print home

エピソード

267_03

労働組合法の制定
 以下の史料は教育基本法の(政治教育) です。
「第十四条  良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重されなければならない。
2  法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない」
 以下の史料は教育基本法の(政治教育) です。
「第十四条  良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重されなければならない。
2  法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない」
 読者の方から、「最近、政治的な発言が目立つ」「授業で紹介できない内容の物がある」「高校生が読むと刺激が強すぎないか」という指摘を受けるようになりました。
 私は、教育基本法にのっとり、特定の政党を支持・反対する政治活動や政治的活動はしておりません。しかし、教育基本法が定める「政治的教養」は「良識ある公民として必要」だと考えています。
 「臭い物に蓋」式に教えなかったり、隠したりすると、今は情報化社会です。かえってバランスを崩すことになります。情報をきっちりと伝えて、色々な視点から説明したり、議論することが必要だと思っています。
 「最近、政治的な発言が目立つ」という指摘は正しくありません。「政治的教養」を内容としてエピソードが多いというべきです。つまり、それほど、現在、情報がバランスを欠いている証拠でもあります。
 今回は、労働組合法の制定を取り上げます。

労働組合の制定までの歴史
*史料1:一揆と打ちこわし
 百姓は村請制のもとで年貢や諸役など重い負担にたえていたが、幕府や藩の支配が彼らの暮らしや生産を大きくそこなうときには、領主に対し村を単位に要求をかかげてしばしば直接行動をおこした。これを百姓一揆とよぶ@。
 幕府や諸藩は、一揆の要求を一部認めることもあったが、多くは武力で鎮圧し、一揆の指導者を厳罰に処した。しかし、こうした弾圧にもかかわらず、しばしば発生した凶作や飢饉を機に、百姓一揆は増加の一途をたどった。
@江戸時代の百姓一揆は、これまで3000件以上が確認されている。
*解説1:史料1は『日本史B』(山川出版社)の「百姓一揆と打ちこわし」の内容です。組織化されていない力のない者は、様々な不満のはけ口を暴力的な形で発散することが分ります。
 *史料2:社会運動の発生
 工場制工業が勃興し、資本主義が発達するにつれて、賃金労働者が増加してきた。当時の工場労働者の大半は繊維産業が占めており、その大部分は女子であった@。女子労働者の多くは、苦しい家計を助けるために出稼ぎにきた小作農などの下層農家の子女であり、欧米とくらべるとはるかに低い賃金できびしい労働に従事していた。
 紡績業では2交代制の昼夜業が行われ、製糸業では労働時間は15時間程度、ときには18時間におよぶこともあったA。重工業の男子熟練工の数はまだかぎられており、工場以外では、鉱山業や運輸業に多数の男子労働者が従事していた。
 日清戦争前後の産業革命期にはいると、各地で待遇改善や賃金値上げを要求する工場労働者のストライキがはじまり、1897(明治30)年には、全国で40件あまり発生した。同年、アメリカの労働運動の影響をうけた高野房太郎・片山潜らによる労働組合期成会が結成され、鉄工組合や日本鉄道矯正会など、熟練工を中心に労働者が団結して資本家に対抗する動きがあらわれた。
 これらの動きに対し、政府は、1900(明治33)年に治安警察法を制定し、労働者の団結権・罷業権を制限して労働運動をとりしまった。その反面、政府は労働者の生活状態の悪化は生産能率を低下させるからこれを改め、階級対立の激化をふせごうという社会政策の立場から、工場法Bの制定をはかるようになった。
