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日本の中国進出T(ラストエンペラー宣統帝、21か条要求、軍閥) | |||||||||||||||||||||||||||||||
1 | 日本が、日清戦争と日露戦争によって得た関東州の租借権は1923年で期限が終了します。鉄道の権益も1939年に期限が終了します。 日本人は、日清戦争と日露戦争の血と税金であがなった権益という意識がありました。こうした国民の世論を背景に、政治家や軍部は、新たな展開を模索しました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||
2 | 1905(明治38)年8月、日露戦争における日本の勝利に刺激された孫文らの興中会は、華興会・光復会と合同して、中国革命同盟会を結成しました。 9月、日露講和条約(ポーツマス条約が調印されました。 1906(明治39)年8月、北洋大臣の袁世凱は、立憲準備を上奏しました。 1908(明治41)年9月、清朝は、憲法大綱を発表しました。これは大日本帝国憲法をもデるにしています。 12月、光緒帝の甥である溥儀(3歳)が宣統帝として即位しました。溥儀の父醇親王が摂政となりました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||
3 | 1909(明治42)年1月、摂政の醇親王は、軍機大臣の袁世凱を罷免しました。 1910(明治43)年4月、汪兆銘は、摂政の醇親王を暗殺しようとして失敗し、北京で逮捕されました。 1911(明治44)年10月10日、武昌の新軍と中国革命同盟会が武装蜂起しました。これを武昌起義といい、辛亥革命の発端です。 11月、清朝は、袁世凱を呼び戻し、総理大臣に任命しました。 1912(明治45)年1月、南京に中華民国政府が成立し、孫文は臨時大総統に就任しました。 2月、孫文は、中華民国政府を維持するために、袁世凱に臨時大総統の座を譲る決心を固めました。その結果、宣統帝溥儀が退位し、1616年から約300年続いた清朝が滅亡しました。 3月10日、袁世凱は、中華民国政府の臨時大総統に就任し、独裁を強化しました。 8月25日、袁世凱の独裁に反対する宋教仁らは、国民党を結成しました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||
4 | 1913(大正2)年7月、江西都督の李烈釣らは、糊口で、反袁世凱の兵を挙げました。これを第二革命といいます。 8月8日、第二革命が失敗し、孫文は、日本に亡命しました。 10月6日、イギリス・ドイツ・ロシシア・日本など13か国は、袁世凱の中華民国政府を承認しました。 10月10日、孫文が海外に亡命したので、袁世凱は、国会を包囲して、大総統選出を強要し、大総統に就任しました。 1914(大正3)年7月、第一次世界大戦が始まりました。 8月、日本は、日英同盟を口実にドイツに宣戦を布告しました。 10月、日本海軍は、赤道以北ドイツ領南洋諸島の一部を占領しました。 11月、日本陸軍は、ドイツ領山東省の青島を占領しました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||
5 | 1915(大正4)年1月18日、大隈重信内閣は、袁世凱に、対華21か条を要求しました。 2月3日、馮国璋・張作霖ら19人の将軍は、日本の21か条要求に断固反対を表明しました。 2月20日、アメリカ政府は、日本政府に、「第五号の存在は真実なりや」と質問してきました。 2月25日、日本から帰国した留学生らが上海で、国民対日同志会を結成し日貨排斥運動がおこしました。漢口・広東にもその運動は拡大しました。 3月13日、アメリカの国務長官ブラウンは、抗議書を日本に送りつけました。 3月中旬、日本は、山東・漢口・満州方面の日本軍を増強し、袁世凱に圧力をかけました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||
6 | 5月4日、日本では、元老会議が開かれ、山県有朋と松方正義は、第五号を最後通牒に含めることには反対しました。 5月4日、イギリスは、日本政府に「第五号が日華間の国交を破裂させる原因となった場合には、イギリスの世論は、これを日英同盟の精神の違反と考えるであろう」と抗議しました。 5月7日、日本政府は、「回答期限を5月9日午後6時」として、第五号をのぞいた最後通牒を袁世凱政府に突きつけました。 5月9日、袁世凱は、対華21か条を承認しました。 5月9日、中国は、この日を国恥記念日として、以後、抗日運動に発展していきました。 12月、袁世凱は、帝位を受け、帝政を実施しました。帝政に反対する第三革命がおこりました。国体擁護運動とか護国運動とか護国戦争ともいわれます。 | ||||||||||||||||||||||||||||||
