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争点B(目的の公益性の有無)について(130P)
(1)  第4・1(2)のとおり、民事上の不法行為たる名誉毀損が違法性がないと判断さ
れるためには、表現行為の目的が、もっぱら公益を図るものであることが必要と
なるが、書籍の執筆、出版を含む表現行為一般について、唯一の動機のみによっ
てそれを行うことは実際上困難である。したがって、もっぱら公益を図るという
要件は、他の目的を有することを完全に排除することを意味するものではなく、
主要な動機が公益を図る目的であれば足りると解すべきである。

(2)  これを本件について見るに、まず、「太平洋戦争」については、それが歴史
研究書であること、本件記述(1)が公共の利害に関するものであることは当事者
間に争いがなく、それがもっぱら公益を図る目的によるものであることについ
ては、公益を図る目的も併せもってなされたものである限度で当事者間に争い
がない。以上の当事者間に争いがない事実に、証拠(甲A1及びB7)を総合
すれば、「太平洋戦争」の著者である家永三郎は、「太平洋戦争」(第一版)
の初版序において、太平洋戦争について、「総力戦として国民生活のあらゆる
領域をその渦中にまきこまずにおかなかったこの戦争の経過を述べようとする
ならば、他の局部的主題を選ぶ場合と違い、当然、一九三一年以来の日本歴史
の総体について述べなければならないことになるのはもとより、第二次世界大
戦の一環としてのこの戦争の世界史的性格からして、相手側の国や関係中立国
の国内事情およびそれらを基礎として織り出された国際関係史にまで筆を及ぼ
さなければ、太平洋戦争史の全貌は究めつくされないであろう。厳密に科学的
な太平洋戦争史はそれらの要求を充たしたものでなければなるまいが、それは
私のごとき視野狭く力のとぼしいものにとっては、到底実行できない注文であ
る。しかし、それと同時に、日本史、なかんずく日本近代史の研究者の一人と
して、太平洋戦争の歴史的理解を回避することも、また許されないのではなか
ろうか。ことに私のように戦争中すでに一人前の国民として社会に出ていて戦
後に生きのこった人間の場合、戦争中に、これに協力するか、便乗するか、面
従腹背の態度で処するか、傍観するか、抵抗するか、なんらかの形で実践的に
戦争を評価することなしにはすましてこられなかったはずであるから、その当
時の実践的評価が今日からふりかえって正しかったかどうかを反省することを
しないで現代の世界にまじめに生きていけるわけはないと思うし、まして日本
史の研究者である以上、学問的見地からのきびしい反省を試みる義務があると
さえ思われるのである。太平洋戦争のトータルな学問的理解が私の能力を超え
た、あまりにも過大なテーマであることを十分承知しながら、あえてこのよう
なテーマの書物を書く決心をしたのは、上のような内的動機があったからであ
った。」と記述していること、家永三郎は、「太平洋戦争」の引用文献から明
らかなように、多数の歴史的資料、文献等を調査した上で「太平洋戦争」(第
一版)から「太平洋戦争」までの各書籍の執筆をしたことが認められるから、
本件記述(1)に係る表現行為の主要な目的は、戦争体験者として、また、日本史
の研究者として、太平洋戦争を評価、研究することにあったものと認められ、
それが公益を図るものであることは明らかである。
 そして、そのような目的をもって執筆された「太平洋戦争」を発行した被控
訴人岩波書店についても、その主要な目的が公益を図るものであったものと認
められる。

 次に、「沖縄ノート」について判断する。沖縄ノートの主題及び目的は、第
2・2(4)イのとおりであり、この当事者間に争いのない第2・2(4)イの事実に、
証拠(甲A3、乙97及び被控訴人大江本人)を総合すれば、沖縄ノートは、
被控訴人大江が、沖縄が本土のために犠牲にされ続けてきたことを指摘し、そ
の沖縄について「核つき返還」などが議論されていた昭和45年の時点におい
て、沖縄の民衆の怒りが自分たち日本人に向けられていることを述べ、
「日本人とはなにか、このような日本人ではないところの日本人へと自分をか
えることはできないか」との自問を繰り返し、日本人とは何かを見つめ、戦後
民主主義を問い直したものであること、沖縄ノートの各記述は、沖縄戦におけ
る集団自決の問題を本土日本人の問題としてとらえ返そうとしたものである
ことが認められ、これに沿うように、被控訴人大江は、本人尋問において、@
日本の近代化から太平洋戦争に至るまで本土の日本人と沖縄の人たちとの間に
どのような関係があったかという沖縄と日本本土の歴史、A戦後の沖縄が本土
と異なり米軍政下にあり、非常に大きい基地を沖縄で担っているという状態で
あったことを意識していたかという反省、B沖縄と日本本土との間のひずみを
軸に、日本人は現在のままでいいのか、日本人がアジア、世界に対して普遍的な
国民であることを示すためにはどうすればよいかを自分に問いかけ、考えるこ
とが沖縄ノートの主題である旨供述している。そして、被控訴人大江は、その
本人尋問において、慶良間列島における集団自決について取り上げたことにつ
いて、「私は慶良間列島において行われた集団自決というものに、歴史の上での
日本、そして現在の日本、特に沖縄戦の間の日本、そして沖縄現地の人々との
関係というものが明瞭にあらわれていると考えまして、それを現地の資料に従
って短く要約するということをしております。」と供述し、また、赤松大尉に
よる集団自決の問題を取り上げたことについて、「私は、今申しました第2の
柱の中で説明いたしましたけれども、私は新しい憲法のもとで、そして、この
敗戦後、回復しそして発展していく、繁栄していくという日本本土の中で暮ら
してきた人間です。その人間が沖縄について、沖縄に歴史において始まり、沖
縄戦において最も激しい局面を示し、そして戦後は米軍の基地であると、そし
て憲法は認められていない、その状態においてはっきりあらわれている本土と
沖縄の間のギャップ、差異、あるいは本土からの沖縄への差別と、沖縄側から
言えば沖縄の犠牲ということをよく認識していないと。しかし、そのことが非
常にはっきり、今度のこの渡嘉敷島の元守備隊長の沖縄訪問によつて表面化し
ていると、そのことを考えた次第でございます。」と供述している。
 これらの事実及び第4・1(4)のとおり、控訴人梅澤及び赤松大尉が日本国憲
法下における公務員に相当する地位にあったことを考えると、沖縄ノートの各
記述に係る表現行為の主要な目的は、前記の反省の下、日本人のあり方を考え、
ひいては読者にもそのような反省を促すことにあったものと認められ、それが
公共の利害に関する事実に係り、公益を図るものであることは明らかである。
 そして、そのような目的をもって執筆された「沖縄ノート」を発行した被控
訴人岩波書店についても、その主要な目的が公益を図るものであったものと認
められる。

(3)  以上によれば、本件各記述に係る表現行為の目的がもっぱら公益を図る目的で
あると認めることができる。(原判決101頁10行目〜110頁3行目)

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