home back next

 特定性ないし同定可能性、名誉毀損性及び目的の公益性につ
いて(125P)

 本件各記述の、特定性ないし同定可能性の有無(原審争点
@)、名誉毀損性の有無(同(A))及び目的の公益性の有無(同
B)についても、一部の補正並びに2の(B)及び(C)に関し注記を
付加するほかは、原判決が「事実及び理由」の「第4 当裁判
所の判断」の2ないし4において説示するとおりであるから、
これを以下に引用する(引用の方式については10頁に示した
とおりである。)。
【原判決の引用】
第4・2 争点@(特定性ないし同定可能性の有無)について(125P)
(1)  沖縄ノートの各記述の内容は、第2・2(3)イ記載のとおりであり、その記載が
赤松大尉若しくは控訴人梅澤に関する記述であると特定ないし同定し得るか否か
について検討する。

(2)  ところで、特定の書籍の一定の記述が他人の名誉を毀損するか否かを判断する
に当たり、当該記述が当該他人の客観的な社会的評価を低下させるものであるか
否かが問題になるのは、先に判示した法的基準に照らして明らかである。そして、
当該記述が当該他人の客観的な社会的評価を低下させるためには、当該記述が当
該他人若しくはこれを含む一定の人的集団等(以下、便宜上、この項において
「当該他人」というに止める。)とが結びつくことが必要であることもいうまで
もない。
 もとより、その記述が、ある事件を基礎に記載されているものの、具体的事件
内容が文学的に昇華されるなどして、当該事件と当該他人とを結びつけることが
困難な場合には、名誉毀損を論ずることはできないけれども、問題となる記述が、
ある事件をそのままに題材とし、当該他人の氏名等の特定情報を明示していなか
ったとしても、当該事件がかって大きく報道され、その後の入手可能な文献等に
も、氏名等の特定情報が記載されているような場合、その報道に接し若しくは文
献等を読み記憶を止めている者やその記述に接して改めて当該文献等を読んだ者
などにとってみれば、当該記述と当該他人とが結びつけることは困難であると言
い難い。したがって、後者の場合においては、当該記述は、他の公開された情報
と結びつくことにより、当該他人の客観的な社会的評価を低下させることは十分
にあり得ることである。
 もとより、以上のように当該他人と当該記述が結びつけられることにより生じ
た、氏名等の特定情報を明示していない記述に基づく名誉毀損の場合には、氏名
等の特定情報を明示された記述の場合に比して、当該記述と当該他人等を結びつ
ける範囲が狭くなるのが通常であり、侵害される客観的な社会的評価も一定の範
囲内に限定される可能性は否定できないものの、表現の公然性は損なわれないと
考えられ、先に記した範囲の狭さは損害評価において考慮されるにとどまるとい
うべきである。