* | この項は、『近代日本総合年表』などを参考にしました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||
ラストエンペラー、21か条の要求、軍閥 | |||||||||||||||||||||||||||||||
1 | ラストエンペラー(Last Emperor)とは、最後の皇帝、つまり清朝の宣統帝溥儀をモデルにした映画です。坂本龍一さんが音楽を担当したとして有名にもなりました。 子供のエンペラーが常に言われてきたことは、「大地も財宝も人民も、全てが陛下の物です」ということでした。 | ||||||||||||||||||||||||||||||
2 | 最近(2005年)、日記形式のブログなるものが盛んである。時々、必要があってインターネットを閲覧するが、ブログの記事を見ることがあります。色々書いていますが、共通の土俵になる前提の史料が明示されていないので、納得も、反論も、出来ない。主催者は、いきがっているが、議論にも参加できません。 そこで、今回は、長文になりますが、対華21か条要求の史料を明示しました。この史料と、上記の年表を参考にして、是非、議論しようではありませんか。 | ||||||||||||||||||||||||||||||
3 | 第一号(山東省に関する件四条) 日本国政府及支那国政府は偏に極東に於ける全局の平和を維持す、且、両国の間に存する友好善隣の関係を益々鞏固ならしめんことを希望し茲に左の条款を締約せり。 第一条 支那国政府は、独逸国が山東省に関し条約其他に依り支那国に対 して有する一切の権利利益譲与等の処分に付、日本国政府が独逸国政府と協定すへき一切の事項を承認すへきことを約す。 第に条 支那国政府は山東省内若くは其沿海一帯の地又は島嶼を何等の名義を以てするに拘はらず他国に譲与し又は貸与せざるべきことを 約す。 第三条 支那国政府は芝罘又は竜口と膠州湾より済南に至る鉄道とを連絡すへき鉄道の敷設を日本国に允許す。 第四条 支那国政府は、成るへく速に外国人の居住及貿易の爲、自ら進て山東省に於ける主要都市を開くへきことを約す。其地鮎は別に協定すへし。 | ||||||||||||||||||||||||||||||
4 | 第一号議案は、山東省の旧ドイツ利権を日本が受け継ぐことを、中国が承認するという要求です。 | ||||||||||||||||||||||||||||||
5 | 第二号(南満州及び東部内蒙古に関する件七条) 日本国政府及支那国政府が南満州及東部内蒙古に於ける日本国の優越なる地位を承認するにより茲に左の条款を締約せり。 第一条 両条約国は旅順大連租借期限並南満州及安奉両鉄道各期限を何れも更に九十九ケ年つつ延長すへきことを約す。 第に条 日本国臣民は、南満州及東部内蒙古に於て各種商工業上の建物の建設又は耕作の為必要なる土地の賃借権又は其所有権を取得することを得。 第三条 日本国臣民は南満州及東部内蒙古に於て自由に居住往来し各種の商工業及其他の業務に従事することを得。 第四条 支那国政府は南満州及ひ東部内蒙古に於ける諸鉱山の採掘権を日本国臣民に許与す。其探掘すへき鑛山は別に協定ふへし。 第四条 支那国政府は、南満洲及東部内蒙古に於ける鉱山の探掘権を、日本国臣民に許与す。 第五条 支那国政府は、左の事項に関しては豫め日本国政府の同意を経へきことを承諾す。 (一)南満洲及東部内蒙古に於て、他国人に鐵道敷設権を輿へ又は鐵道敷設の為に他国人自り資金の供給を仰くこと。 (に)南満洲及東部内蒙古に於ける諸税を担保として他国より借款を起すこと。 第六条 支那国政府は、南満洲及東部内蒙古に於ける政治財政軍事に関し顧問官教官を要する場合には、必す日本国に協議すへきことを約す。 第七条 支那国政府は、本条約締結の日より九十九ケ年間日本国に吉長鉄道の管理経営を委任す。 | ||||||||||||||||||||||||||||||
6 | 第二号議案は、(1)旅順・大連と満鉄・安奉両線の租借期限を99年まで延長すること(2)日本人は南満州と東蒙古で自由に土地を貸借し所有する権利を持つこと(3)日本人は、その地では、自由に居住往来し、各種の商工業その他の業務に従事する権利を持つことなどを中国が承認するという要求です。 | ||||||||||||||||||||||||||||||
