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ドイツ魅力のすべて

参加者がつくる(10)
ライプツィヒ〜マイセン〜ドレスデン

有田焼とマイセン磁器
マイセンの玄関前の馬を背にした我が妻 青い剣がマイセンのマーク
(写真提供:アマデウスさん)
妻が購入したコーヒーカップセット(ドイツ・マイセンにて)
柿右衛門の柿色を再現したマイセン磁器(ドイツ・マイセンにて)

マイセン 磁器発明に命をかけた男
 ヨーロッパの貴族社会で人気が高かった中国の景徳鎮や日本の古伊万里・柿右衛門は「白い金」と呼ばれ、高価な芸術品でした。ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世(位1694〜1733年)は、それらを熱心に買いあさりました。
 1706年、コレクターに飽き足らなくなったアウグスト1世は、錬金術師のヨハン・フリードリッヒ・ベトガーを幽閉して、白磁の生産方法の研究を命じました。
 1708年、ベトガーは、チルンハウス伯爵なふぉの協力を得て、ザクセン地方のアウエ鉱山の原料(カオリンを65%も含んだ磁器用の白色の陶土)と長石を原料とし、1400度の高温で焼くと、長石が溶けて、表面が半透明に輝くという白磁の製造に成功しました。
 1710年、製法の機密を守るため、マイセンのアルブレヒト城AIbrechtsburgで製造を開始しました。これがマイセン磁器製作所です。さらに、発明者のべトガーもこの城に幽閉されました。この頃の作品は、中国の五彩磁器や有田焼の影響を受けていました。
 1720年、べトガーは、白磁の製造秘密を抱いたまま、この城で亡くなりました。
 1730年頃、絵付け師のへロルトが顔料を開発して、ヨーロッパ的なロココ調の作品が作られるようになりました。
 1750年、アウグスト強王の時代、造形家のマイセンのケンドラーなどにより、今日の基盤が作られたと言われています。
 1861年、磁器製作所は、マイセン渓谷のトリービッシュタール(Triebischtal)に移され、現在にいたっています。

磁器と陶器
  土器 b器 陶器 磁器
 色  白〜有 有色 白〜有 白色
釉薬 なし なし あり あり
材料 赤土 粘土(鉄分含) 陶土(カオリナイト
を含まない粘土)
磁土(長石が主)
焼成温度 800 1200 1300 1500
焼き方     酸化焼成・還元焼成 還元焼成
製品 縄文土器
弥生土器
萬古焼・備前焼
高取焼・常滑焼
信楽焼・薩摩焼
益子焼・土瓶
有田焼・九谷焼
清水焼・砥部焼
有田焼(伊万里焼)のヨーロッパへの輸出
 中国政府は、海禁令を出し、磁器の輸出を停止しました。
 1647年、中国の商人は、カンボジアに伊万里磁器を輸出しました。
 1650年、オランダ東インド会社は、伊万里焼(有田焼)を購入しました。
 1659年、伊万里焼(有田焼)は、大量に中東やヨーロッパに輸出されるようになりました。

 江戸時代、肥前地区(有田が中心)で生産された磁器は、「伊万里焼」と呼ばれていました。有田を中心に焼かれた磁器は有田近くの伊万里港から積み出されていました。つまり、伊万里港からの磁器という意味です。江戸時代に作られた有田焼(伊万里焼)は、「古伊万里」と呼ばれています。
 現在、有田で焼かれた磁器を「有田焼」、伊万里市で焼かれた磁器を「伊万里焼」と呼ばれています。

酒井田柿右衛門の詳細←クリック

ドレスデンを流れるエルベ川
(写真提供:ヅカさん)
マイセンの磁器タイルで作られた君主の行列(壁画)
(写真提供:旅大好きさん)

ツアーコンダクター美奈子さんの旅のメモです
 今日は、朝9時半にホテルを出発。いつもより少しゆっくりです。
 昨日は、ゲーテ街道をドライブしましたが、さらに足を延ばして、旧東ドイツの街、マイセンとドレスデンに行きます。
 ゲーテ街道とは、ゲーテゆかりの街を結んだ街道(フランクフルト〜フルダ〜アイゼナッハ〜ヴァイマール〜イエナ〜ライプツィヒ)です。
 生誕地フランクフルトから半生を過ごしたワイマール、青春時代を過ごしたライプツィヒまで約380qをバスで走行します。 
 マイセンでは、磁気工房を見学。日本語のイヤホンを聞きながら、目の前で絵付けの様子などを見せてくれました。
 その後、ショッピングタイム。皆さま、色々と買われていましたね。
 マイセンは青い剣がトレードマーク。
 マイセンは、有田焼から大きな影響を受けていて、佐賀県の有田市とは姉妹都市です。
 昼食はマイセンの街のSchoenitzで
 サラダ、ロールキャベツ、ゼリー(?)固まってなかった!!
 旧市街で、少しだけ散策の後、ドレスデンに。暑くなってきましたね。
 ドレスデンは、エルベ川の水路を活かして繁栄した街です。
 ザクセン王国の首都として、芸術・文化の都として華やいだ。
 1945年の大爆撃で崩壊しますが、統一後、修理も進み、美しい姿を取り戻しています。 
 ブリュールのテラス
 16世紀の要塞跡で、ブリュール伯爵が18世紀のここに庭園を造ったことに由来します。緑が多く、気持ちよかったです。
 聖母教会
 1945年、空襲で一夜にして崩壊してしまいました。
 1993年から再建され、現在は再び美しい姿を取り戻しています。
 君主の行列
 ザクセンの歴代君主の壁画。長さ100メートルで、2万5000枚のマイセンの磁器の対うが使われています。
 宮廷教会
 ゼンパーオペラ
 設計者ゼンパーの名前に由来するオペラ座。
 ワーグナーの『タンホイザー』はここで初演されました。ウェーバーは音楽監督としても活躍しました。
 アルテマイスター絵画館
 ツウィンガー宮殿内にある美術館。
 ラファエロ、レンブラント、グラナッハ、ルーベンスなどがあります。
 その後、Ramadaホテルにチェックインです。
 夕食も、ホテル内のレストランで、バイキング料理でした。
 バイキングだとついつい食べ過ぎてしまいますね。

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