(3)  これをまず赤松大尉について検討する。
 沖縄ノートの各記述は、著者である被控訴人大江が沖縄戦における集団自決の
問題を本土日本人の問題としてとらえ返そうとしたものであることは、第2・
2(4)イ記載のとおりであり、沖縄ノートの各記述の内容は、第2・2(3)イ記載の
とおりである。
 そして、沖縄ノートの各記述には、慶良間列島の集団自決の原因について、日
本人の軍隊の部隊の行動を妨げず食糧を部隊に提供するために自決せよとの命令
に発せられるとの記載(本件記述(2))や慶良間列島の渡嘉敷島で沖縄住民に集団
自決を強制させたと記憶される男である守備隊長との趣旨の記述(本件記述(3))
などがあり、沖縄ノートの各記述は、渡嘉敷島における集団自決を命じたのが、
当時の守備隊長であることが前提となっている。
 渡嘉敷島における集団自決が行われた際に、赤松大尉が渡嘉敷島の守備隊若し
くは軍隊の長であることを記載し若しくは窺わすことができる書籍は、第2・2
(5)イ記載の諸文献を始めとして、後記第4・5(2)イ記載のとおり、多数存在する
上、沖縄ノートでも取り上げられたとおり、証拠(甲A4ないし7及び甲B2)
によれば、赤松大尉は、昭和45年3月28日に渡嘉敷島で行われる戦没者合同
慰霊祭に参加しようとしたが、同日、「虐殺者赤松を許すな」などと記載した張
り紙を掲げた反対派の行動もあって那覇市から渡嘉敷島に渡る船に乗らなかった
ことが沖縄タイムス及び琉球新報の同日夕刊に報じられたこと、両夕刊には「赤
松氏」又は「赤松元大尉」と大書されていたこと、同月27日の神戸新聞でも、
集団自決を命じたといわれる赤松大尉が那覇空港で民主団体等に責任を追及
され大騒ぎになったと報道されたこと、アサヒグラフの同年4月17日号でも、赤松
大尉は、元隊長として過去の責任追及を受け、慰霊祭に参加できなかったと報道
されたこと、赤松大尉が「潮」(昭和46年11月号)に記載した手記でも、赤
松大尉のことが週刊誌で数回取り上げられたことのほか、慰霊祭に参加できなか
ったことを記載していたことが認められる。さらに、沖縄ノートが引用する上地
一史「沖縄戦史」には、第2・2(5)イ(ウ)のとおり、「赤松大尉」と明示した記載
がある。
 以上の事実によれば、沖縄ノートの各記述に、後記5(2)イ記載の諸文献、前記
沖縄タイムス及び琉球新報等の報道を踏まえれば、不特定多数の者が沖縄ノート
の各記述の内容が、赤松大尉に関する記述であると特定ないし同定し得ることは
否定できない。とりわけ、沖縄ノートで取り上げられた渡嘉敷島の守備隊長が渡
嘉敷島に渡る船に乗船できなかったことなどを報じる前記沖縄タイムス及び琉球
新報の報道に接した者であれば、その関連づけは極めて容易であると認められ
る。

(4)  次に控訴人梅澤について検討する。
 第2・2(3)イ記載のとおりの沖縄ノートの各記述は、主に慶良間列島の渡嘉敷
島の元守備隊長に関する記載であることが認められる。
 しかしながら、沖縄ノートの本件記述(2)には、「慶良間列島においておこなわ
れた、七百人を数える老幼者の集団自決」が日本人の軍隊の部隊の行動を妨げず
食糧を部隊に提供するために自決せよとの命令に発せられるとの記載がある上、
引き続き「この血なまぐさい座間味村、渡嘉敷島の酷たらしい現場」との記載が
あることは、第2・2(3)イ(ア)のとおりである。そうすると、沖縄ノートの本件記
述(2)は、少なくとも控訴人梅澤をも対象とした記載と評価される。被控訴人大江
自身、その本人尋問において、「自己欺瞞は、自分に対するごまかしです。そし
て、これは渡嘉敷、そして座間味島の、慶良間の2つの島の集団自決の責任者た
ちは、そのようなごまかし、すなわちこの集団自決の責任が日本軍にあるという
ことを言いくるめる、ほかの理由があるかのように言いくるめるということを繰
り返したことであろうというふうに書きました。」などのように供述するなどし
て、沖縄ノートが控訴人梅澤をも対象にしたことを自認している。
 そして、座間味村における集団自決が行われた際に、控訴人梅澤が座間味島に
駐留する軍隊の長であることを記載し若しくは窺わすことができる書籍は、第2
・2(5)ア記載の諸文献を始めとして後記5(2)ア(エ)記載のとおり、多数存在する上、
この中に存し、沖縄ノートも引用する上地一史「沖縄戦史」には、第2・2(5)ア
(エ)のとおり、「梅澤少佐」と明示した記載がある。
 以上の事実によれば、沖縄ノートの各記述に、後記5(2)ア記載の諸文献を踏ま
えれば、不特定多数の者が沖縄ノートの本件記述(2)の内容は、第2・2(3)イ(ア)記
載のとおりであり、その記載が控訴人梅澤に関する記述であると特定ないし同定
し得ることは否定できない。

