| 3 | 名誉毀損の成否の基準等について(118P) この点については、前項の(B)に係わる考察を付加して一部の 判断を改めるほかは、おおむね原判決が「事実及び理由」の 「第4 当裁判所の判断」の1において説示するとおりである。 そこで、これを以下に引用し、それを補正する形式で当裁判所 の判断を示すこととする。(引用の方式については10頁に示 した方式により、当裁判所が付加しあるいは判断を改めた部分 等は、区別しやすいようにゴシック体で表示する。) | ||
| 【原判決の引用】 | |||
| 第4・1 | 名誉毀損の成否の基準等について(119P) | ||
| (1) | ・・・ 人の品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的評 価である名誉を違法に侵害された者は、損害賠償又は名誉回復のための処分を求 めることができるほか、人格権としての名誉権に基づき、加害者に対し、現に行 われている侵害行為を排除し、又は将来生ずべき侵害を予防するため、侵害行為 の差止めを求めることができるものと解するのが相当である(最高裁昭和61年 6月11同大法廷判決・民集40巻4号872頁参照)。 | ||
|
| |||
| (2) | そこで、まず名誉毀損を理由とする損害賠償請求について検討するに、事実を 摘示しての名誉毀損にあっては、その行為が公共の利害に関する事実に係り、か つ、その目的がもっぱら公益を図るものである場合に、摘示された事実がその重 要な部分において真実であることの証明があったときには、その行為には違法性 がなく、仮にその事実が真実であることの証明がなくても、行為者においてその 事実を真実と信ずるについて相当の理由があれば、その故意又は過失が否定され、 不法行為は成立しないものと解するのが相当である(最高裁昭和41年6月23 日第1小法廷判決・民集20巻5号1118頁参照)。もっとも、書籍の執筆、 出版を含む表現行為一般について公益を図ることが唯一の動機であることが必要 であるとすることは、実際上困難であるから、ここにいう「その目的がもっぱら 公益を図るものである場合」というのは、書籍の執筆、出版について、他の目的 を有することを完全に排除することを意味するのではなく、その主要な動機が公 益を図る目的であれば足りると解するのが相当である。 また、ある書籍中の記述が他人の社会的評価を低下させるものであるかどうか は、当該記述についての一般の読者の普通の注意と読み方とを基準として判断す べきである(最高裁昭和31年7月20日第二小法廷判決・民集10巻8号10 59頁参照)。 | ||
|
| |||
| (3) | 第2・2(3)イのとおり、沖縄ノートの各記述中には、事実を基礎とした意見な いし論評にわたる部分が存在している。 ところで、公然と事実を摘示した場合に限定する刑法230条1項の名誉毀損 罪と異なり、民事上の名誉毀損は、人の品性、徳行、名声、信用等の人格的価値 について社会から受ける客観的評価を違法に低下させることによって成立するも のであり、侵害の手段は格別限定されないから、意見ないし論評によっても、民 事上の名誉毀損は、成立し得る。 そして、ある事実を基礎としての意見ないし論評の表明による名誉毀損にあっ ては、その行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的がもっぱら公 益を図ることにあった場合に、その意見ないし論評の前提としている事実が重要 な部分について真実であることの証明があったときには、人身攻撃に及ぶなど意 見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り、その行為は違法性を欠くも のというべきである(最高裁昭和62年4月24日第2小法廷判決・民集41巻 3号490頁参照)。そして、仮にその意見ないし論評の前提としている事実が 真実であることの証明がないときにも、行為者においてその事実を真実と信ずる について相当の理由があれば、その故意又は過失が否定され、不法行為は成立し ないものと解するのが相当である(最高裁平成9年9月9日第3小法廷判決・民 集51巻8号3804頁参照)。 したがって、沖縄ノートの各記述中の事実を基礎とした意見ないし論評にわた る部分については、まず、その部分が公共の利害に関する事実に係り、かつ、そ の目的がもっぱら公益を図ることにあったこと及びその意見ないし論評の前提と している事実が重要な部分について真実であること若しくは真実相当性の証明が あったかどうかを判断することになるが、この点は、名誉毀損を理由とする損害 賠償請求の要件と重なる面がある。そして、これが認められた場合には、さらに 人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものであるか否かを検 討することとなる。 | ||