@1900(明治33)年現在、繊維産業工場労働者の88%が女子であった。なお、同年の鉱山労働者数は15万人、鉄道・船舶・通信労働者数は17万人であった。
A労働者の過酷な状態については、1888(明治21)年、雑誌『日本人』が三菱経営の高島炭鉱における劣悪な労働状況を報道したが、産業革命期の労働者の状態は、横山源之助の『日本之下層社会』(1899年刊)や農商務省の『職工事情』(1903年刊)に記されている。
B最初の労働者保護立法で、少年・少女の就業時間の限度を12時間とし、深夜業を禁止した。しかし適用範囲は15人以上を使用する工場にかぎられ、製糸業などに14時間労働、紡績業に期限つきながら深夜業を認めるなど、不徹底なものであった。
*解説2:史料2は『日本史B』(山川出版社)の「社会運動の発生」の内容です。江戸時代と違い、明治時代には資本主義社会の発展、つまり工場制機械工業が発達しました。その結果、様々な社会問題が多発し、それを解決する社会運動や労働運動がおこりました。政府は、労働者の団結権・罷業権を法律で弾圧すると共に、工場法を制定するというムチとアメの政策で対応したことが分ります。力のない者は、団結して自分たちの要求を果たそうとするし、権力者は、力のない者の団結を恐れていることが分ります。
 *史料3:工場法(明治44年法律第46号)
第一条 本法ハ左ノ各号ノ一ニ該当スル工場ニ之ヲ適用ス
 一 常時十人以上ノ職工ヲ使用スルモノ
2 本法ノ適用ヲ必要トセサル工場ハ勅令ヲ以テ之ヲ除外スルコトヲ得
第三条 工業主ハ十六歳未満ノ者及女子ヲシテ一日ニ付十一時間ヲ超エテ就業セシムルコトヲ得ス
2 主務大臣ハ業務ノ種類ニ依リ本法施行後十五年間ヲ限リ前項ノ就業時間ヲ二時間以内延長スルコトヲ得
第四条 工業主ハ十六歳未満ノ者及女子ヲシテ午後十時ヨリ午前五時ニ至ル間ニ於テ就業セシムルコトヲ得ス但シ行政官庁ノ許可ヲ受ケタルトキハ午後十一時迄就業セシムルコトヲ得
第七条 工業主ハ十六歳未満ノ者及女子ニ対シ毎月少クトモ二回ノ休日ヲ設ケ、一日ノ就業時間カ六時間ヲ超ユルトキハ少クトモ三十分、十時間ヲ超ユルトキハ少クトモ一時間ノ休憩時間ヲ就業時間中ニ於テ設クヘシ
2 前項ノ休憩時間ハ一斉ニ之ヲ与フヘシ但シ行政官庁ノ許可ヲ受ケタルトキハ此ノ限ニ在ラス
第二十一条 正当ノ理由ナクシテ当該官吏ノ臨検ヲ拒ミ、妨ケ若ハ忌避シ又ハ其ノ尋問ニ対シ答弁ヲ為サス若ハ虚偽ノ陳述ヲ為シ又ハ職工若ハ徒弟ノ検診ヲ妨ケタル者ハ五百円以下ノ罰金ニ処ス
*解説3:史料3は『工場法』の内容です。この法律は、1911(明治44)年に公布され、1916(大正5)年より施行されました。アメの政策である工場法でも、当時10人以上使用する工場は殆どなく、この法律はザル法でした。また、16歳未満の者や女子を11時間以上働かせる場合、主務大臣の許可があれば、15年間は13時間労働も可能としています。休暇も月2回しかありません。
 しかも、この法律は公布から5年後に施行されています。つまり、経営者のサボタージュによって内容は骨抜きにされ、実施が大幅に遅れたのです。経営者の姿勢がよく分ります。
 *史料4:社会運動の勃興
 第一次世界大戦における連合国の民主主義・平和主義の提唱や、ロシア革命・米騒動などをきっかけにして、日本でも社会運動が勃興した。大戦中の産業の急速な発展によって労働者の数は大はばに増加したが、物価高でその生活は苦しく、そのため労働運動が大きく高揚し、労働争議の件数は急激に増加した。
 1912(大正元)年、労働者階級の地位の向上と労働組合の結成とを目的に鈴木文治によって組織された友愛会は、この時期に労働組合の全国組織として急速に発展した。1919(大正8)年には大日本労働総同盟友友愛会と改称し、1921(大正10)年にはさらに日本労働総同盟と改め、労資協調主義からしだいに階級闘争主義に方向を転換した。