(5)  以上、検討したところによれば、特定性ないし同定可能性の有無についての被
控訴人らの主張は、理由がないというべきである。

第4・3 争点A(名誉毀損性の有無)について(128P)
(1)  「太平洋戦争」の発行年月日、発行部数及び本件記述(1)は、第2・2(3)アのと
おりである。
 本件記述(1)には、「座間味島の梅沢隊長は、老人・こどもは村の忠魂碑の前で
自決せよと命令し」たなどとの記述があり、本件記述(1)は、控訴人梅澤が部隊の
食糧を確保するために本来、保護してしかるべき老幼者に対して無慈悲に自決す
ることを命じた冷徹な人物であるとの印象を与えるものであって、控訴人梅澤の
客観的な社会的評価を低下させる記述であったことは明らかである(ただし、その
後の時の経過などにより、本件記述(1)が具体的に控訴人梅澤の客観的な社会的評価
に及ぼす影響にも変化が生じていることについては、後に検討する。)。

(2)  「沖縄ノート」の発行年月日、発行部数及び沖縄ノートの各記述は、第2・
2(3)イのとおりである。

 第2・2(3)イのとおり、沖縄ノートの69頁では、座間味島と渡嘉敷島での
それぞれの集団自決を併せて慶良間列島の集団自決と包括的に捉えた上で、そ
の原因が日本軍の命令によるものであるとして、集団自決命令の主体を特定人
としないような記述がなされているものの、その記述の直後で、慶良間列島の
集団自決を指して「この事件」とした上で、「この事件の責任者」が沖縄に対
するあがないをしておらず、このような責任者の態度について「この個人の行
動の全体は、いま本土の日本人が綜合的な規模でそのまま反復している」との
記述がなされているから、慶良間列島の集団自決について、自決命令を発した
人物が存在するような記述の仕方となつている。
 また、第2・2(3)イのとおり、沖縄ノートの各記述においては、「渡嘉敷島
で沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男」、「『命令された』集団自殺
を引き起こす結果をまねいたことがはっきりしている守備隊長」、「慶良間の
集団自決の責任者」などとの表現が使用され、それ以外の部分でも、渡嘉敷島
の集団自決の責任者が、渡嘉敷島の旧守備隊長である旨の記述が繰り返されて
いるから、渡嘉敷島の守備隊長が渡嘉敷島の住民に対し自決命令を発したと読
める記述となっていることが認められる。

 沖縄ノートの各記述における座間味島及び渡嘉敷島の守備隊長が、他の諸文
献等と併せて考えると、それぞれ控訴人梅澤及び赤松大尉であると特定ないし
同定し得ることは、前2において判示したとおりである。
 本件記述(2)は、座間味島及び渡嘉敷島を含む慶良間列島での集団自決が日本
軍の命令によるものであるとし、慶良間列島での集団自決の責任者の存在を示
唆しているから、沖縄ノートの各記述の他の記載と併せて読めば、座間味島及
び渡嘉敷島の守備隊の長である控訴人梅澤及び赤松大尉が集団自決の責任者で
あることを窺わせるものである。したがって、本件記述(2)は、集団自決という
平時ではあり得ない残虐な行為を命じたものとして、控訴人梅澤及び赤松大尉
の客観的な社会的評価を低下させるものであった認められる(ただし、その後
の時の経過などにより、本件記述(2)が具体的に控訴人梅澤及び赤松大尉の客観的
な社会的評価に及ぼす影響にも変化が生じていることについては、後に検討する。)。
 本件記述(3)ないし本件記述(5)は、「渡嘉敷島で沖縄住民に集団自決を強制し
たと記憶される男」、「『命令された』集団自殺をひきおこす結果をまねいたこ
とのはっきりしている守備隊長」、「慶良間の集団自決の責任者」などと記載し、
赤松大尉が渡嘉敷島での集団自決を強制したことを前提とする記述になってお
り、集団自決という残忍な行為を強制したものとして、赤松大尉の客観的な社
会的評価を低下させる記載であることは明らかである(この点についても前と
同じである。) 。

home home back next