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ごあいさつ

第十六回は祥伝社
井沢元彦著『激論 歴史の嘘と真実』

TVや著作物で超売れっ子井沢元彦氏
歴史家松島栄一氏の前では
「小説の上での推理」と謙虚
 「忠臣蔵」のホームページをアップしたのが
1996(平成8)年である。毎月14日に忠臣蔵
新聞などを掲載してきて今回で204号を数え
る。お陰で色んな方からメールが届く。多い時
には30通になるときもある。少ないときでも毎
日1通はある。IT革命の恩恵を受けていると実
感している。
 そんな中で、最近出版された忠臣蔵関係の
書物の傾向・特徴はどんなものかという問い合
わせもあった。今回取り上げたのは、職場の
同僚が「大石内蔵助は公金を押領している」
とか「泉岳寺で切腹しなかったのは臆病者で
ある」とか盛んに挑戦状を出してくる。その出
所を確認すると、井沢元彦氏という。新聞のT
V欄にもよく出てきているし、本売り場にもぎっ
しりと並んでいる。歴史にかなり詳しい人がそ
んな「ええ加減」なことをいう筈はないと思って
いた。
森浩一氏・半藤一利氏・松島栄一氏と
対談する実力者井沢元彦氏
 森浩一氏は『天皇陵古墳』などの著作がある考古学の権威者で、常に新しい主張は私も含め
多くの人に衝撃を与え続けました。半藤一利氏の『ノモンハンの夏』を読んで、当時も今も歴史の教訓を学ばない日本
人の体質を知り、びっくりしたものです。松島栄一氏は東大史料編纂所時代の史料を元に『忠臣蔵』(岩波新書)をあ
らわし、私の原点になった方です。そんなそうそうたる方と対談する井沢氏も大した人物に違いないと早合点してこの
本を買ったしだいである。
のっけから白旗を揚げる井沢氏
 ところが、松島氏に対し、井沢氏は”なにぶん小説の上での推理”とのっけから白旗を揚げる。TVや著作物のように
反論する人がいない所では、「常識を信じるな!視点を変えよ」自説を主張する。
次々自説を否定される井沢氏
 次に井沢氏は少し長いですが、引用すると、”浅野内匠頭が吉良上野介に「この間の遺恨、覚えたか」と言って正面
から斬りかかりますけど、本当は後ろからなんですよね。それについては、事件現場に居合わせ、浅野内匠頭を抱き
留めた梶川与惣兵衛の『梶川筆記』にははっきり書いてあるんです。つまり、老人を不意打ちしているわけ。”
 これに対して松島氏は”『徳川実紀』によると、前から斬った、とあるわけだから後ろからと言い切ることはできないん
です。前と後ろに二ヶ所傷があるからね”と井沢説を軽く一笑する。
 続けて井沢氏は”刃傷の原因についても塩の問題、賄賂の問題と諸説ありますが…”と自説を披露する。松島氏は
これについても”これもいろいろ説があって、決定的な原因と言えるものはないんです”とあしらわれる。
 さらに井沢氏は”僕は吉良の領内に行って評判を聞いてみたんですけど、すごくいいんです。…農民のために堤を
作ったりした事実は残っていますので…強欲だったんではない、と僕は思うんです。”と体験談を述べる。松島氏はこ
れに対しても”だけど、僕は吉良が「悪人」ではなかったとは、必ずしも言い切れないと思うんです。”と否定する。
 これほど自説を否定されては対談をする意味もない。最後には自説を引っ込めて、井沢氏は”一つわからないのは、
大石たちは討ち入りを終えた後、なぜすぐに腹を切らなかったのですか”と謙虚に聞き役になっている。大石らを臆病
者と言っては、恥をかくと考えたのだろうか。井沢説を信じた人を何と心得ているのだろうか。
 松島氏はその辺には触れず、”幕府の裁きを見つめたいという気持ちが浪人たちにあったと思うんですよ”
同じ小説家司馬遼太郎氏のすごさ
印税をその人物に関する書籍にすべて投入
 大学院の修士論文で「司馬遼太郎論」を取り上げた私の同僚から聞いた話である。司馬氏は一行の史料を見つけ
るとそこから様々なイメージが湧いてくると言う。そのイメージがより確実により厳密にするために、その人物に関する
全ての書籍を古本屋から買い集めるという。その資金に印税の全てと前回に買い集めた書籍を全て売り払うということ
だった。
 司馬氏の『街道が行く』の播磨路を読んだとき、同じ文章で同じ体験をしても、これほどの示唆にとんだ、深い読み
をする人に出会ったことがない。歴史家は文字を吟味し、小説家は文字と文字の間にある意味をとことん突き詰める。
そこに人間を心情を映し出す。この心情が現在の通用する場合、この小説は時代を超えて愛される。
 同じ小説家であっても、ちょっとしたひらめきを深く検証することもなく、ぺらぺらしゃべる。またそうした人物をもては
やすマスコミ世界。いつまでたっても、司馬氏や松本清張氏の地位は維持される。悲しい現実である。
 この本は恥ずかしくて出版できないと思うが、そこら辺の「ええ加減さ」が井沢氏の大物たるところかも知れない。
吉川英治賞作家皆川博子氏に質問
「吉良邸内にいたのは20人ぐらい
あれは暴力だ」という根拠は?
 この対談でびっくりした発言をしているのが皆川氏である。彼女は吉川英治文学賞を受賞している女流小説家であ
る。皆川氏は「驚いたのは吉良上野介の息子、義周のことを書く時にいろいろと当時の資料を調べてみたら…当時の
記録で読みますと邸内にいたのは20人ぐらい。しかも、お屋敷の中に詰めていたのはわずか12人」とあっと驚くこと
を発言している。これが事実なら忠臣蔵のストーリーも大きく変更を余儀なくされる大発見である。いろいろ調べられた
資料とは何々か。いろいろと言うからには複数の資料を調べられたのであろう。
 皆川氏はそれを前提に「討ち入りなんて予測もせず静かに暮らしていたんですよ。そこへいきなり武装して、鎖帷子
つけて弓矢持ってでしょう。…これを読むと腹が立って、あれは暴力だと思うんです、私は。こんなことを言ったら、熱
烈な義士ファンに殺されちゃうかしら(笑)」と事実に基づかない推論をする。これが吉川英治文学賞をもらった小説家
かと思うと、こちらが腹が立つ。本当にこんな暴論を吐露して義士ファンに殺されると思っているのか。オメデタイ!!
余りの暴論に松島氏は黙殺
一級史料では死者16人、負傷者23人、逃亡者4人の計43人
 『江赤見聞記』や『吉良本所屋敷検使一件』(幕府目付の記録)などによると、死者は16人、負傷者23人、逃亡者4
人の計43人を数える。まともな小説家なら一級資料を読んで欲しいものである。一級も二級も分別できない小説家を
三流という。 
 吉川英治氏は司馬氏と同じで文字の間の人間の心情を穿つことに秀でた小説家である。昔の『宮本武蔵』が今な
お読み継がれているのは、その故である。吉川英治氏はこの対談を読んで、あの世でどう思われているだろうか。

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