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ごあいさつ
第三十五回は文春新書
岳 真也著『吉良上野介を弁護する』(2)

「上野介を弁護する」ような本もあっていい
「最初からシナリオありき」の本があってもいい
その前提は、左右でなく、東西(客観)的な史料の提供
はたして、岳弁護士は勝訴できるか
私が、検事役で検証しました
 私は、岳 真也氏の『吉良の言い分 上・下』を読みました。これは小説(作り話)なので、特に感想はありませんでした。『言い分の日本史-アンチ・ヒーローたちの真相-』では、18ページを割いて「吉良上野介」が取り上げられていました。
 政治評論家の三宅久之氏がTV番組で「専門以外のことは、そうかと聞いてしまう」と言われていました。私も同感で、岳氏が取り上げた田沼意次について、「本当はこれが真相だ」と言われても、「ああそうですか」と受身になっています。
 しかし、忠臣蔵に関しては、かなり史料を読んでいますので、これが真実だと言われても、反論することが出来ます。18ページを使って、岳氏は上野介を弁護されていました。しかし、使っている史料も雑ですから、出てくる結論も「独りよがり」でした。
 そんなわけで、『吉良上野介を弁護する』も読むだけ徒労と思い、置い読(おいとく)の書籍扱いでした。
 所が、私のホームページを見たという方(テレビ朝日『ビートたけしの悪役のススメ』のスタッフ)からメールが入り、かなりの間メールのやり取りがあり、2004年12月末に放映がありました。そこで、岳氏を知り、メールを送ったところ、詳細は、『吉良上野介を弁護する』に書いているということだったので、今回、精読することにしました。第六章まであり、一章ごとに検証する計画ですが、変更するかもしれません。お付き合い下さい。
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「最初からシナリオありき」の功罪
井上ひさし著『不忠臣蔵』の功(素人の想像を超えた世界へ案内)
井沢元彦著『激論 歴史の嘘と真実』の罪(一部史料のつまみ食い)
 書評忠臣蔵の第10回で井上ひさし著『不忠臣蔵』を取り上げました。これは小説ですが、司馬遼太郎氏のように、私をはるか彼方に案内してくれた、想像力がかもし出した世界でした。
 書評忠臣蔵の第16回で井沢元彦著『激論 歴史の嘘と真実』を取り上げました。忠臣蔵関係は、松島榮一氏との討論形式でしたが、一部の、井沢氏に都合のよい史料をつまみ食いして、松島氏に逐一反論されています。反論する人がいない所では、「常識を信じるな!視点を変えよ」自説を主張する井沢氏は、松島氏に対し、井沢氏は”なにぶん小説の上での推理”とのっけから白旗を揚げています。
史料を多用した「上野介を弁護する」弁護士役の岳氏
史料を多用して検証する検事役の私
「模擬法定のはじまり、はじまり」
 岳氏の『吉良上野介を弁護する』は、史料を多用しています。慎重に対応したいと思います。ここでは、上野介を弁護する岳氏を弁護士役とします。それを検証する私は検事役です。
 検証するために、ページを順に追って説明していきます。
 事実関係は、標準のフォントで記述します。
 弁護士のコメントはピンク色で表示します。
 検事のコメントはブルー色で表示します。
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弁護士が、内匠頭の異常性を指摘するため
病気で、常軌を逸しているなどの情報を集める
背後から切りつけたのが武士でないなら、逃げ惑うのも武士ではない
 岳弁護士は、次の刃傷の背景を述べました。
 「事の起こる三日まえ(十一日)にも、持病の”病気”におそわれた…。その日、内匠頭は”少々御不快”になり、侍医の寺井玄渓が調合した薬を”召上”った。…このたびの役務に追われて”昼夜御精力御尽し”…」(『 冷光君御伝記』)。
 「物ごと取静候事不罷成候…夫故殿中の無御辧及御喧嘩歟」(『江赤見聞記』)
 「不調法之仕形仕」(『江赤見聞記』)(自分はぜんたいが不肖の生まれで、そのうえ持病に痞がござりまして、物事をとりしずめること、まかりなりませぬ。それゆえ今日も殿中をもわきまえず、不調法な真似をつかまつりました)
 「日露戦争の勝利で名をあけた乃木希典も、その点(脇差を振り上げている)をとらえて、内匠頭は武人としての心がけができていない、と評したという」(『考証・赤穂事件』)
 「…其後に不苦候はゞ酒所望に存候旨被仰候処、御挨拶に罷出候もの、御大法にて候間差上申間由申候、たばこは如何と御乞被成候、是も右同前の由申上る」(『江赤見聞記』)
