近代文学Ⅲ（自然主義、田山花袋の『蒲団』、石川木の『一握の砂』）ーエピソード高校日本史（214-02）

２１４_０２

近代文学Ⅲ（自然主義、田山花袋の『蒲団』、石川木の『一握の砂』）
１	日露戦争前後に、フランスやロシアの自然科学、ゾラやモーパッサンの影響を受けて、人間社会の暗い現実の姿をありのまま写す自然主義の風潮が盛んになりました。　その代表が国木田独歩で、自然主義文学の第一歩が『武蔵野』といわれています。　田山花袋は『蒲団』を書きましたが、これは私小説の先駆けといわれています。　本名は田山録弥といいます。１８７１（明治４）年に、館林の秋元藩士の子として生まれました。貧しい生活の中にあって、ゾラやモーパッサンの文学に触れて、赤裸々な人間を描くようになりました。これが自然主義的芽生えといえます。
２	『蒲団』のあらすじです。　妻と三人の子をもつ中年作家の竹中時雄は、新婚時に抱いていた妻への愛情はすっかり無くなっていました。そんな時に、神戸女学院の学生である横山芳子が内弟子として下宿しました。　竹中時雄は、芳子の「文学上の師」として、表面上は何事もないように接しています。しかし、やがて若くて美しい彼女に惹かれていきました。横山芳子から「先生」と甘えるように声をかけられると、年甲斐もなく時雄の胸はときめいてしまうのです。　２人の親密さが世間や親戚の噂になりました。そんな時雄の態度に気づいた妻は、自分の姉の家に移りました。男女２人になって、芳子もいすらくなり、時雄の妻の姉の家に下宿しました。　それから１年半後、横山芳子は、同志社の学生である田中秀夫との交際を告白します。それを知った時雄は、「文学上の師」としての責任を果たすのだと言い聞かせながら、２人の密会を許すことが出来なくなって、芳子を下宿先から自分の家に連れ帰りました。　芳子は、「文学上の師」として時雄に、田中秀夫との関係を全て打ち明けて懺悔をします。時雄は、自分が欺かれていることを知ると、芳子に破門を告げて父親と一緒に故郷に帰ることを命じました。　ここからが最後の原文です。　「別れた後そのままにして置いた二階に上った。懐かしさ、恋しさの余り、微かに残ったその人の面影を偲ぼうと思ったのである。武蔵野の寒い風の盛に吹く日で、裏の古樹には潮の鳴るような音が凄じく聞えた。別れた日のように東の窓の雨戸を一枚明けると、光線は流るるように射し込んだ。机、本箱、罎、紅皿、依然として元のままで、恋しい人はいつもの様に学校に行っているのではないかと思われる。時雄は机の抽斗を明けてみた。古い油の染みたリボンがその中に捨ててあった。時雄はそれを取って匂いを嗅いだ。暫くして立上って襖を明けてみた。大きな柳行李が三箇細引で送るばかりに絡げてあって、その向うに、芳子が常に用いていた蒲団ー萌黄唐草の敷蒲団と、線の厚く入った同じ模様の夜着とが重ねられてあった。時雄はそれを引出した。女のなつかしい油の匂いと汗のにおいとが言いも知らず時雄の胸をときめかした。夜着の襟の天鵞絨の際立って汚れているのに顔を押附けて、心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅いだ。　性慾と悲哀と絶望とが忽ち時雄の胸を襲った。時雄はその蒲団を敷き、夜着をかけ、冷めたい汚れた天鵞絨の襟に顔を埋めて泣いた。　薄暗い一室、戸外には風が吹暴れていた」。
３	島崎藤村は、自然主義文学確立のだ一歩といわれる『破戒』や青山半蔵の明治維新前後の苦闘の生涯を描いた『夜明け前』を書いています。　徳田秋声は、自伝的小説の『黴』を書いています。　正宗白鳥は、『何処へ』で生活目標を失ったインテリの苦悶を描いています。　石川木は、ロマン主義から出発して、社会主義思想をもりこんだ生活詩を歌い上げました。その代表作が『一握の砂』です。　本名は石川一（はじめ）といいます。１８８６（明治１９）年に岩手県日戸村の常光寺の住職の子として生まれました。
