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エピソード

296_02

インターネットと携帯電話の功罪
 最近、インターネットと携帯電話の功罪の講演を依頼されました。
 今から15年ほど前、電子メールがぼちぼち普及し始めていました。時々、私に電子メールの相談が舞い込んできます。若い職員は、電子メールを時代を予感するのに、年配事務長が拒絶反応を示して、研修も認めません。私が、ペーパーレスの効用を説いても、マス=コミで取り上げられる電子メールの「罪」をあげつらって、時期尚早だというのです。私は、自動車事故で毎年1万人ほどが死亡し、その何倍もの人が負傷するという「罪」があっても、自動車社会は無くならないのと同じで、必ず電子メールの時代はくるから、若い人への研修を認めるよう説得しましたが、ダメでした。
 今は、ご存知のように、電子メールの時代です。あの事務長はどうしているでしょうか。
 ここで、功罪を検証する前に、インターネットと携帯電話の歴史を振り返ってみたいと思います。
 1969(昭和44)年、アメリカの国防総省は、カリフォルニア大学ロサンゼルス校・スタンフォード研究所・カリフォルニア大学サンタバーバラ校・ユタ大学と連携し、ARPANET(アメリカ国防総省の国防高等研究計画局=Advanced Research Project Agencyの略称アーパーネット))を誕生させました。
 1972(昭和47)年、コンピュータ通信国際会議(International Conference on Computer Communicationsで、略称はICCC)で世界初のチャットが行われました。Chat(チャット)は、複数の人がネットワーク上に用意されたある場所に参加し、テキストを入力してリアルタイムに会話をおこなうコミュニケーション手段をいいます。
 1973(昭和48)年、File Transfer Protocol(ファイル・トランスファー・プロトコル、略称:FTP)の仕様が発表されました。ネットワークでファイルの転送を行うための通信規約(プロトコル)のことです。
 1975(昭和50)年、Steve Walker(スティーブ・ウォーカー)は、MailingList(メーリング・リスト)を作成しました。メーリングリストは、複数の人に同時に電子メールを配信する仕組みで、同報とも訳されます。
 1984(昭和59)年、日本で、Unix to Unix Copy Protocol(UUCP)の接続を使ったJapan University NETwork(JUNE)が開始されました。UUCPとは、電話回線を使って遠隔地にあるコンピュータに接続し、電子メールやファイルを交換する接続形態のことです。
 1985(昭和60)年、日本政府は、通信の自由化を認め、電子メールが可能となりました。
 1987(昭和62)年、日本で、インターネットへの接続ホスト数が10万台を突破しました。
 1988(昭和63)年、旧日本電信電話公社は、Information Network System(高度情報通信システム、略してINS) をIntegrated Services Digital Network(総合ディジタル通信網サービス、略してISDN)回線として発売しました。ISDNは、モデムで接続する既存の公衆交換電話網をデジタル化することで、高速で高品質な回線サービスを提供することができました。
 NTT移動通信が創設され、首都圏〜東海地方のサービスが開始されました携帯電話は、電話工事屋と間違われるほど大きかった
 1989(平成元)年、日本で、インターネットへの接続ホスト数が100万台を突破しました。
 移動通信の基本使用料が値下げされました(携帯は月2万3000円が1万9000円となりました)
 関西セルラーは、TACS方式により、電話サービスを開始しました。NTT移動通信・日本移動通信は、NTT方式を採用しました
 1991(平成3)年、Brewster Kahle(ブルースター・カール)は、インターネット上で情報を検索するためのシステムWide Area Information Server(WAIS)を発明しました。
 、Tim Berners-Lee(ティム・バーナーズ・リー)は、World Wide Web(ワールド・ワイド・ウェブ、略してWWW)を開発し、世界初のHyperText Markup Language(ハイパーテキスト・マークアップ・ランゲージ、略してHTML)を発表しました。
 、日本では、この年をブロードバンド元年とします。Asymmetric Digital Subscriber Line(非対称デジタル加入者線、略してADSL)の利用回線数が152万4348回線に達しました。ADSLとは、ツイストペアケーブル通信線路(一般のアナログ電話回線)を使用する、上り(アップリンク)と下り(ダウンリンク)の速度が非対称(Asymmetric) な、高速デジタル有線通信技術、ならびに電気通信役務のことです。
 移動電話の新規加入料を値下げしました(7万2800円が4万5800円となりました)