*解説4:史料4は『日本史B』(山川出版社)の「社会運動の勃興」の内容です。労働運動は、民主主義・平和主義・社会主義などと連動していることが分ります。
 *史料5:準戦時体制の長期化
 準戦時体制の長期化にともなって、自由主義的思想の弾圧もいちだんときびしくなり、内閣の強化、政治勢力の一元化、全国民の協力体制の確立などの必要が主張されるようになった。そして国民精神総動員運動が展開され、産業報国会の結成E、産業組合の拡充などによる農民の再組織、それら国民諸組織を動員する体制が計画され、1938(昭和13)年には近衛を党首とする新党結成がこころみられた。
E1938(昭和13)年、半官半民である労使協調機関の協調会が中心となって資本家団体や労働組合幹部をあつめて産業報国連盟が結成され、その指導で各職場に産業報国会を結成し、労働組合も一部それに改組した。1940(昭和15)年、大日本産業報国会に改組したころは単位会数7万、組織人員418万人であった。このとき、労働組合はすべて解散させられた。
*解説5:史料5は『日本史B』(山川出版社)の「準戦時体制の長期化」の内容です。日中戦争から太平洋戦争にいたる労働組合は、本来の目的を達することなく解散せせられ、戦争に協力する組織になり果てたことが分ります。
 *史料6:労働政策も、占領軍によって積極的に推進された。まず1945(昭和20)年労働組合法が制定され、労働者の団結権・団体交渉権・ストライキ権が保障された。労働組合がぞくぞくと結成され、戦前に最高40万人であった労働組合員は、1948(昭和23)年には660万人に達したB。さらに1946(昭和21)年には労働関係調整法、翌年には労働基準法が制定され、同年、片山哲内閣のもとで労働省が設置された。
B1946(昭和21)年に全国組織として、右派の日本労働組合総同盟(総同盟)、左派の全日本産業別労働組合会議(産別)が結成された。
*解説6:史料6は『日本史B』(山川出版社)の「戦後の民主化政策」の内容です。労働組合は、団結によって、労働者の平和で安全な生活を維持する団体です。戦争は、労働者の平和と安全な生活を脅かす最大の敵です。労働組合が解散させられ、戦争反対の運動が出来なかったことが分ります。
10  *史料7:労働基準法
第一章 総則
(労働条件の原則)
第一条  労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない。
2 この法律で定める労働条件の基準は最低のものであるから、労働関係の当事者は、この基準を理由として労働条件を低下させてはならないことはもとより、その向上を図るように努めなければならない。
(労働条件の決定)
第二条  労働条件は、労働者と使用者が、対等の立場において決定すべきものである。
(労働時間)
第三十二条  使用者は、労働者に、休憩時間を除き一週間について四十時間を超えて、労働させてはならない。
2  使用者は、一週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き一日について八時間を超えて、労働させてはならない。
(休憩)
第三十四条
 使用者は、労働時間が六時間を超える場合においては少くとも四十五分、八時間を超える場合においては少くとも一時間の休憩時間を労働時間の途中に与えなければならない。
(休日)
第三十五条  使用者は、労働者に対して、毎週少くとも一回の休日を与えなければならない。
(時間外、休日及び深夜の割増賃金)
第三十七条
 使用者が、第三十三条又は前条第一項の規定により労働時間を延長し、又は休日に労働させた場合においては、その時間又はその日の労働については、通常の労働時間又は労働日の賃金の計算額の二割五分以上五割以下の範囲内でそれぞれ政令で定める率以上の率で計算した割増賃金を支払わなければならない。
(労働時間等に関する規定の適用除外)