４	石川木の履歴を調べてみました。　１８８７（明治２０）年、父が渋民村の宝徳寺の住職となったので、一家も移住しました。９年間居た渋民村を詠んだ歌が「ふるさとの　山に向ひて　言ふことなし　ふるさとの山は　ありがたきかな」（『一握の砂』）です。　１８９８（明治３１）年、盛岡尋常中学校に入学しました。合格者１２８人中の１０番でした。先輩の金田一京助から『明星』を借りて読み、与謝野晶子の『みだれ髪』に感動しました。この頃、堀合節子と恋愛関係になりました。ここら辺がロマン主義的な行動といえます。　１９０２（明治３５）年、堀合節子との関係で、成績が下がり、周囲の反対を押し切って、中学校を退学して、与謝野鉄幹を頼って、上京しました。　１９０３（明治３６）年、病気と窮乏のために、帰郷しました。そして、石川木の名で、『明星』に詩を投稿するようになりました。　１９０５（明治３８）年、堀合節子と結婚しました。　１９０６（明治３９）年、渋民村に戻り、渋民小学校の代用教員となります。高等科の生徒を扇動して校風刷新・校長排斥のストライキを行い、代用教員を免職されます。その後、北海道に渡ったり放浪の生活を送ります。　１９１０（明治４３）年、大逆事件を体験し、社会主義に接近し、社会への批判を強めていきます。こうした経過をへて、『一握の砂』を刊行します。　１９１２（明治４５）年４月、肺結核のため亡くなりました。時に２６歳でした。　６月、『悲しき玩具』が刊行されました。
５	『一握の砂』の一部を紹介します。 ●「東海の　小島の磯の　白砂に　われ泣きぬれて　蟹とたはむる」 ●「頬につたふ　なみだのごはず　一握の　砂を示しし　人を忘れず」 ●「はたらけど　はたらけど猶　わが生活　楽にならざり　ぢっと手を見る」 ●「砂山の　砂に腹這ひ　初恋の　いたみを遠く　おもひ出づる日」 ●「ふるさとの　訛なつかし　停車場の　人ごみの中に　そを聴きにゆく」
高校時代の思い出、『蒲団』と石川啄木
１	私は、高校時代、若い女の先生に国語を教わりました。　その先生は、独身でした。その独身の女先生が「田山花袋の『蒲団』は自然主義文学の傑作で、私小説の先駆けとなった作品です。機会があれば、是非読みなさい」と解釈をしていました。　私は、古典は全て読破し、夏目漱石・森鴎外・芥川竜之介を全て読破する計画でしたが、早速学校の図書館で、『蒲団』を借りて、読みました。その結果、あの独身の女先生は、この本を本当に読んでいるのか気になりました。「夜着の襟の天鵞絨の際立って汚れているのに顔を押附けて、心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅いだ」という部分がとても気になったからです。　しかし、そのことを聞く勇気はありませんでした。
２	教師になって、『蒲団』のあらすじを説明し、気になっている部分を原文を紹介すると、教室は異様な雰囲気に包まれました。　女生徒は、「気持ち悪い」と叫び、男生徒はニヤニヤしているのです。　次年度からは、「中年の男が、女子学生の蒲団を取り出した。その後は、原文で読みなさい」ということにしています。
３	国語の先生の解釈では、内なる「自分の醜悪」をためらうことなくさらけ出した作者の態度が、白然主義文学の運動に大きな影響を与えたということになるのでしょう。　『蒲団』は白然主義文学の代表作品と言われます。一方、この作品の客観性の欠如が、日本近代小説の発展に歪みを与えたとする意見もあります。
４	私は、「ロマン主義は人間の恋愛感情という本能を肯定している」と感じています。また、私は、「自然主義は、性欲などの本能を肯定している」と思っています。しかし、人間にとって、性欲は抑圧すべきものという理性があって、なかなか表面に出てきません、　そういう点から言うと、『蒲団』はその部分を見事に描いています。　と、同時に、この抑圧すべき作品を、誰もが理解できるかというと、それは別問題だと思います。
５	『一握の砂』で特に印象に残っているのは、「はたらけど　はたらけど猶　わが生活　楽にならざり　ぢっと手を見る」です。　しかし、私の解釈は、国語の先生や予備校のマドンナの解釈と違います。　石川木が電車に乗りました。前の座席には、上品な奥さんと美しいお嬢さんが居ました。一瞬、啄木は自分の仕事で爪の中まで油で汚れた手を隠しました。そして、前の座席の２人の手を見ました。仕事をしていない手は、とても綺麗でした。　啄木は、働いている自分の手が汚れているのに、仕事もせず、遊んで暮らしている人の手が綺麗だと不合理を感じました。改めて、自分の手をじっと見ました。　皆さんの解釈は如何でしょうか。