 1992(平成4)年、日本で、インターネットへの接続ホスト数が1,000万台を突破しました。
 、日本で最初のホームページが発信されました。
 、日本で最初のプロバイダInternet Initiative Japan Inc.(株式会社インターネットイニシアティブ、略してIIJ)が設立されました。
 1993(平成5)年、Netscape Communications社は、Netscape Navigatorというウェブ・ブラウザを開発しました。ウェブ・ブラウザ(Web Browser)とは、WWWでHTMLのリンクを辿りながらウェブページを表示するアプリケーションソフトウェアのことで、ブラウザ とも言われます。
 1994(平成6)年政府は、携帯電話の販売を自由化しました(従来のレンタル方式から買い取り方式へ移行するようになりました)。
 1995(平成7)年、Microsoft社は、Internet Explorerというウェブ・ブラウザを開発しました。
 、Jerry Chih-Yuan Yang(ジェリー・ヤン、楊致遠)とDavid Filo(デビッド・ファイロ)は、Portal Site(ポータルサイト)のYahoo!を創設しました。ポータルサイトとは、インターネット(WWW)にアクセスするときに、玄関口となるウェブサイトのことです。世界に発信されている膨大なリンク集を検索エンジンを使って、利用者の便宜を図っています。Yahoo!の名前の起源は、『ガリヴァー旅行記』の野獣(Yahoo)と言われています。
 、Sun Microsystems社は、アプリケーションソフトによらないJava言語を開発しました。
 携帯電話の加入台数が650万台に達しました
インターネットの時代が始まる
 1996(平成8)年携帯電話の新規加入料が廃止されました
 この頃、私の同僚が宴席に両手でやっと持てる携帯電話を持参してきました。私は、「職場を離れた時くらいは、自由に解放されたらいいのに」と思って、冷ややかに見ていました。結局、1度もかかってくる事はありませんでした。
 私は、パソコン通信を始めるために、ダイヤル回線に登録しました
 私は、パソコン通信の限界を感じて、インターネットに移行し、ホームページをアップしました
 YAHOO JAPAN11月号に私のホームページが大きく紹介されました
 1997(平成9)年各社は、携帯電話でのショートメール・サービスを始めました
(1)NTTドコモ(10円メール)
(2)IDO(プチメール)
(3)J-フォン(Sky Walker)

 私は、ダイヤル回線に限界を感じて、ISDNに加入しました
 1998(平成10)年、スタンフォード大学博士課程の学生だったLarry Page(ラリー・ページ)とSergey Brin(セルゲイ・ブリン)は、Google社を設立しました。
 携帯電話の加入台数が2000万台に達しました
iモードの時代が始まる
 1999(平成11)年NTTドコモの「iモード」により、携帯電話を使用して電子メールの送受信やインターネットを含むサイトの閲覧などができるようになりました。これから以降をケータイといいます。
 2000(平成12)年携帯電話の加入台数が5000万台を超え、固定電話を上回りました
 KDDI(国際電信電話)は、auブランドでサービスを始めました
 2001(平成13)年私は、教師の集大成である山川出版社より『歴史用語変換辞書』を出版してもらう
 私も係わった『古文書で読み解く忠臣蔵』が柏書房から出版されました
 2002(平成14)年、ブログが流行するようになりました。
 、Fiber To The Home(略してFTTH)が普及し始めました。FTTHとは、光ファイバーを伝送路に使用したアクセス系通信システムの総称のことです。ADSLとFTTHをブロードバンドといいます。
 私は、父の入院の時、妻と見舞いに行く段取りを決める関係で、初めて携帯電話を2台購入しました父の死後、2台の携帯電話を手離しています
 2003(平成15)年Jフォンは、ボーダフォンと社名を変更しました
 同、auは、従来の従量制に代わって、月額4410円で使い放題の「パケット定額制」を始めました
 私も光ファイバーを導入しました
 2004(平成16)年、mixiなどのSocial Network Service(ソーシャル・ネットワーキング・サービス、略してSNS)が流行するようになりました。
 『ビートたけしの!悪役のススメ!!』(テレビ朝日系列)のスタッフから、意見を求められ、度々のメール交換をしました
 ソニーの「TheCDClub」の担当者から「松島榮一氏の講演CDの推薦盤を書いて欲しい」というメールが入りました
 テレビ朝日の担当者から「島田伸介が司会するクイズ番組の写真に忠臣蔵の絵馬を使わせて欲しい」と電話がありました
 2006(平成18)年ソフトバンクは、ボーダフォンを買収し、社名を「ソフトバンクモバイル」と変更しました
 2007(平成19)年、PHSを除き、携帯電話だけで加入台数が1億台を超えました。
 私もmixiに登録しました
 忠臣蔵のふるさと赤穂で、3本の講演を依頼されました
