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エピソード

204_01

資本主義の発達T(財閥の成長)
 ペリーハリスの来日という外圧により、日本はいち早く、欧米の殖産興業富国強兵政策を取り入れて、政治・経済・文化の近代化に取り組んできました。
 ここでは、近代産業が形成されていく過程で、どのようにして、大豆が形成され、発展したかを調べてみました。
 財閥とは、一族の独占的出資による資本を中心に結合した経営形態をいいます。
 政府の保護により、官営事業の払下げを受けたのが政商です。この政商が、政府の保護を受け、産業資本家に進出して財閥の基礎を形成しました。
 彼らは、運輸・鉱山・貿易・金融などにも事業を多角化し、大正初期には巨大なコンツェルン形態を整え、産業の寡占的地位を占めました。コンツェルンとは、同一系統資本が種々の産業を支配する独占の最高形態をいいます。寡占(oligopoly)年、とは、独占(monopoly)年、の一者独占に対し、少数者独占又は少数者間での競争状態をいいます。
 三井・三菱・住友・安田は、持株会社中心の財閥です。古河・浅野・川崎などは産業資本中心の財閥です。
 持株会社とは、他の会社の株式を全部または支配可能限度まで保有し、それを通じて事業活動を支配することを目的とする会社のことをいいます。自らは事業活動をしないことが多いです。
 三井合名会社・三菱合資会社・住友合資会社・安田保善社が財閥の本社になります。
 1870年、岩崎弥太郎は、三菱会社を設立しました。
 1874年、三菱に、高島炭坑が払い下げられました。
 1876年、三井銀行が設立されました。
 1876年、三井物産が設立されました。
 1877年、古河市兵衛が足尾銅山を買収して、鉱山業に進出しました。
 1878年、幕末に薩摩藩の貿易で巨富を得た川崎正蔵は東京築地と神戸に造船所を開設しました。
 1880年、幕末に開国貿易で巨利を得た両替商の安田善次郎安田銀行を設立しました。
 1883年、横浜の薪炭商である浅野総一郎は、深川工作分局でセメント製造を始めました。
 1885年、古河市兵衛は、阿仁・院内銀山の払下げを受け、鉱山経営を発展させました。
 1887年、川崎正蔵は、払下げの兵庫造船所と神戸の造船所を合併して、神戸川崎造船所を設立しました(川崎財閥)。
 1887年、三菱に、長崎造船所が払い下げられました。
 1888年、三井に、三池炭坑が払い下げられました。
 1891年、中上川彦次郎福沢諭吉の甥)は、経営危機の三井銀行に入り、鐘淵紡績王子製紙芝浦製作所などを系列化し、工業部門の拡充に力を注ぎました。
 1892年、三井鉱山が設立されました。
 1893年、岩崎弥太郎の弟岩崎弥之助・岩崎久弥が出資して三菱合資会社を設立しました(三菱財閥)。鉱山・炭鉱・造船・銀行業を統括しました。
 1893年、三井に、富岡製糸場が払い下げられました。
 1895年9月、住友銀行が設立されました。
 1895年9月、三菱銀行が設立されました。
 1896年、三菱に、佐渡金山・生野銀山が払い下げられました。
 1897年3月、三和銀行が設立されました。
 1898年、浅野総一郎は、浅野セメント合資を設立(浅野財閥)し、日本鋼管東洋汽船など諸企業に進出して財閥化しました。
 1900年、三井は、家憲を定めました。
 1905年、古河鉱業合名会社が設立されました(古河財閥)。
 1909年、三井物産の益田孝が、三井合名会社を設立して理事長となり、コンツェルンの形態を整えました(三井財閥)。三井合名会社は、三井同族の共有財産として三井銀行・三井物産の全株式や傍系会社の株式・不動産を保有し、系列会社を統括しました。立憲政友会と深い関係を持ちました。
 1912年、安田保善社を設立し、保険・倉庫業などの進出しました(安田財閥、後の富士銀行)。
 1917年、三菱合資会社は持株会社となり、三菱造船・三菱製鉄・三菱鉱山・三菱商事・三菱倉庫・三菱銀行・三菱海上火災保険の7直系会社を独立させて、コンツェルン体制を確立しました。
 1917年、古河鉱業は、第一次世界大戦の好況に乗って、多角経営に乗り出し、古河鉱業合名会社を持株会社として、コンツェルン体制を確立しました。
 1921年、住友総本店住友合資会社に改組(住友財閥)し、持株会社として系列の諸企業を統括するコンツェルン体制を確立しました。
資本主義社会のもう1つの特徴、株式会社とは何?
 資本主義社会のもう1つの特徴は、企業の多くが株式会社の形態をとっていることです。ホリエモンこと堀江貴文氏が登場してきて、「社員が一番か、それとも株主か」ということで、株が脚光を浴びたことはいいことです。
 しかし、私は株をやらないので、株、株式、株主、株式会社といっても、体験的には、分かりません。そこで、私を中心に、お話します。
 私は、売れる商品を開発しました。商品を製品化するために、土地を買ったり、工場を建てたり、材料や器械を買うお金が必要になります。銀行から借りた場合、最初に利子を支払わねばなりません。そこで、額面50円の株券を作り、株式を発行します。私の友人は、1人につき1万円出資したので、200株渡しました。100人が協力してくれたので、100万円を手にすることが出来ました。
