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ごあいさつ
第ニ十四回は柏書房
吉田豊・佐藤孔亮著『古文書で読み解く忠臣蔵』

書評忠臣蔵2年後に取っておいた1冊の本
IT革命がもたらした1冊の本
メールから始まった1冊の本
大石内蔵助や堀部安兵衛の直筆が見れる1冊の本
 書評忠臣蔵が24回続く事があればと残していたのがこの本である。 
 出版のいきさつを著者吉田豊氏は「あとがき」で次の様に書いている。
 「赤穂事件関係文書を影印で読んでみようと思い立ち、最初に向かったのはパソコンでした。「忠臣蔵」に応じてくれたホームページの中で、待ってましたとばかりに現れたのが兵庫県立赤穂高校のページです。事件の経過を追って関連史料の要点を解読文で掲載し、史料の所蔵先まで教えてくれていて、図版を含め、単行本一冊分以上にもなる史料集です。担当者は同校の有政一昭教諭と知り、早速メールで教えを乞いました。おかげで以来、赤穂市立歴史博物館の小野様、高光寺の三好様と通じあうことが叶い、以来長期にわたり多大のご協力を賜ることとなりました。今や、忠臣蔵に関わる仕事は、赤穂を抜きにしては決して成功しないと思っています。」
 吉田氏には赤穂(赤穂城)で2度お会いし、東京(江戸城松の廊下跡)で1度お会いした。
影印(当事者の直筆)で紹介された史料
「梶川氏日記」 刃傷事件目撃者による記録
「栗崎道有記録」 額の傷は三寸五、六分
「田村家御年代記」 内匠頭、庭先で切腹
「多門伝八郎覚書」 目付の異議申し立て
「徳川実紀」 賄賂説をとった幕府の公式記録
「岡山藩忍びの報告T」 忍びの者・赤穂城下潜入記
「岡山藩忍びの報告U」 大石内蔵助の胸中を探る
「幕府条々」 赤穂城下に掲げられた高札
赤穂城受城使任命状 脇坂・木下両大名に赤穂城受け取りの命令
10 「赤穂城御請取書留」 神妙に城明渡す
11 「開城の状況」 忍びの者の報告
12 「浪士の手紙@小野寺十内」 妻へ-飢え死にも覚悟されよ
13 「浪士の手紙A大高源五」 母へ-悲しみ申さぬよう…
14 「浪士の手紙B岡野金右衛門」 母へ-念仏を頼みます
15 「浪士の手紙C早水藤左衛門」 兄へ-義絶の証
16 「浪士の手紙D小野寺幸右衛門」 寺へ-母をよろしく
17 「浪士の手紙E冨森助右衛門」 堀内伝右衛門へ-切腹を目前に
18 「浪士の手紙F大石内蔵助T」 同志へ-決意を内に
19 「浪士の手紙F大石内蔵助U」 寺々へ-討入り前夜の暇乞い
20 「起請文」 赤穂奥藤家に残る連判状
21 「寺坂信行自記」 討入りのマニュアル
22 「金銀請払帳添状」 大石から瑤泉院へのメッセージ
23 「聞書」 討入り日決定
24 「冨森助右衛門筆記」 吉良邸内戦闘詳報
25 「浅野内匠家来口上」 共に天を戴くべからず
26 「上野介の首受取状」 吉良左兵衛が泉岳寺僧に書いた父の首受取状
27 「野本忠左衛門見聞書」 討たれた側が見たもの
28 「堀内伝右衛門覚書T」 義士インタビュー集
29 「評定所一座存寄書」 事件処分に揺れた幕閣議事録
30 「処分申渡し覚」 幕府最終判決
31 「吉良左兵衛関所手形」 吉良左兵衛が小仏を通過したときの関所手形
32 「堀内伝右衛門覚書U」 義士の最期
33 「徳川実紀」 将軍の苦悩と決断
歴史の先端のIT革命と、忠臣蔵がドッキングした物語
 「今やIT革命の時代である」とよく言われるが、革命と定義されるからには産業革命的な時代を大転換する内容がなくてはなりません。そういう点ではこの度出版された『古文書で読み解く忠臣蔵』はまさにIT時代の産物だといえます。
 地方にいて、マス=メディアのような資本も設備もない者が、このような出版に関わることになることが、まさにIT革命の象徴といえるからです。
 ただ吉田先生は、「あとがき」で上記のような”いきさつ”を書いておられますが、私にとっては座り心地がよくありません。というのも、三好一行さんの高光寺は赤穂浅野家の祖である浅野長直の奥さんの菩提寺でもあり、赤穂市史編纂室時代には多大のご教示を賜りました。また、小野真一さんは赤穂市立歴史博物館の学芸員でもあり、色々な忠臣蔵の史料の著作権などでお世話になりました。
 そんな関係で、吉田先生からお話があったとき、三好さんと小野さんを紹介することが私に出来る唯一の仕事でした。この本の赤穂側とは三好さんと小野さんことです。ご苦労様でした。
 この本の完成を記念して、東京から著者の吉田先生、編集者の佐保さんが赤穂に来られました。赤穂側からは三好さん、小野さん、赤穂書房の相生さん、そして私が出席しました。
 吉田先生や柏書房の佐保さんにはIT革命を実感する場を与えていただきました。本当に有難うございました。
(以上の文章は作者のページで使用したものに一部加筆しました)

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