|
| |||
| (3-2) | さらに、本件では、一審判決で真実性の証明がないとされた後の出版等の継続 についての損害賠償請求がなされているが、同請求は、次の(4)の後段で検討する出 版等の継続が不法行為を構成する場合において認められるものと解される。 | ||
|
| |||
| (4) | 次に名誉毀損を理由とする侵害行為の差止めとしての本件各書籍の出版等差止 めの要件について検討する。 人格権としての名誉権に基づく出版物の印刷、製本、販売、頒布等の事前差止 めは、その出版物が公務員又は公職選挙の候補者に対する評価、批判等に関する ものである場合には、原則として許されず、その表現内容が真実でないか又はも っぱら公益を図る目的のものでないことが明白であって、かつ、被害者が重大に して著しく回復困難な損害を被るおそれがあるときに限り、例外的に許される (最高裁昭和61年6月11日大法廷判決・民集40巻4号872頁参照)。 本件では、既に出版され、公表されている書籍の出版等差止めを求めるもので あるが、表現の自由、とりわけ公共的事項に関する表現の自由の持つ憲法上の価値 の重要性等に鑑み、原則として同様に解すべきものである。さらに、本件のように、高 度な公共の利害に関する事実に係り、かつ、もっぱら公益を図る目的で出版された書 籍について、発刊当時はその記述に真実性や真実相当性が認められ、長年にわたっ て出版を継続してきたところ、新しい資料の出現によりその真実性等が揺らいだという ような場合にあっては、直ちにそれだけで、当該記述を改めない限りそのままの形で当 該書籍の出版を継続することが違法になると解することは相当でない。そうでなければ、 著者は、過去の著作物についても常に新しい資料の出現に意を払い、記述の真実性 について再考し続けなければならないということになるし、名誉侵害を主張する者は新 しい資料の出現毎に争いを蒸し返せることにもなる。著者に対する将来にわたるその ような負担は、結局は言論を萎縮させることにつながるおそれがある。また、特に公共 の利害に深く関わる事柄については、本来、事実についてその時点の資料に基づくあ る主張がなされ、それに対して別の資料や論拠に基づき批判がなされ、更にそこで深 められた論点について新たな資料が探索されて再批判が繰り返されるなどして、その 時代の大方の意見が形成され、さらにその大方の意見自体が時代を超えて再批判さ れてゆくというような過程をたどるものであり、そのような過程を保障することこそが民 主主義社会の存続の基盤をなすものといえる。特に、公務負に関する事実については その必要性が大きい。そうだとすると、仮に後の資料からみて誤りとみなされる主張も、 言論の場において無価値なものであるとはいえず、これに対する寛容さこそが、自由 な言論の発展を保障するものといえる。したがって、新しい資料の出現によりある記述 の真実性が揺らいだからといって、直ちにそれだけで、当該記述を含む書籍の出版の 継続が違法になると解するのは相当でない。もっとも、そのような場合にも、@新たな 資料等により当該記述の内容が真実でないことが明白になり、他方で、A当該記述を 含む書籍の発行により名誉等を侵害された者がその後も重大な不利益を受け続けて いるなどの事情があり、B当該書籍をそのまま発行し続けることが、先のような観点や 出版の自由などとの関係などを考え合わせたとしても社会的な許容の限度を超えると 判断されるような場合があり得るのであって、このような段階に至ったときには、当該 書籍の出版をそのまま継続することは、不法行為を構成すると共に、差止めの対象に もなると解するのが相当である。 そして、本件で問題になっているのは、第2・2(1)アのとおり、太平洋戦争後 期に座間味島で第一戦隊長として行動した控訴人梅澤及び渡嘉敷島で第三戦隊長 として行動した赤松大尉が、太平洋戦争後期に座間味島、渡嘉敷島の住民に集団 自決を命じたか否かであって、控訴人梅澤及び赤松大尉は日本国憲法下における 公務員に相当する地位にあり各記述は高度な公共の利害に係り、後述のようにもっ ぱら公益を図る目的のものであるから、本件各書籍の出版の差止め等は、 少なく とも、@その表現内容が真実でない・・・ことが明白であって、かつ、A被害者が重 大な不利益を受け続けているときに限って認められると解するのが相当である。 ・・・。 | ||