 岳弁護士は、「内匠頭は以前から、痞という病気で、苦しみ、イライラしていました。また、勅使接待のために、心身ともに疲れきっていました。脇差は突くのが常道であるのに、それを忘れるほどの精神状態だったのである。内匠頭は…大罪人の身であり、(田村邸で)ただ裁定を待つはかりであった。そういう状態で、大名ともあろう者が嗜好の品々(酒やタバコ)をほしがるとは、ナンセンス以外のなにものでもあるまい。常軌をいっしている」と、内匠頭の異常性を指摘する発言が続きました。
 検事は、「内匠頭が痞であることは、周知の事実です。脇差で、背後から、切りつけたのも事実です。
 一方的に切りつけられた時、踏みとどまって戦うのが武士であるという指摘もあります。上野介は、武士としての扱いをされていなかったのです。
 田村邸でのことに関しては、大罪人をもてなす作法について、異論があります。弁護人は、ことさら内匠頭の異常性を指摘するために、まるであてにならないと切って捨てた証人『 冷光君御伝記』などを採用しています。自分にとって都合のいい部分だけを、その時の気分で、取捨選択するやり方の方が、異常ではないでしょうか」と反論します。
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弁護人は、意味不明の遺言を追及
検事は、弁護人の証人発言の読みの浅さを指摘
 「此段兼て為知可申候へ共今日不得止事候故為知不申候、不審ニ可存候」(『浅野内匠頭御預一件』)。
 岳弁護人は、「これを家臣の田中源五右衛門らに伝えてほしい、と頼んだというのである。……よく意味がわからない。…いったい彼は何を言いたかったのか。家は取りつぶされ、家臣や家族を路頭にまよわせることになるのに、内匠頭は遺恨の実態をつまびらかにしなかった」と内匠頭を追求しました。
 検事は、「弁護人も述べているように、内匠頭が家来に手紙を書きたいと申し出ると、田村家番人は、手紙は許さず、後述するのを田村家が書き取り、それを内匠頭の弟大学の家来に渡すことを許可しました。ということは、この遺言は、内匠頭の遺言という内容になっているが、記録は第三者を介して行われており、改ざんされた可能性があります。だから、正式な遺言とは言えません。お家断絶、身は切腹を覚悟した大名の遺言とも言えないと、誹謗中傷するには値しません。
 意味が通じないのは、その字間に、幕府や田村家のことを批判した内容があったとのではないかと見るのが、自然ではないでしょうか」と、弁護人の証人発言の読みの浅さを指摘しました。
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弁護人は、伝八郎の証言を後で改ざんしたと主張
さらに、上野介は通り魔に合ったようだと強弁
だから、「お上」は、「喧嘩でなく、乱心である」裁断したと、断定
検事は、「上野介が手向かいしなかったのですね」とだけ確認
 「其方義何之恨を請候而内匠頭御場所柄ヲも不憚及刃傷候哉定而覚可有之」(『多門伝八郎覚書』)。
 「”先義央に意趣をたゞされしに、更に覚なきよしを申により”帰宅をゆるされた」『徳川実紀』(『常憲院殿御実紀』)
 「拙者、何の恨みをうけたのか、覚えなぞなく、まったく内匠頭の乱心と相見えまする。…老体のことゆえ何の恨みを申しているのか、万々覚えなし」(『多門伝八郎覚書』)。
 「上野介儀御場所ヲ弁不致手向神妙之至」(『多門伝八郎覚書』)。
 「(上野介は)帯刀には手かけ申さず」(『梶川氏筆記』)
 弁護人は、「証人の伝八郎は、はなから”恨”の一字を使っている。しかし、幕府側の証人は、意趣を糾したが、上野介は”覚えがない”と言ったので、帰宅させたと言っている。しかし、伝八郎は、”上野介は覚えがない。内匠頭の乱心である”と言うが、ここで上野介が乱心と言ったというのも怪しい」と指摘しました。
 さらに続けて、「証人の伝八郎は、後日に事件の全体をふりかえって書いて、既知のこととして「何之恨を請侯而」の語句が入れられることになったのではあるまいか」と話しました。
 さらに、弁護人は、「上野介が内匠頭に対し、いっさい手向かった形跡がみられない。これは、上野介がどうして内匠頭に斬りかかられたのか、わけがわからない証拠ではないでしょうか。上野介の側からすれば、突然に通り魔に襲われたようなもので、対処のしようもなかったのです」と申し立てました。
 最後に、弁護人は、「それらの事実が「上」にもみとめられて、上野介にはまったく罪がないとされ、”おかまいなし”となる。つまり喧嘩ではなく、一方的な狼籍内匠頭の”乱心”によるものと裁断されたのです」と断定しました。

 検事は、「上野介は、手向かいせず、刀にも手をかけなかったのですね」とだけ、確認しました。
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弁護人は、「老中には乱心説があった」と証言
弁護人は、「兼て意旨」や「曾て意旨」を一度聞かれて二度聞かれたと解釈
普通は、「以前の意旨(意趣・遺恨)」でしょう?