 忠臣蔵のふるさと赤穂で行われた「忠臣蔵検定」後の忠臣蔵史跡めぐりのガイドを依頼されました
 2008(平成20)年、総務省は、光回線利用世帯がADSL回線利用世帯を初めて超過し、光回線への移行が進展していると報告しました。
 忠臣蔵のふるさと赤穂で、2本の講演を依頼されています
インターネット・携帯電話(匿名社会)の罪
 ノンフィクション作家の柳田邦男氏は、「なぜ無差別に人を殺す 希薄な人間同士の接触」と題して、次のような論を展開されています(2008年8月8日付け神戸新聞)(兵庫県以外の方はその地域の新聞でお読みかもしれません)
 「人を殺したかった」「誰でもよかった」ー最近殺傷事件を起こした若者や少年が言う言葉だ。
 なぜ、かくも安易に無差別に人を殺すのか。
 この十年ほどの間に起きた若者や少年による凶悪事件を分析すると、次のような共通項がある。
 @自己中心的で、他者に対し「かわいそう」と思いやる感情が育っていない
 A不満や怒りを抑制する自制心が育っていない
 Bゲーム感覚で殺人を実行する
 C社会から注目される(あっと驚かす)形態を選ぶ
 D思うようにならないのはすべて他者(社会)のせいにしている
 Eインターネットによるコミュニケーションがさまざまな形でからんでいることが多い。
 これらの問題の根底にあるのは、一つは、幼少期からの人格形成のゆがみであり、もう一つは、ゲームやネットなどの情報環境の問題だ。…
 予言的な警鐘
 親の教育熱心が「いい学校・いい会社」という価値観によって過剰・過干渉にななる一方で、家庭崩壊で子どもを放任する家が増え始めた時代だ。同時にゲームやビデオの急速な普及で、子どもたちがバーチャル(倣想現実)な世界に入りこみ、生身の人間同士の接触が希薄になり、命の感覚や他者の心を理解する感性が育ちにくくなり始めた。…
 九〇年代後半の保育園児たちの傾向に関する調査報告は
 @夜ふかしなど親のしっけの欠落
 Aすぐ暴力をふるう
 Bすぐパニックになる
 C自己中心的で自己抑制力が育っていない
などが顕著になっていることを明らかにしていた。
 抱きしめる関係
 …二〇〇〇年代になると、人格形成が未熟なまま、ケータイ・ネットやゲーム・ビデオという機械を介しての情報との接触やコミュニケーションが生活時間の大半を占めるようになった。その結果、人格形成は自己中心的な傾向を強め、命の感覚、他者の悲しみを思いやる感性はますます育ちにくくなってきた。
 ネットを誰かに理解される最後の居場所と思い込んでいた若者が逆に中傷・攻撃されて感情を爆発させ、劇場型犯罪に走る。この実態はネット社会が負の側面で新しい危機的な段階に入ったことを示している。
 今、すべきことは、…家族や友達との生身の接触の大切さを気づかせる…。親が乳幼児期にたっぷりと「抱きしめる」関係を持てるようにする社会的な取り組みを急がねばならない。
 柳田邦男氏の指摘は、まさにその通りです。
 性教育や人権教育は小学生から取り組んでいます。しかし、インターネットの功罪や携帯電話の功罪については、体験したことがないだけに、なかなか取り組むきっかけがつかめていません。
 先ずは、親が、次に親戚が、そして近所、学校というように、徐々に拡大して教えるべきが、まったく野放しの状態です。
 秋葉原通り魔事件の加藤智大容疑者は、「携帯電話サイトの掲示板に書き込みをしたが無視された。現実の世界で大きな事件を起こせば、ネットで無視した人たちを見返してやれる」と動機を供述しています。柳田氏が指摘するようにバーチャル(架空)な社会を現実の社会と混同していることに病巣を感じます。
 バーチャルな世界とリアルな世界を区別する必要があります。
 と、言葉では簡単です。講演を依頼されて、色々な実験に手を出しました。
 まず、私には、1日に平均100通以上のメールが届きます。その内、30通は新規な迷惑メールです。
(1)アダルト的な内容のホームページアドレスをクリックしました。ビキニやミニの可愛い女性の姿がありました。もっと見たい場合は、住所や氏名、メールアドレスを入力する欄がありました。ここからは、中には入りませんでした。
(2)教え子と同じ名前のメールがありました。現況報告ですというので、ホームページアドレスをクリックすると、真っ暗な画面となって、嫌な雰囲気だったので、直ぐに閉じて、抜け出ました。すると、私のページを見た人は、直ぐに「9万9000円を支払いなさい」というメールが届きました。メールを多用し、様々なインターネットのトラブルに立ち会った私も、ホームページをクリックしただけで、個人情報が筒抜けな社会に恐怖を感じました。体験のない若い人ならば、なおさらです。
(3)私には、強力な味方がいます。法律の知識です。私は、教え子とおなじ名前の詐欺者と契約した覚えはありません。多分、今後も請求書が来るでしょう。しかし、契約が成立していない以上、起訴されることはありません。無視が最大の対抗策です。
 それにしても、一瞬で、相手のメールアドレスとアカウント名を盗み取るとは、大変な時代です。心せよ!。
柳田邦男氏の論文の全文←クリック

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