ごあいさつ |
第十一回は赤穂市立歴史博物館編『検証・赤穂事件1』 |
「忠臣蔵」のホームページをアップしたのが 1996(平成8)年である。毎月14日に忠臣蔵 新聞などを掲載してきて今回で199号を数え る。お陰で色んな方からメールが届く。多い時 には30通になるときもある。少ないときでも毎 日1通はある。IT革命の恩恵を受けていると実 感している。 そんな中で、最初に読む「忠臣蔵」の本はと か、史料中心の本はとか、書籍に関する問い 合わせも増えてきた。今回は推薦する図説を 紹介する。図説に関してはたくさん発行され、 私もお世話になっている本があるが、特に感 動した本を2回に分けて紹介したい。 その1は「殿中刃傷から赤穂城明け渡しまで」 を扱っている。次回紹介するその2は「討入り へ、そして本懐、事件後」を扱っている。 |
|
『忠臣蔵第二巻』の図説編という性格 られる。しかし、『検証・赤穂事件1・2』はそうした妥協を配して、「たんたん」と図説史料の積み 重ねを行っている。先に赤穂市が発行した史料集『忠臣蔵第二巻』の図説編という性格を持っ ている。 カラー図版には人物として吉良町・華蔵寺の「吉良義央坐像」、京都山科・岩屋寺の「浅野長 矩画像」、赤穂・光浄寺の三代座像(長直・長友・長矩)が紹介されている。 地図として1700年頃の「江戸城本丸御殿表向絵図」、元禄14(1701)年の「播州赤穂城図」、 同年の「赤穂城本丸指図」などが紹介されている。 特に秀逸は影印である。『忠臣蔵第二巻』は多用させてもらったが、何しろ印刷本である。後 世の筆写とはいえ、毛筆字の原本は見る者を感動させる。ある人には「たんたん」と羅列されて いるが、読む者に主体的な態度を迫る編集方針は好感を持たせる。『梶川与惣兵衛日記』、 『多門伝八郎覚書』、『栗崎道有記録(金瘡部)』、『赤穂城引渡覚書』(岡嶋八十右衛門覚書)、 その他興味があったのが、岡山藩の忍びの報告集である。今も昔も「情報を征する者が時代を 征する」と感じさせる存在となっている。 モノクロ図版では影印がやはり圧巻である。一関市博物館の『御用留書留』(御用留書抜か)・ 『浅野内匠頭御預之覚』、『老中連署奉書』、赤穂市立歴史博物館の『赤穂浪人明屋敷改帳』、 龍野市立歴史文化資料館の『赤穂城御請取書留』 る。影印については、『忠臣蔵第二巻』で取り上げていない部分については、「釈文」として原文 を紹介している。 忠臣蔵のふるさとである赤穂ならではの企画となっている。地元だけに多くの史料が残されて いることが強みである。そのため、他市の企画に協力した「見返り」(?)に、貴重な史料も借り出 しすることができるのだろう。地元赤穂で垂涎の的である史料が見られて幸甚である。 事件当時から庶民が支持した証拠 |