 「然所二其中ケ場ヘナリテ内匠口上之趣ヲ御聞被成候」(『栗崎道有記録』)
 「乱心ニアラス即座二何トモカンニンノ不成仕合故」(『栗崎道有記録』)
 「兼而意旨覚有之カ…曾而意旨覚無之」(『栗崎道有記録』)
 検事は、「老中はどうゆう態度ですか」と質問しました。 
 弁護人は、「老中の間で、内匠頭の”乱心説”がはやくから取りざたされていたことは事実です」と答えました。
 そして、弁護人は、「証人の栗崎道有が上野介の治療中に、幕府の役人がやって来て、内匠頭が”乱心ではない、どうしても堪忍出来ないことがあった”と言っている。内匠頭が言っている兼ての意趣に覚えがあるかどうかと聞かれた。そこで、上野介は、”曾ての意趣に覚えはない”と答えた。”兼て”や”曾て”は、城中で聞かれ、再度、吉良邸でも聞かれたと解釈しています」と答えました。
弁護人は、国語的解釈を都合のいいように解釈
上野介寄りの栗崎道有は、「内匠頭は正気で、堪忍が出来なかったことがあった」と証言
どうした弁護人、ピンチに立つ
 「中々乱気二見ヘス…乱気ノ沙汰二不及二付」(『栗崎道有記録』)
 「御座席ヲ穢カシ無調法ノ段可申上様無之」(『栗崎道有記録』)
 検事から申請された国語学の証人は、「”兼て”とは、以前からという意味です。”曾て”は、”これ無く”という打ち消しの語をともなっていますので、今まで一度も…ありませんという意味です。一度聞かれて二度聞かれたという意味ではありません。内匠頭に対して以前からの意趣と理解すべきです」と証言し、弁護人の都合のよい解釈を否定しました。
 検事は、さらに、「次に、上野介を治療した栗崎道有は、どうゆう人ですか」と質問しました。
 弁護人は、「上野介が赤穂の遺臣にねらわれるかもしれぬことを懸念して、浅傷を重傷のようにみせかけたりしている。どちらかといえば、吉良上野介寄りと言ってよい。」と証言しました。
 検事は、「その栗崎道有は、内匠頭のことを”少しも乱心しているとは見えない”とか”乱心のようでもない”と言っていますが、弁護人はどう思いますか」と反転攻勢に出ました。
 弁護人は、「…これは、どういうことなのでしょうか…」と戸惑いの表情です。
 さらに突っ込んで、検事は、「幕府の役人が取り合いらべた時、内匠頭は”松の廊下を汚し、不始末をしでかした事に関しては申し上げることもありません”と答えていますね。それを聞いた証人の栗崎道有は、どのような反応をしていますか」とたたみこみました。
 弁護人は、「これはただの乱気ではない、正気かもしれぬ、と思った。内匠頭が、どうしても堪忍がならなかったと、その種の発言をしたことだけは確かだろう」と、この段階で、遺恨を認めました。
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 検事は、「幕府は喧嘩両成敗の決定をしていた」ととどめ
弁護人は、この重大な証言は知らずか、無視
 「先刻ハ公儀より療治被仰付」(『栗崎道有記録』)←この史料は、『吉良上野介を弁護する』にはありません。
 「只今ハ療治被仰付之沙汰ニハ不及」(『栗崎道有記録』)←この史料は、『吉良上野介を弁護する』にはありません。
 検事は、「弁護人が、吉良上野介寄りと言った栗崎道有証人の発言のうち、幕府が上野介の治療を命じられたことはご存知ですが、幕府が公傷としての治療を打ち切ったことはご存知ですか」と質問しました。
 弁護人は、「…」と無言でした。
 検事は、「幕府が公傷としての治療を打ち切ったことは、幕府が喧嘩両成敗を認めたことなんです」ととどめをさしました。
次回は、「上野介は名君だった」
 ご覧のように、岳弁護士は、史料を多用しています。弁護活動には必要なことです。
 同時に、同じ書籍からでも、ある時は活用し、ある時は無視して、都合のよいように解釈する弁護をしています。今回も、遺恨を後世の講釈師が扇子で作り出したの、多門伝八郎が後世に捏造しただの、さんざん振り回しておいて、上野介寄りの栗崎道有が登場すると、内匠頭の堪忍ならなかったことは一転して認めました。
 先に結論ありきの問題点は、自分に不利な証言を採用しないことです。栗崎道有は、登場させましたが、最も重大な証言である「幕府の喧嘩両成敗」は伏せたままです。
 老中や大目付らがが喧嘩両成敗を決定したにもかかわらず、将軍の一存で、「喧嘩でなく、浅野内匠頭の乱心」と断定したことが全ての「誤り」の始まりだったのです。
 率直な疑問・反論・感想をお寄せ下さい。

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