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ごあいさつ

第六回は渡辺世祐著『正史赤穂義士』

膨大な史料を駆使した正史

 刃傷から46士の切腹まで当時(昭和50年発行)
入手できる限りの史料を使って赤穂事件を語り尽く
した書物は必読に値する。
 著者は文学博士という称号を冠している。大学教
授で専門的に赤穂事件を研究した人は、この渡辺
氏が最初という意味であろうか。
 この本を校訂した井筒調策氏は「三田村玄龍(鳶
魚)氏の労作『元禄快挙別録』には感心させながら
も、同氏(渡辺世祐氏のこと:筆者注)が、良き底本
や根本史料に拠らなかったことを惜しまれ、その誤
りを指摘された」と書いている。
 著者は第三回のここで紹介した松島栄一氏と同じ
く東京大学史料編纂官という有利な立場を活かして
いる。平成4年版の帯封には「古文書・手紙・遺書
等真実の記録のみで綴った小説以上に面白い元禄
時代の真相」とある。

重要な場面には第一次史料を多用
読むものを圧倒する重量感

 今は赤穂市発行の『忠臣蔵第三巻』で必要な第一
史料を読むことができるが、昭和50年段階ではこの
書物がその地位を占めていた。次々に出てくる史料
が重要なシーンを鮮明に説明する。いまさらながら、
一行の史料の重みをつくづくと感じたものです。
 たとえば、瑶泉院の公金を大石内蔵助が討ち入り
費用に流用したという批判が以前からあった。しかし、
「去冬得御意置候通、去春於赤穂預り候御金去年已
来一儀之用事ニ差遣申候様子委細帳面ニ相認候通
御座候」とあり、史料を丹念に探せばほとんどの赤穂
事件批判は霧消していまうのである。

事の重要性の捉え方の差
それを埋めるのが後世の課題

 吉良上野介の傷を治療した栗崎道有のカルテが紹
介されていて、初見したときはとても感動した。しかし、
最初は内匠守が乱心だったので公傷として幕府が手
当てしたが、後に乱心ではないことがわかったので、
幕府は治療から手を引いたと概説的に述べている。
 この喧嘩両成敗の決定が将軍によって変更されたこ
とが、後の討ち入りにつながるだけに、このシーンの説
明は史料に語らせてほしかった。
 当時(昭和50年)という歴史的な制約があるとはい
え、かなりの場面で史料に基づかない説明がある。
この空白を埋めるのが後世に与えられた重い課題と思
っている。 

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