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ごあいさつ

第四回は司波幸作著『元禄忠臣蔵の舞台』

(赤穂市文化振興財団)

 
私達夫婦のライフプランに夢を追加させた労作

 私は松尾芭蕉の『奥の細道』の旅を住家とする生き方に魅せられていました。
大学時代は地図を買い求めて、芭蕉と同じ行程を同じ日数で歩くデスクプラン
を作成しました。しかし、私より早く実行した人が現れたので、このフィールドワ
ークは未遂に終わりました。 
 今から12年前にある本に出会いました。その本はもう一度行程は違うが、未
遂に終わったフィールドワークにチャレンジするきっかけを与えてくれました。
それがこの司波幸作氏の『元禄忠臣蔵の舞台』です。
 司波氏は”おわりに”に「この調査をはじめてかれこれと二十年の歳月が過ぎ
ようとしている。花岳寺義士墓所の忠義塚に魅せられてから、未熟な拓本をとり
はじめたのが事の始まり」と書いている。つまり二十年かけて全国に散在する
義士ゆかり史跡の拓本をとった集約がこの本だというわけである。
 東京・京都はもちろん、北は岩手県、南は鹿児島まで拓本とりの旅は続く。
史跡そのものの写真、そこからとった拓本、旅先で袖ふれ合った人に依頼した
のか拓本をとっている氏自身の写真などが数多く載せられている。私がホーム
ページを始めた頃は、色々とお世話になっている。
 先人がすでに全国にある義士の史跡を写真化している。しかし、白黒のアナ
ログ写真である。それならば私は、カラーでデジタル写真をホームページで全
国に紹介する道は開けている、と5年ほど前から氏の本をガイドブックとして、
全国の史跡巡りに出かけることにした。20年後といえば、私は75歳になってい
る。これが完成するまでは、どこから迎えに来ても行かないことに決めた。
 
今も夫婦で全国の義士関係の史跡巡り
大きな生きがいの一つ
 この本のガイドとして優れているのは、苦労して現地を取材していることであ
る。”小野寺十内丹の墓”については、「久昌院の狭い路地を入って奥まった
処に『梅心院妙薫日性信女』こと丹の墓である。明徳高校のブラスバンドの外
は静かな寺町通りだった」とある。
 私はデジタルビデオカメラ、妻はデジタルカメラを持って、出来るだけ当時を
体験するということで、歩く、歩く。3時間に及ぶこともある。このガイドブックに
よって東大路通西方寺にある小野寺一族の墓は地元に人に教えてもらって
すぐ撮影できた。しかし、その妻丹の墓の場合は「久昌院」が、聞いた人によっ
てまちまちで、あっちへ行き、こっちへ行き、ふらふらになっていた。そこで本
にある「明徳高校のブラスバンド」を話すと、明徳高校は他の場所に移転して
いたが、たちまち一件落着した。
 私たち夫婦が連休を利用して歩いた史跡もかなりにのぼる。新発田市(中山
安兵衛の誕生の地)、山形県米沢市(上杉氏の本拠)、東京は3度、吉良町、
三次市など。氏の歩いた個所にはまだまだ及ばない。生きがいの一つとして今
も計画に余念がない。
司波氏の写真を紹介しているHP
@間瀬定八の墓(大島)へリンク
A堀内伝右衛門(山鹿)へリンク
デジタル写真時代の忠臣蔵
ブロードバンド時代の忠臣蔵

 私は氏の功績を引き継ぎ、また、生きがいを享受しながら、新しい試みも実
行している。それは全国の義士史跡のある地元に人と連携しながら、情報を
交換していく方法である。少しづつではあるが、各地からデジタル写真がメー
ルで送られてきている。それをオームページ化している。
 ブロードバンドの時代になると、忠臣蔵の史跡や物語を映画化して、ホーム
ページ上にアップロードできる。この春、私は観光ビデオ『高校生から見た忠
臣蔵』(53分)を完成させた。動画(ビデオ・映画)がホームページ上で鑑賞す
る時代が必ず来る。そのためにも司波氏の訪ねた史跡をデジタルビデオ化し
ておきたい。氏のお陰で、充実したライフスタイルを設計できそうだ。
寄せられた写真を紹介しているHP
@堀部安兵衛の碑(東京)へりんく
A小野寺十内の墓(兵庫)へりんく

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