第四十一条  この章、第六章及び第六章の二で定める労働時間、休憩及び休日に関する規定は、次の各号の一に該当する労働者については適用しない。
二  事業の種類にかかわらず監督若しくは管理の地位にある者又は機密の事務を取り扱う者
第六十八条  使用者は、生理日の就業が著しく困難な女性が休暇を請求したときは、その者を生理日に就業させてはならない。
*解説7:*史料7は『労働基準法』の内容です。労働基準法は、労働者が人間に値する生活を営む最低の労働条件を定めたものです。その労働条件は、採用や解雇など人事権をもつ使用者と、雇われる立場の労働者が対等の立場で決定するものです。この結果、健全な職場を作ることができます。健全な職場を作ることは、労働者に生甲斐を与え、ひいては会社の利潤追求の目的にも叶います。
11  *史料8:労働組合法
   第一章 総則
(目的)
第一条
 この法律は、労働者が使用者との交渉において対等の立場に立つことを促進することにより労働者の地位を向上させること、労働者がその労働条件について交渉するために自ら代表者を選出することその他の団体行動を行うために自主的に労働組合を組織し、団結することを擁護すること並びに使用者と労働者との関係を規制する労働協約を締結するための団体交渉をすること及びその手続を助成することを目的とする。
(労働者)
第三条  この法律で「労働者」とは、職業の種類を問わず、賃金、給料その他これに準ずる収入によつて生活する者をいう。
   第三章 労働協約
(労働協約の効力の発生)
第十四条  労働組合と使用者又はその団体との間の労働条件その他に関する労働協約は、書面に作成し、両当事者が署名し、又は記名押印することによつてその効力を生ずる。
(基準の効力)
第十六条
 労働協約に定める労働条件その他の労働者の待遇に関する基準に違反する労働契約の部分は、無効とする。この場合において無効となつた部分は、基準の定めるところによる。労働契約に定がない部分についても同様とする。
*解説8:史料8は『労働組合法』の内容です。採用・解雇や昇進・降格など人事権のない弱い立場の労働者が、使用者と対等に労働条件を作成するには、労働組合を作って団結する権利やストライキなどをする権利を背景にする必要があります。これを認めたのが労働組合法です。そして、労働組合と使用者は労働条件権などについて労働協約を締結します。
12  人事権のない労働者が労働組合を作り、使用者側と対等の立場で、労働協約を結び、健全な職場を作ることが、労働者と会社を発展させるという基本的な考えがあります。自然権とも天賦人権ともいうべきものです。
 しかし、最近、TVなどの評論家などは、露骨に組合敵視の発言を繰り返しています。評論家は、組織からはみ出た一匹オオカミです。一匹でも食っていける強い人間です。組合敵視の発言は、使用者には歓迎されます。だからTVによく登場できるのです。
 私たちは、多くの人の前で、他人を論破するほどの内容や弁論を持っていません。だから、団結が必要なのです。一見、団結して対決するのは、卑怯で野暮ったいと写るでしょう。
13  以前、私の教え子がこういう話をしてくれたことを思い出します。
 在学中から生理の日は激痛で、母親から「今日は生理なので休ませます」と知っていた生徒です。会社では、生理なので休暇を願い出ると、男子課長は、男子職員もいる前で、「●月●日、■■▲子さん、生理休暇」と張り出すというのです。彼女は別な理由で休暇をとることにしているそうです。
 私が「”労働基準法68条には、使用者は…その者を生理日に就業させてはならない”とあるから、個人で文句を言うと憎まれるから、組合の幹部に言っては?」と進言すると、彼女は「会社に文句が言えない組合ですから」とショゲていました。職場はギスギスしていて、定着率も悪く、作業能率も低いと言う事でした。
労働組合の役割を現場から考える
名ばかり管理職━マクドナルド残業訴訟を考える