7 | 第三号(漢冶萍公司に関する件に条) 日本国政府及支那国政府は日本国資本家と漢冶萍公司との間に存する密接なる関係に顧み且両国共通の利益を増進せんが為左の条款を締約せり。 第一条 両締約国は将来適当の時機に於て漢冶萍公司を両国の合弁となす こと並に支那国政府は日本国政府の同意なくして同公司に属する 一切の権利財産を自ら処分し又は同公司をして処分せしめざるべ きことを約す。 第二条 支那国政府は、漢冶萍公司に属する諸鑛山附近に於ける鑛山に付ては、同公司の承諾なくしては之か探掘を同公司以外のものに許可せさるへきこと、并其他直接間接同公司に影響を及ほすへき虞ある措置を執らんとする場合には、先つ同公司の同意を経へきことを約す。 第四号(沿岸島嶼不割譲に関する件一条) 日本国政府及支那国政府は支那国領土保全の目的を確保せんか為茲に左の条款を締約せり支那国政府は支那国沿岸の港湾及島嶼を他国に譲与し若くは貸与せさるへきことを約す | ||||||||||||||||||||||||||||||
8 | 第三号議案は、漢冶萍公司(漢陽の製鉄所・大冶の鉄山・萍郷の炭鉱を経営する会社=公司)を日中合弁(共同経営)にすることを中国が承認するという要求です。 第四号議案は、中国の港湾や島嶼を他国に割譲・貸与しないことを中国が承認するという要求です。 | ||||||||||||||||||||||||||||||
8 | 第五号(懸案其他解決に関する件七条) 一、中央政府に政治財政及軍事顧問として有力なる日本人を傭聘せしむる こと 二、支那内地に於ける日本の病院、寺院及學校に封しては其土地所有権を認むること。 三、從來日支間に警察事故の発生を見ること多く不快なる論争を醸したることも尠からさるに付、此際必要の地方に於ける警察を日支合同とし、又は此等地方に於ける支那警察官庁に多数の日本人を傭聘せしめ以て一面支那警察機閥の刷新確立を図るに貧すること。 四、日本より一定の数量(例ヘは支那政府所要兵器の半数)以上の兵器の供給を仰き、又は支那に日支合辮の兵器廠を設立し日本より技師及材料の供給を仰くこと。 五、武昌と九江南昌線とを聯絡する鐵道及南昌杭州間、南昌潮洲間鐵道敷設権を日本に許輿すること。 六、福建省に於ける鐵道鉱山港湾の設備(造船所を含む)に関し外国資本を要する場合には先つ日本に協議すへきこと。 七、支那に於ける本邦人の布教権を認むること。 第六號 支那国政府は、日本国政府か膠洲湾租惜地を支那国に還附する場合には、全部之を商港として開放すへきことを約し且日本国政府か其指定する地区に日本専管居留地を設置することに回意す。 | ||||||||||||||||||||||||||||||
9 | 第五号議案は、特に秘密にしてくれといった部分です。 (1)中国政府に、日本人の政治・財政・軍事顧問をおくこと (2)中国内地にある日本の病院・寺院・学校に対して、その土地の所有権を認めること (3)中国の警察を必要な地方では日中合同として、そこでは中国警察に多数の日本人をやとうこと (4)中国政府の兵器の半数以上は、日本が供給するか、又は中国に日中合弁の兵器廠を設立して、日本より技師・材料を供給すること (5)武昌と九江南昌線とを連絡する鉄道及び南昌と杭州間、南昌と潮洲間の鉄道敷設権を日本に与えること (6)福建省内の鉄道・鉱山・港湾の設備(造船所を含む)については外国資本を必要とする場合にはまず日本に相談すること (7)中国で日本人が布教することを認めること | ||||||||||||||||||||||||||||||
10 | 以上が、対華21箇条要求の全文と概略です。 第一号から第四号までを「要求」とし、第五号を「希望」として、中国側に伝えました。 21か条を手渡した日置益公使は、袁世凱に対して、交渉を秘密にするよう要求しました。それに対して、袁世凱は「日本は平等の友邦として中国を遇すべきなのに、なぜ奴隷のように扱おうとするのか」と激しく抗議しました。 袁世凱は対抗手段として、21か条の内容をすべて内外に公表しました。国内の将軍19人が袁世凱を支持しました。国民も日貨排斥運動で抗議しました。 アメリカは、痛烈な抗議書を日本政府に送りつけました。イギリスは、第五号は除外されないと、日英同盟を破棄するとまで脅してきました。 | ||||||||||||||||||||||||||||||
11 | ここで、私が注目したのは、日本国内で、第五号議案に待ったをかけた勢力がいたことです。元老の山県有朋と松方正義です。日本には未だバランス感覚が働く余地があるということです。 次に、英米の世論に配慮して、日本は、第五号議案を21か条から除外したことです。日本には未だ国際協調を維持する気持ちが残っていたということです。 第五号(懸案其他解決に関する件7条)をのぞいた14条を、袁世凱は承諾しました。 この段階では、世界列強は、妥協した日本の行動を認めたことになります。 | ||||||||||||||||||||||||||||||
12 | この頃の中国の歴史で、非常に分かりにくかったのが、政治史です。特に、戦国時代のような離合集散が、中国史に疎い私には、大変でした。一応参考までに、当時のグループをまとめました。
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