homebacknext

ごあいさつ

第十回は井上ひさし著『不忠臣蔵』

忠臣蔵ファンにはショッキングなタイトル

 井上ひさしさんと言えば、著名な作家である
と同時に話題の劇作家でもある。遅筆で有名
で、そのため講演がよく延期されるが、そのた
め演劇界からボイコットされたこともない。それ
ほど実力があり、興味を覚える人といえる。
 新聞やTVでの発言を知ると、私には想像を
越えたユニークな発想に、いつも驚かされる。
 この本のネーミングについても、ひさし流の
思いが見られる。討入りに参加しなかった赤
穂浪士を不忠義士と罵倒する忠臣蔵ファン
が多いが、彼らも討入り計画を漏らさなかった
ことから、私は彼らも陰の義士と考えている。
構成
 討入りに参加しなかった赤穂浪士のうち、酒
寄作右衛門・灰方藤兵衛ら19人をひさし流得
意の切り口で紹介している。そのうえ不忠臣蔵
年表まで付けている。ここでは安井彦右衛門、
毛利小平太、橋本平左衛門を取り上げる。 
 
安井彦右衛門
刃傷事件以前に、主従の縁は切れていた
 「宝永5(1708)年、公儀、津和野藩に禁裡御造営御手伝普請を命ず。その費用、金3万
5800余両」という史料を元に井上ひさし氏は次のようなどぎもをぬく話を展開する。
 赤穂浪士が討入り後、安井彦右衛門は姿を隠す。用人があちこち探すが、殆どの人から罵
倒される。ふと津和野藩筆頭家老の多胡外記と親しかったことを思い出し、訪ねる。多胡から
びっくりすることを聞かされる。
 安井は今度の勅使接待役が浅野内匠頭に決まりそうだという話を聞き、江戸詰め家老や留
守居の前で、吉良上野介と内匠頭の性格の不一致を考え、予算の半分と上野介没後引き受
けるからという条件で、苦労して根回しし、やっと出羽新庄戸沢家に引き受けてもらうことにな
った。所がこの話が内匠頭の知るところとなり、「大役を務めた後は、汝の首をはねてやる」と
脇息を安井めがけて投げつけたという。安井はこの時赤穂の家中士を辞めていた。
 津和野藩にはこのような人物が欲しいと説得している最中であるが、なかなか承知してくら
ない。ほとぼりが収まるまで津和野で静養してもらい、その後江戸に出て来てもらうはずだ。
毛利小平太
最後までスパイとして、捨て駒となる
 討入り義士木村岡右衛門が討入り後預けられた伊予松山松平家の世話役波賀清太夫に
毛利のことを語る。
 大石内蔵助は「吉良家の備えが150名以内ならば、50名による奇襲で勝算あり」と考えて
いた。しかし、吉良邸に運び込まれる食料などから人数を割り出すと250人になる。この人数
に異を唱えたのが、毛利で「これは吉良家家老小林平八郎の策略である。私は炊ぎの煙か
ら見て100人前後である」と話しました。
 これが縁で毛利は吉良家出入りの茶器店岡崎屋に住み込み、吉良邸をスパイすることにな
りました。これが、相手に分かってしまった。そこで木村はその立場を利用して、こちらの偽情
報を吉良邸に流すことを提案する。
 毛利が尾行されていることを知って、木村は地面に『明夜討入り決行』と書き、「我々も吉良
を追って米沢に行く」と言う。『明夜、小平太は遊女を買う』と書き、「それまでのんびり命の洗
濯をしておくがよい」と言う。毛利はなぜ同志と行動を共にできぬのか、そう言いたそうでした。
 小平太が遊女と遊んで討入りできなかったという話を、井上氏はこう解釈する。
橋本平左衛門
「おれの心の底の涼しさを見せてやる」と遊女と心中
 あの有名な近松門左衛門に語る橋本平左衛門心中のいきさつである。
 淡路屋のお初には、借金や証文に金縛りになって死ぬことさえままならぬわが身にひきか
え、この世から一途に引き揚げようと決心している橋本が羨ましく思えた。
 あるとき、橋本の愛刀がない。詰問されて、橋本は「淡路屋のお初を身請けしようと思ってい
る。それで刀は預けている」と答える。早水藤左衛門らは「好いた女と世帯を持っておもしろお
かしく暮らしたいのだろう」と迫ると、橋本は「この世をさよならする前に一人ぐらいし合せにし
てやってもいいではないか。待望は捨てていない」と返事する。なおも「ひとりでこっそり事を運
ぼうとしてところがあやしい」と言うと、橋本は「この橋本平左衛門も心の底の涼しさを3日のうち
に見せてやる」
 この3日目の朝、橋本は淡路屋お初を殺し、自らも喉笛をかき切りました。同志に勇気を疑わ
れて絶望したのだと思う。
 これを聞いた門左衛門は「心の底の涼しさは死ぬこと以外のやり方では、はっきり見せること
ができない。おかでげ来月の竹本座の幕も無事に開く」と喜んだ。
 橋本平左衛門がお初と心中した事実から、井上氏は話を発展させる。
劇作家井上氏
橋本平左衛門の話が真骨頂

人間の評価は忠・不忠、左・右でなく
東西という物差しで
 私たちは人を評価する時、「あの人は立派だ」とか「あの人は乱暴だ」とかいう。しかし、その
人の深奥に触れずに評価しているため、後で後悔することが多い。自分の左・右は一見客観
的に見えるが、相手から見れば逆になる(川下から見た左・右は川上から見ると逆になる)。つ
まり左・右という様な自分の主観的な物差しで計っているからである。誰が見ても客観的であ
る東西(川上から見ても川下から見ても同じ)の様な評価をする。なかなか出来ない。それでい
いのである。
 いろんな見方があっていい。いろんな見方を集めた総合が人間の評価になる。いろんな見
方があるから面白い
。どこを切っても金太郎飴ではつまらない。そんなことを教えてくれた一
冊の本であった。

indexhome