 労働組合がある場合と、ない場合とを考えて見ましょう。
 あっても、名ばかりの御用組合の場合を考えて見ましょう。
 最近、「名ばかり管理職」裁判で有名になった日本マクドナルドを取り上げます。
 1971年7月、東京銀座三越1階に1号店(銀座店)を開店しました。現在、3800店舗、従業員4999人です。
 2007年8月、月間の売上高最高の463億9400万円を記録しました。
 2007年9月9日、1日の売上高最高の23億8200万円を記録しました。
 2008年2月、2007年全店売上高最高の4941億4900万円を記録しました。
*参考:日本マクドナルド社は、2005年6月以来、パート労働者や一般労働者の賃金に関して、30分未満の切り捨て分22億円の支払いに合意しました。儲けの裏に、使用者の労働基準法に違反するケチケチ搾取作戦の実態がよく分ります。
 *史料9:高野廣志さんの意見陳述
1 私は、日本マクドナルドに1987年に入社し、1999年に店長に昇格しました。
2 マクドナルドでは、2003年から給与査定が変わり、成果主義が採用されました。私は、2003年2月から高坂店に異動し、時間外労働が月100時間にも及ぶようになりました。
3 1月下旬に現在の125熊谷店に異動をさせられました。時間帯責任者3名のうち1人の女子フリーターが過労により入院していました。朝6時から8時まで1名で店舗運営をするなど労働環境はどん底でした。4月ころ、手のしびれを初めて経験したため、勤務を早退し病院にいきました。「症候性脳梗塞」との診察を受けました。
4 5月に労働基準監督署の調査が入り、やっと環境面は若干改善されました。労基署が調査に入ったため、定例会議でこの件が議題になりましたが、上司からは、「店長は管理監督者であり、自己責任だ」とばっさり切り捨てられました。
私は、これではいつか過労死するだけだと考え、ユニオンに加入しました。上司からは、脱退するようにといわれ、強い圧力を受けました。
*解説9:史料9は日本マクドナルド残業訴訟における原告・高野廣志さんの意見陳述です(2006年3月24日)。使用者側の立場と、弱い立場の者と、労働組合との関係がよく分ります。
 *史料10-1:マクドナルド残業訴訟の経緯
 高野廣志さんが加盟した東京管理職ユニオンは、店長職労働者の残業割増賃金問題について交渉しました。しかし、交渉が決裂したので、2005年12月22日に東京地裁に、2年間の未払い残業代785万円、慰謝料300万円など計1100万円の支払いを求める内容の提訴しました。
 日本マクドナルド社は、労働基準法第41条の「管理監督者」条項を盾に、店長労働者の残業割増賃金の支払いを拒否しています。日本マクドナルド社は店長職を次の様に規定しています。
(1)出退勤の自由がある。
(2)人事権がある。
(3)報酬が高額である。
 東京管理職ユニオンは次の様に反論しています。
(1)年間800時間も残業している状態でどこに出退勤の自由があるのか。
(2)アルバイトの採用の権限のみで人事権があるのか。
(3)年間800時間の残業を含む年収が600万円のどこが高額であるのか。
 *史料10-2:高野邦子さんの証言
 奥さんの邦子さんは「最初はマクドナルドという大企業を、自分たちのような平凡な人間が訴えて、この先どうなってしまうのかと恐れを抱いた。でも提訴の決断をして本当に良かったと思う。家族を守るつもりで、結果おかしな働き方をすることになりその人が死ぬようなことになれば、一番悲しむのは家族。同じ境遇にいる人には、過労死する前に、生きているうちに立ち上がってほしい」と語った。
*解説10:史料10-1は高野廣志さんが加盟した東京管理職ユニオンの取り組みです。高野さん個人ではと使用者との対等な立場になれなかったが、労働組合に入った高野さんは使用者と対等な立場であることがよく分ります。
