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エピソード

203_01

産業革命の進展U(農業、寄生地主)
 
人口比 農林業 鉱工業  1872年の統計を見て、日本の政府が、殖産興業・富国強兵を実行
する場合、何から手を打つでしょうか。まず、実行するのが農村対策で
しょう。一部の地主に資金を蓄積させ、工場主を養成します。小作人
の中から労働者を誕生させるという政策をとるでしょう。
1872年 81.4% 4.8%
1900年 66.6% 13.5%
小作人 地主 国家  左の表は、地租改正後のそれぞれの取り分です。
小作人の配分は同じですが、地主の取り分が極端に
増加していることに気がつきます。国家が地主を保護
しています。
 それは地主を資本家に育成しようとする国家方
です。
1873年 32% 34.0% 34.0%
1877年 32% 47.3% 20.7%
1881年 32% 56.4% 11.6%
 1880(明治13)年から始まった松方デフレ政策の影響はどうなったのでしょうか。
(1)松方デフレ政策と増税(農民の租税負担率は、明治14年の15.7%に対して、明治17年には34.1%に増大)
(2)農民の没落
 @明治16〜明治18年の3年間で、売却された耕地は、全耕地の14%になりました。
 A惜金の抵当として質入れされていた土地は、明治18年には、民有地の19.4%になりました。
 B小作地は、明治15年には35.6%でしたが、明治20年には40.1%に増加しました。
 C地租を5〜10円支払う中小農(8反〜1町6反の土地の所有者)は、明治14年には93万人でしたが、明治20年には68万5000人(30%)に滅少しています。これは中小自作農の没落を意味します。
 D地租を10円以上支払う大農(1町6反以上の土地の所有者)は、明治14年から明治20年にかけて8万人減少しています。
(3)寄生地主制(殖産興業の担い手)の誕生
 地租改止によって、土地私有権が保障された地主層は、高利貸しにより土地集積を行いました。この結果、小作料の収入のみで地主的経営を拡大していけるといわれる地価1万円以上(西日本では20〜30町歩、東日本では50〜80町歩以上)の大地主が、全国的に成立しました。彼らが、殖産興業の担い手に育っていくのです。
 経済の近代化政策で、農業・農村は大きな影響を受けました。
 狭い土地を有効に使うことを集約型農業と言います。大豆粕などの金肥を使い、品種を改良することで、単位面積当りの生産高を向上させるのです。
 生産性が向上しても、第二次産業・第三次産業の人口が増大したため、1897(明治30)年には、米の需要が供給を上回るようになりました。
最後に勝つのは、自給自足が出来ること
 私は農家で生まれ、育ちました。米も家族(父母と男子3人)が1年間食べて少し残る程度の自給をしていました。
 野菜もあちこちの畑(1反)で自給しました。野菜では、ナス、ウリ、ホウレンソウ、チシャ、シュンギク、ダイコン、カブ、ゴボウ、トウガラシ、ピーマン、インゲン豆、ソラ豆、エンドウ、枝豆、ナガササゲ、シイタケ、トマト、タマネギ、ネギ類、キャベツ、ハクサイ、ニンジン、キュウリ、カボチャ、サトイモ、コイモ、大豆、ジャガイモなどです。買った記憶はありませんが、旬の時は来る日も来る日も、同じ野菜料理でした。ただ、本物の野菜を食べているので、舌が味を覚えています。最近の野菜は形は野菜でも、味は本物でないのが残念です。
 果実では、イチゴ、メロン、スイカ、カキ(夏ゴレ、水ゴレ、百匁ガキ、冬ゴレ、ヨロイ、渋ガキ)、ユスラ、グミ、山モモ、スモモ、アケビ、イチジク、ビワ、ナツメ、クリなどです。近所から買って食べたのが、ナシとモモです。弟が病気の時、「食べたいものがあれば何でも買ったげる」と父から言われ、即座に「バナナ!」と言ったのを覚えています。私の夢は病気になって父からバナナを買ってもらうことでしたが、残念ながら病気にならず、買ってもらえなかったことを覚えています。スイカやメロンは大切なお八つです。指で叩いて、熟れ具合を判断しました。今でも、スイカやメロンの鑑定はプロにも負けないと自負しています。
 ニワトリを放し飼いしていました。卵や鶏肉はふんだんにありました。ヤギを飼っていたので、ヤギ乳を飲みました。本物のミルクを飲んでいるので、市販の牛乳は水っぽく感じていました。最近は、「特濃4.4ミルク」が販売され、やっと私が子どもの頃飲んだのと同じ甘みのあるミルクに出合いました。