|
| |||
| (5) | 控訴人赤松は、第2・2(1)アのとおり、赤松大尉の弟であり、本件請求は、赤 松大尉の名誉が本件各書籍により侵害され、これにより控訴人赤松の赤松大尉に 対する敬愛追慕の情を内容とする人格権を侵害されたことを理由とする。 ところで、死者に対する敬愛追慕の情を内容とする人格権を侵害されたことを 理由とする損害賠償請求について、その要件が名誉毀損を理由とする損害賠償請 求より加重されるか否かについては、控訴、被控訴人らが第3・7で裁判例を引 用するなどして主張するとおり、見解の対立があり、「比較的広く知られ、かつ、 何が真実かを巡って論争を呼ぶような歴史的事実に関する表現行為について、当 該行為(故人の生前の行為に関する事実摘示又は論評)が故人に対する遺族の敬 愛追慕の情を違法に侵害する不法行為に該当するものというためには、その前提 として、少なくとも、故人の社会的評価を低下させることとなる摘示事実又は論 評若しくはその基礎事実の重要な部分が全くの虚偽であることを要するものと解 するのが相当であり、その上で、当該行為の属性及びこれがされた状況(時、場 所、方法等)などを総合的に考慮し、当該行為が故人の遺族の敬愛追慕の情を受 忍しがたい程度に害するものといい得る場合に、当該行為についての不法行為の 成立を認めるのが相当である。」と判示した東京高裁平成18年5月24日判決 (乙27)のように、これを加重・・・している。 しかしながら、死者に対する敬愛追慕の情を内容とする人格権を侵害されたこ とを理由とする損害賠償請求について、その要件が名誉毀損を理由とする損害賠 償請求より軽減されるとする見解は存しないし、これを軽減すべき法的根拠は見 出し難いから、それが軽減されるとは解されない。したがって、以下においては、 まず赤松大尉に関する記述についても、通常の名誉毀損を理由とする損害賠償請 求に関する要件を検討し、それが認められる揚合に、さらに死者に対する敬愛追 慕の情を内容とする人格権を侵害されたことを理由とする損害賠償請求の要件に ついて検討を進めることとする。・・・。 | ||
|
| |||
| (6) | 本件で問題となっているのは、太平洋戦争後期に発生した座間味島、渡嘉敷島 における住民の集団自決であり、それは、第2・2(2)のとおり、昭和20年3月 26日から同月28日にかけて発生したものであって、後記第4・5(6)のとおり、 歴史の教科書に採り上げられるような歴史的事実に関わるものであって、既に発 生から60年を超える年月が経過していることから、当裁判所に顕著な平均余命 を考えると、赤松大尉を含め、関係者の多くが既に死亡しているものと認められ る。 このような歴史的事実の認定については、多くの文献、史料の検討評価が重要な要 素とならざるを得ず、また、その当時の社会組織や国民教育、時代の風潮、庶民一般 の思考や価値観、日本軍の組織や行動規範など多くの社会的な背景事情を基礎とし て、多様な史料を多角的に比較、分析、評価して、事実を解明してゆくことが必要とな る。それらは、本来、歴史研究の課題であって、多くの専門家によるそれぞれの歴史認 識に基づく様々な見解が学問の場において論議され、研究され蓄積されて言論の場に 提供されていくべきものである。司法にこれを求め、仮にも「有権的な」判断を期待する とすれば、いささか、場違いなことであるといわざるを得ない。 しかし、もとより、裁判所は、控訴人らに具体的な権利の侵害があればその救済を 使命とするものであって、 前記歴史的事実の存否の解明それ自体が目的ではないと しても、必要な限度ではこれに触れて、これまで判示した損害賠償請求や差止め請求 等の要件へのあてはめを立証責任を踏まえて判断してゆくことになる。その際、真 実相当性の有無の判断に際しては、集団自決を体験したとする座間味島、渡嘉敷 島の住民の供述やそうした記載を掲載している諸文献が重要な意味を有すること は明らかである。 ・・・。 | ||
|
| |||
| (7) | 以上、種々指摘した点を踏まえて、各争点について検討を加えることとする。 (原判決95頁10行目〜101頁9行目)』 | ||