*解説10:史料10-2は高野さんの奥さんである邦子さんの証言です(2008年1月28日オーマイニュース)。夫を支える妻の心配と同時に、同じ境遇の弱い人が組合に加入することで、人間性を取り戻すことを訴えていることが分ります。
 *史料11:名ばかり管理職 働き方の議論につなげよ
 長時間労働を余儀なくされていた店長に「管理職だから」と残業代を払わなかった日本マクドナルドに対し、東京地裁は未払い残業代など約755万円の支払いを命じた。マクドナルドは控訴したものの、残業代のほぼ全額支払いを命じた地裁判決は当然といえよう。
 労働基準法では、労働時間を1日8時間、週40時間と規制し、これを超えると残業代など割増賃金を払わなければならない。
 管理職は、この規制の対象から外れるが、それに見合う権限と待遇が与えられていることが前提だ。地裁判決は「店長の権限は店舗内に限られている」「労働時間も自由裁量はない」として権限面でも待遇面でも、管理職とはいえないとしたのである。
 実際、この店長は早朝から深夜までの勤務が日常化していた。2カ月以上休みがない時期もあり、残業は最大月137時間に達した。
 現実に存在する労働現場のひずみを是正し、「働き方の見直し」の議論を発展させることこそが重要なのである。
*解説11:史料11は産経新聞の主張(社説)です(2008年2月1日)。東京地裁は、「店長の権限は店舗内に限られている」「労働時間も自由裁量はない」として権限面でも待遇面でも、管理職とはいえないとして、755万円の支払いを命じました。しかし、日本マクドナルド社は控訴すると表明しています。
 *史料12:名ばかり管理職是正を 国が企業に指導強化 残業代未払い受け
 権限や裁量はないのに残業代などは支給されない「名ばかり管理職」の問題で、厚生労働省は五日までに、労働基準法で労働時間などの規定が適用除外される「管理監督者」の要件が知られていないケースも多いことから、企業への周知や指導の強化を各地の労働局長に求める通達を出した。
 厚労省は「管理職の名が付けばすべて管理監督者になるわけではない。名ばかり管理職の残業代未払いなどが社会問題化しており、法の趣旨を徹底させたい」としている。
 厚労省によると、管理監督者は@労働条件の決定や労務管理で経営者と一体的な立場A労働時間への裁量B相応の待遇−などの要件を満たす者に限定される。肩書ではなく実態的に判断するが、それを理解していない企業が少なくないという。
 ここ数年、管理職をめぐる労使双方から労働基準監督署への相談が増加。労働者側からは「権限がないのに管理職扱いされ、残業代が支払われない」といった相談が多く、企業側からは「基本給も上げ、手当を払っている。管理監督者に当たるか」などの問い合わせが目立っている。
 通達は、「労働時間が適切に管理されず、(残業や休日労働の)割増賃金の支払いや過重労働などで不適切な事案もみられる」と指摘。労基法の趣旨を企業に説明し、名ばかり管理職には適正な監督指導を実施するよう求めている。
 日本マクドナルドに店長への未払い残業代を支払うよう命じた一月の東京地裁判決などに関連し、舛添要一厚労相が三月の参院予算委員会で「法令順守を徹底させる指示を各労基署に申し渡lしたい」と答弁していた。
*解説12:史料12は2008(平成20年)4月6日付け神戸新聞の内容です。

内部告発は「密告ではなく社会のために」
 *史料13:串岡弘昭氏の戦いの記録
 1970年、串岡弘昭氏は、東京の大学を卒業してトナミ運輸(本社・富山県高岡市)に入社しました。
 1973年、石油ショックにより運輸業界では、違法なヤミカルテルが横行するようになりました。串岡氏は、岐阜営業所に転勤して主任補となりましたが、ヤミカルテルの違法性を会社に訴えました。。
 1974年8月、串岡氏は、読売新聞にヤミカルテルの実態を訴え、「50社、闇カルテルか」という記事になりました。さらに、串岡氏は、運輸業界のヤミカルテルを公正取引委員会に告発しました。