 所が、最近、安くて飲みやすい「特濃4.4」と題したミルクが販売されました。妻が買ったのを飲むと、非常に違和感がありました。そこで、成分を調べてみると、次のことが分かりました。色の部分をよく比較してください。安くて飲みやすくて違和感のある理由がわかりました。「ブランドは自分の舌で見分ける」ということを知りました。
商品名 種類別名称 無脂乳固形成分 乳脂肪分 原材料名 内容量
特濃4.4ミルク 成分調整牛乳 9.7%以上 4.4% 牛乳100% 1000ml
特濃4.4 乳飲料 8.8%以上 4.4% 牛乳50%未満・脱脂粉乳など 1000ml
 高校生のころか、大学生のころ、「百姓には腹が立つ」という友人に出合いました。戦後まもなく、農家でない彼の家は、米や野菜がありません。母が大切にしていた着物を持って、農村へ出かけました。しかし、着物1枚と交換できた米は1合程だったといいます。このような体験は、彼だけでなく、色々な人から聞きました。
 農家で育った私の弁当には、当然、玉子焼きが入っています。それを、皆から「すっげー」と言われた記憶があります。その時、「最後に勝つのは、自給自足が出来ること」と思いました。
 最近の日本の自給率を調べてみました。 
 @は果実の輸入量です。国産と思いきやサクランボは前年度より倍の輸入です。
 Aは野菜の輸入量です。食卓に欠かせないタマネギの輸入量がダントツで、カボチャの輸入量の多さにもびっくりです。キュウリは前年度より倍の輸入です。
 Bは品目別の自給率で、主食の米ですら95%で、鶏卵の96%が上位にあります。パンの材料である小麦、醤油の材料の豆に至っては、1ケタ台です。穀物自給率は、主食のコメやその他の穀類(麦など)に注目した数字で、日本では家畜飼料の輸入が非常に多いため、1998年度で27%です。これは、世界178カ国・地域のうち130位です。
 Cは農産物の輸入量で、アメリカは自給自足の国です。日本は、途方もなく輸入しています。
 Dは供給熱量自給率です。食料の自給率をいう場合、供給熱量自給率をいいます。豚肉の60%は国産ですが、餌の自給率は10%です。それを計算式にすると、60%×10%=6%となります。つまり、豚肉の自給率は国産は60%ですが、供給熱量でみると6%にしかなりません。自給率の実態をよく示しています。アメリカの132%に対し、日本は41%(1960年79%)しかありません。
 Eは私たちが普段食べている物の原材料はどこの国から来たかを見たものです。醤油の材料である大豆のほとんどがアメリカ産です。ソバは中国産がほとんどです。日本は、外国と仲良くしなければ存在し得ないことが分かります。
@1999年の果実輸入量(単位:トン、%) A1999年の生鮮野菜輸入量(単位:トン、%)
品目 輸入量 前年比 品目 輸入量 前年比
バナナ 983,204 113 トマト 8,699 211
パイナップル 89,865 106 タマネギ 223,434 109
オレンジ 89,702 59 ニンニク 26,260 98
レモン 84,578 98 ネギ類 29,537 166
グレープフルーツ 262,415 114 ブロッコリー 91,238 121
メロン 38,743 132 キャベツ、ハクサイ 42,119 98
サクランボ 15,890 219 結球レタス 2,003 56
キウイフルーツ 41,248 97 ニンジン、カブ 50,489 148
パパイヤ 5,179 110 キュウリ 5,180 206
リンゴ 308 139 アスパラガス 24,466 123
その他果実 3,168 262 生シイタケ 31,628 101
果実合計 1,696,138 107 カボチャ 153,963 119
      サトイモ 10,321 168
      ショウガ 34,337 113
      その他野菜 8,153 99
      野菜合計 874,554 118
B主な品目別自給率(1998年)
小麦 豆類 野菜 果実 肉類 鶏卵 牛乳・乳製品 魚介類 砂糖類
95 84 49 55 96 71 66 32
C農産物輸入量(1997年:億ドル)   D供給熱量自給率(1998年:%)
日本 ドイツ ロシア イギリス イタリア   フランス アメリカ ドイツ イギリス スイス 日本
394 182 117 97 90   139 132 97 77 59 41
10
E私たちの食物の原材料はどこの国からきた?
アメリカ 中国 ブラジル パラグアイ カナダ オーストラリア 日本 合計
大豆 77   11     97
小麦 47       25 19 100
そば 71       17 100

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