 少額の株式を発行することで、たくさんの人からお金を借ります。配当を出すまで、返済の必要がないので、私はそのお金を安心して使うことができます。額面50円の株券をまたは株式、私の友人を株主株式(株券)を発行し資金を集めて事業をする会社を株式会社といいます。
 株主は、銀行に預金すれば、年に3%ほどの利子を手にする(1万円に対して年300円)年、ことが出来るのに、何故、株式を買ったのでしょうか。
(1)私の友人(株主)は、私の会社の所有者です。私は、私の友人(株主)に対して、持っている株数に応じて会社の利益を配当として払います。利益が多ければ多いほど、この配当が多くなります。ある時は半期(6ヶ月)で、10%払ったことがあります。利子に換算すると年20%になります。1万円の出資に対して、年2000円の配当です。この配当金が多ければ、企業の評価も高くなります。そのために、私は、色々な情報を得て、様々な工夫・努力をします。
(2)私の友人(株主)は、株主総会に出席して意見を言ったり、重要な決議に投票できます。
(3)私は、私の友人(株主)に対して色々なサービスをします。これを株主優待制度といいます。
 いいことばかりではありません。銀行よりハイリターンではありますが、ハイリスクと隣り合わせです。
(1)私の会社が利益を出さなかった時は、配当はありません。銀行の利子は、常に一定していますが、配当はゼロの時もあります。株主は、常に利益を出す会社を求め続けます。利益を出さないと、別な会社の株主に浮気します。
(2)私の会社が倒産した時、私の友人(株主)の株券は、価値ゼロになります。
銀行の変遷U
1879(明治12)年、国立銀行条例により横浜正金銀行を設立する。
1880(明治13)年、郵便汽船三菱会社(現在の日本郵船)から三菱為換店が分離独立する。
1895(明治28)年、三菱合資会社銀行部は、第百十九国立銀行の業務を継承して設立する。
1919(大正8)年、@三菱銀行は、三菱合資会社銀行部の業務を継承して設立する。
1943(昭和18)年、三菱銀行は、第百銀行を合併する。
1946(昭和21)年、横浜正金銀行の業務を引き継いで東京銀行を設立する。
1996(平成8)年、三菱銀行と東京銀行が合併し、東京三菱銀行となる。
1876(明治9)年、A三井銀行が個人経営として創業される。
1895(明治28)年、B住友銀行が個人経営として創業される。
1936(昭和11)年、神戸岡崎銀行・第五十六銀行・西宮銀行・姫路銀行・高砂銀行らが合併し神戸銀行となる。
1943(昭和18)年、三井銀行と第一銀行が合併し帝国銀行となる。
1948(昭和23)年、帝国銀行が帝国銀行と第一銀行(現みずほ銀行)に分割される。
1954(昭和29)年、帝国銀行が三井銀行と改称する。
1973(昭和48)年、神戸銀行と太陽銀行が合併し太陽神戸銀行となる。
1990(平成2)年、三井銀行と太陽神戸銀行が合併し太陽神戸三井銀行となる。
1992(平成4)年、太陽神戸三井銀行がさくら銀行に改称する。
2001(平成13)年、住友銀行とさくら銀行が合併し、三井住友銀行となる。
1897年(明治30)年、特殊銀行として日本勧業銀行を設立する。
1952年(昭和27)年、日本勧業銀行は、金融債の発行を停止し預金主体の都市銀行に転換する。
1971年(昭和46)年、C第一銀行と日本勧業銀行が合併し、第一勧業銀行となる。
2000年(平成12)年、第一勧業銀行・D富士銀行日本興業銀行はみずほホールディングスの完全子会社となる。
2002年(平成14)年、みずほ銀行となる。
1933年(昭和8)年、三十四銀行・山口銀行・鴻池銀行が合併し、三和銀行となる。
1941年(昭和16)年、愛知銀行・名古屋銀行・伊藤銀行が合併し、東海銀行となる。
2001年(平成13)年、三和銀行・東海銀行・東洋信託銀行は、UFJホールディングスの完全子会社となる。
2002年(平成14)年、三和銀行が東海銀行と合併し、UFJ銀行となる。
1918年(大正7)年、野村徳七(二代目)を中心に大阪野村銀行を設立する。
1926年(大正15)年、大阪野村銀行の証券部を野村證券に分離する。
1927年(昭和2)年、大阪野村銀行は野村銀行ととする。
1943年(昭和18)年、武州銀行、八十五銀行、忍商業銀行及び飯能銀行が合併し、埼玉銀行となる。
1944年(昭和19)年、埼玉銀行は安田銀行(後の富士銀行)より、東京都下における大半の店舗を譲受する。
1945年(昭和20)年、大阪・東京らの貯蓄銀行が合併し日本最大の貯蓄銀行である日本貯蓄銀行が誕生する。
1948年(昭和23)年、日本貯蓄銀行が協和銀行となり、都市銀行の1つとなる。
1948年(昭和23)年、野村銀行が大和銀行となる。
1991年(平成3)年、協和銀行及び埼玉銀行が合併し、協和埼玉銀行となる。
1992年(平成4)年、協和埼玉銀行があさひ銀行となる。
2003年(平成15)年、協和埼玉銀行・あさひ銀行・大和銀行が合併し、りそな銀行となる。
 2006年1月には、東京三菱銀行UFJ銀行が合併の予定です。まさに激動の時代です。
@Dが旧五大財閥です。三菱・三井住友・みずほの三大グループに再編成されていることが分かります。

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