのような制度があったことにびっくりします。
 『平民新聞』は「戦争は支配階級の私利私欲によるものであり、その他の万民にとっては利益と幸福がそこなわれるだけではないか。だからこの戦争にもし勝ったとしても、後に残るのは、子孫まで負わなければならない公債と過酷な増税…」と主張して、反戦を訴えています。

index