 9月、串岡氏は、神奈川支店に強制配転となり、元の得意先への挨拶など一切が禁止されました。
 1975年1月、串岡氏は、東京本部へ転勤となりました。
 3月、串岡氏から連絡を受けた社会党の松浦利尚氏は、衆院物価問題等特別委で、ヤミカルテル問題を取り上げました。
 9月、串岡氏と相談した日本消費者連盟は、トナミ運輸・西濃運輸・日本通運の3社を道路運送法違反事件(運賃水増し)で東京地検に告発しました。串岡氏は、同じ荷物を2つのルートを使って荷物を送り、その結果、不当運賃を証明しています。
 10月、串岡氏は、教育研修所(富山県福光町)に強制配転させられました。この時29歳でした。29歳から60歳の定年まで、仕事らしい仕事も与えられない会社員生活が続きました。最初の17年間は、狭い個室に1人だけの勤務を強いられました。
 1980年11月、串岡氏を取材した朝日新聞は、「不自由経済 内部告発は裏切りか」という特集で、「新規採用や事故を起こした運転手たちの研修の場。串岡さんがここに転勤させられて5年たつ。仕事らしい仕事はなかった。草むしりや雪かき、ペンキ塗り。働き盛りの大卒社員には異例の毎日を過ごしている。昇給は同僚より少なく、妻と子ども2人をかかえ月給は手取り14万9000円」という記事を掲載しました。
 2002年1月、串岡氏は、富山地裁に対して、「トナミ運輸に約4800万円の損害賠償など」を求めて提訴しました。
 2005年2月、富山地裁は、「トナミ運輸に1356万円の賠償を支払う」ことを命じる判決を下しました。しかし、串岡氏は、「謝罪文の提出や賠償金増額などを求め」控訴しました。
 2006年2月、名古屋高裁金沢支部は、「和解が成立。内容は、会社側は1審の賠償金以外に和解金を支払う、内部告発の公益性を認めた1審判決を同社が厳粛に受け止めること」などの和解案を提示し、結審しました。
 9月、串岡氏は、トナミ運輸を定年退職しました。時に60歳でした。
*解説13:史料13は、「人権と報道関西の会 」(2007年10月29日)のWeb記録などです。この記事では1人で戦ったようになっています。トナミ運輸には労働組合はなかったのでしょうか。調べてみると、串岡氏の記録がありました。「労働組合は重役の養成所と化していて御用組合になっていました。告発をした結果、会社・労働組合と運輸省(当時)は、まったく駄目なことがわかりました」と告白しています。告発する時の心境を「提訴したことについては、親不孝である」という普通の人間の感情を吐露しています。同時に、「告発は、企業にとっても有益なことであり、自由な競争を回復するものでもあります」という強い信念の持ち主でもありました。「私が不当な処分や不利益、左遷や窓際族の処遇をうける気は全くなく、その不当な人事異動をした経営トップこそがその処罰をうけるものであります」という気持が戦いの原動力でした。
 西日本新聞は「自宅に来て午前4時まで退職を説得する重役。辞める理由がない。辞めるべきなのは不正をした会社のトップだ。後に続く内部告発者のためにも圧力に屈したという前例を残したくなかった」(2006年9月8日付け)と報じています。

 朝日新聞は、「ユニオン」を活用するというシリーズで、労働組合の役割を”働きやすい職場へ意見伝える”として、次のような記事を掲載しています。
 労働組合員のメリットは?
(1)会社に意見を伝えやすい
(2)労働条件を改善できる
(3)雇用が安定する
詳しくは、ココをクリックして下さい
10  こうしてみると、弱い立場の人間は、人間として生活するには、労働組合が必要であることが分ります。労働組合はあっても、御用組合でなく、会社と対等に労働条件を交渉できる自立する労働組合が必要だということです。
 人間として生活するとは、平和で安全な社会が必要です。会社の発展や国家の繁栄は、国の平和と国民の安全の上に確立されていることが分ります。

index print home