ごあいさつ
第ニ十三回は中経出版
山本博文著『忠臣蔵のことがおもしろいほどわかる本』
最も事実に近い本当の忠臣蔵」 サブタイトルから山本氏の日頃の不満が感じられる 史料による「忠臣蔵」論は未だ色あせず 膨大な史料の編纂、史料を検証した作品などは既に紹介した。遊びの中から別な人生模様を紡ぎだした小説も紹介した。司馬遼太郎さんや三谷幸紀さんなら一行の史料からどのように『忠臣蔵』を描写するだろうか、なんて、果かない夢を追いかけている自分を発見する。 そんな時に手にしたのがこの本である。タイトルでなく、史料編纂所教授という肩書きに目がいったからである。同じ史料編纂所に勤めていた松島栄一氏の『忠臣蔵』(岩波新書)が私の原点であることは既に紹介した。再びふるびたエンジンに点火なるかという思いで読みふけった。 山本氏はあとがきで「これまで出版された”忠臣蔵”モノの中でもっともわかりやすいものをというのが当初の目標だったが、それと同時に、もっとも確かな本に仕上がったのではないかとも自負している」書いている。最近の一冊の本をあげるなら躊躇なくこの本を推薦するだろう。 |
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紹介した史料の多さにびっくり | |
1 | 「松の大廊下の刃傷事件」では『梶川氏筆記』『元禄年録』 |
2 | 「浅野内匠頭の切腹」では『田村家浅野長矩御預之節控』『多門伝八郎覚書』 |
3 | 「浅野はなぜ刃傷におよんだか」では『田村家浅野長矩御預之節控』『江赤見聞記』『土芥寇讐記』 『田村右京大夫殿江浅野内匠頭御預一件』『鸚鵡籠中記』『堀部弥兵衛金丸私記』 |
4 | 「急報、赤穂へ」では『岡島常樹覚書』『江赤見聞記』『堀部武庸筆記』 |
5 | 「籠城か、切腹か」では『江赤見聞記』『堀部武庸筆記』『武家諸法度』 |
6 | 「堀部安兵衛ら、赤穂に下る」では『江赤見聞記』『堀部武庸筆記』 |
7 | 「赤穂城引き渡し」では『江赤見聞記』 |
8 | 「浅野内匠頭の法要」では『堀部武庸筆記』 |
9 | 「大石内蔵助の山科隠棲」では『江赤見聞記』 |
10 | 「浅野家最高の運動」では『江赤見聞記』『堀部武庸筆記』『堀部弥兵衛金丸私記』 『浅野内匠殿家来松平隠岐守江御預け一件』 |
11 | 「江戸急進派の動き」では『江赤見聞記』『堀部武庸筆記』『浅野内匠殿家来松平隠岐守江御預け一件』 |
12 | 「浪士たちの再結束」では『江赤見聞記』『堀部武庸筆記』 |
13 | 「大石内蔵助の遊興」では『江赤見聞記』 |
14 | 「京都・円山会議」では『江赤見聞記』『金銀請払帳』 |
15 | 「神文返し」では『江赤見聞記』『浅野内匠殿家来松平隠岐守江御預け一件』『親類書』 |
16 | 「大石内蔵助、江戸に入る」では『江赤見聞記』『寺坂信行筆記』『寺坂私記』 |
17 | 「討入り準備と脱盟者たち」では『江赤見聞記』『寺坂私記』『義士江戸宿所并到着附』 |
18 | 「赤穂浪士たちの手紙」では『江赤見聞記』『赤穂義士史料』『金銀請払帳』 |
19 | 「討入り日の決定」では『江赤見聞記』 |
20 | 「いざ、吉良邸へ」では『江赤見聞記』『泉岳寺書上』『赤城士話』『赤穂義士史料』 |
21 | 「屋敷内での戦闘」では『江赤見聞記』『米沢塩井家覚書』『野本忠左衛門書面之写』 |
22 | 「吉良上野介の首」では『江赤見聞記』『富森助右衛門口上書』『寺坂信行筆記』『米沢塩井家覚書』 |
23 | 「泉岳寺引き揚げ」では『江赤見聞記』『赤穂義人纂書』『米沢塩井家覚書』『上杉家年譜』 |
24 | 「四家に預けられた浪士たち」では『白明話録』『細川家御預始末記』『久松家御預人始末記』 『水野家御預記録』『評定所一座存寄書』『徳川実紀』 |
25 | 「四十六士の切腹」では『細川家御預始末記』『堀内伝右衛門覚書』『江赤見聞記』『介石記』『白明話録』 『赤穂義人纂書』『久松家御預人始末記』『水野家御預記録』 |
26 | 「吉良左兵衛の処分と浪士の遺族」では『諏訪家御用状留帳』『江赤見聞記』 |
「家族を残して仇討ちに行く」ことについても、山本氏は「忠臣蔵は江戸時代の話で現代の感覚で判断してはいけない。武士の社会では”武士道”という道徳が何より優先される」と説く。 私は当時の史料を現代風によみがえらせている。しかし、現代の資本主義社会の目で、当時の封建社会を見ても意味がないと主張している。山本氏の主張に同感である。 | |
アメリカ人の集団主義と個人主義 日本人には集団主義の中に個人主義はあるのか 同時に忠臣蔵の「公共的精神」は大切だが、「実際にはどの方向に向かっているのかを、自分で判断できる理性」が必要だと説き、その視点がなければ、この精神は悪用される歴史が再び甦るとしている。重要な意見である。 以前私はアメリカ人のALT(英語助手)に日本史の英訳を手伝ってもらったことがある。そのお礼に宴席を設けたが、かれは仲間が集う所へ行きたいという。ある程度の予算を考えていたので、承知した。彼が行った所は 居酒屋ではあったが、20人近くいた。一瞬を財布を押さえた。地元であるので、足が出れば、後払いも出来るだろうと覚悟して楽しんだ。次々「お先に…」と挨拶して帰って行く。最後まで残ったのはALTとその友人の4人となった。いざ支払う段になった時、居酒屋の主人が「彼らは自分で払って帰っていきますよ」と言う。私はその時アメリカ人は集団で来ても帰りたいときは個人で帰る。「おごってもらうから、いやでも、付き合う」という習慣がないことを知った。 上司に接待された行った時、個人的に用事があって先に帰ろうとすると、「わしと一緒に酒が飲めないのか」と恫喝される。運動部のクラブでも、非科学的・個人的な指導を強制する。日本軍の中では上官にいじめられた部下が、戦闘の最中に「弾は前からばかり飛んでくると思うなよ」といったという腐敗した軍部の話をあちこちで聞いたことがある。山本氏が指摘するように、集団の中の個人の確立が、特に日本では必要であると実感した。 |