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ごあいさつ
第四十五回は小学館
井沢元彦著『文治政治と忠臣蔵の謎』(2)

 井沢元彦氏は私には貴重な存在です。
 褒めているのではありません。忠臣蔵を研究して新しい学説を主張するには、膨大な第一次史料読破しなくてはなりません。読破しても先人が唱えている説が殆どです。 こんな地味なことを厭って、簡単に目立つ方法があります。以前、ここで取り上げた岳真也氏の『吉良上野介を弁護する』であったり、井沢元彦氏の手法です。
 先ず、人気があって、定説になっている問題を、否定的・批判的に取り上げて、著作物として販売します。当然、人気があるということは、関心がある人が多いということですから、このグループもその本を買います。人気があれば、アンチ派もいます。アンチ派も当然購入します。これが井沢元彦氏の狙いです。出版社は、売れればいいので、当然、仕事を依頼します。
 逆説の日本史で、デビューした頃は、多くのTVメディアにも井沢氏は売れっ子でした。天下のNHKにも出演して、得意げに語る井沢氏を見たものです。
 しかし、所詮、動機が不純です。メッキが直ぐ剥げます。今は、TVで井沢氏を見ることはありません。出版社も小学館以外ほとんど引き受けていません。
 そういえば、小林よしのり氏の出版元も小学館です。
 歴史を自分の都合よいように解釈するこの2人には、歴史修正主義という共通点があります。
 歴史修正主義のグループである「新しい歴史教科書を作る会」の会員名簿には、この2人も名を連ねていました。
 「作る会」はフジサンケイグループの扶桑社から絶縁されました。小学館がその後を引き受けるのでしょうか。 
専門家の前では平身低頭する井沢元彦氏
 井沢元彦氏は『激論 歴史の嘘と真実』(祥伝社黄金文庫)で、東大史料編纂所に長らく勤めていた松島栄一早稲田大学教授と対談しています。
■松島栄一「井沢さんには僕の本のこともいろいろ書いていただいたようだね(笑)」
●井沢元彦「忠臣蔵研究にはやはり、松島先生のお書きなった 『忠臣蔵−その成立と展開』(岩波新書)が定本になりますから。なにぶん小説の上での推理、ご無礼の段はお許しください」
■松島栄一「いえいえ、気にしていませんよ」
*解説(忠臣蔵の専門家の前では、自分の忠臣蔵論は「小説の上での推理」であると弁解しています。プロのノンフィクション(歴史)学者に、私はフィクションの小説家であることを主張しています)

超多忙な私は、井沢氏の金儲けの暴論には付き合いきれない
しかし、おだてられ、やむなく参戦
 私は、今、超多忙です。
 井沢元彦氏の「反論する価値もない、金儲けの暴論」には付き合っておられません。それが本音です。
 しかし、「あなたは、忠臣蔵のホームページの草分けだ」とおだてられ、井沢氏の駄文に、丁寧に反論するハメになりました。関西では、マムシ(蝮)のことをハメといいます。ハメの如く…。
井沢氏のいう「忠臣蔵錯覚」とは「予断と偏見」で赤穂事件を見ること
それは、井沢さん、あなたのことでしょう
 井沢氏は、最初から次の様に、扇情的に、挑戦します
(1)「われわれ日本人は歴史を改訂した「忠臣蔵」の物語に洗脳されている」
*解説(しかし、そう洗脳されているのは、井沢氏ぐらいのものだろう。最初の規定から間違っています) 
(2)「歴史上の事実である「赤穂事件」とそもそも虚構である「忠臣蔵」とは本来は別のものだ。にもかかわらず、歴史上の事件が「虚構のタイトル名」で呼ばれていることに、この問題のすべての根源があると言ってもいい。
*解説(そう思っているのも井沢氏ぐらいで、そこの全ての根源があるのです。私たちは、史実は史実とし、史実を踏まえた虚構も日本人の思想・文化ととらえ、両方をあわせて、忠臣蔵と総称しています)
(3)この逆説シリーズの愛読者は、私がしばしばプロの歴史学者の「史料絶対主義」を批判していることは御存じだろう。…「学者なんだから、もう少し厳密に史料を見なさいよ」ということなのだ。
 なぜそんなことになるのか?
 それは「忠臣蔵錯覚」というものがあるからだ。
 日本人はまず「フィクション」を見る、そしてそれがあまりにも日本人の琴線に触れたドラマであるがゆえに、そこで描かれたことを歴史上の実際あったことのように刷り込まれてしまうのである。
 これが「忠臣蔵錯覚」である。
 裁判官のように公平に冷静に歴史を見なければならない歴史学者までが、証拠物件(史料)を慈意的に判断してしまう」
(4)「誰やらん吉良殿の後より、此間の遺恨覚たるかと声を懸@切付申候…上野介殿是ハとて後の方江ふりむき被申候処を又A切付られ候故我等方へ向きて逃げんとせられし處をB二太刀ほど切られ申候」
 「浅野は壮年、吉良は老人である。その老人を浅野は卑怯にも背後から不意討ちした。…しかも合計四回も斬りつけ…殺すことが出来なかった…ダメなヤツということになる」
 「この「卑怯でドジな男」を「善玉」にするには、どう「演出」すればいいか?…過去に「忠臣蔵(という虚構)」を演出してきた…浅野は正々堂々と「吉良待て」と声をかけてから、正面から一太刀浴びせるのである」
*解説(歴史学者、ここでは松島栄一氏としよう。松島氏に史料では勝てないので、忠臣蔵錯覚という造語で松島氏を批判する。
 忠臣蔵錯覚の代表例として、井沢氏は、壮年の浅野は老年の吉良を背後から合計4度も切り付け、殺せなかったダメなヤツと得意満面に吹聴する。「文治政治と忠臣蔵の謎」は何年の作品か分りませんが、『週刊ポスト』2005年9月16日号〜2007年2月2日号に掲載していたことが分ります。)。
井沢氏は6年前の「老人の後から不意打ち」持論を展開
松島氏から6年前に「後からとは断定できない」と反論され、沈黙
反省を活かせない井沢氏の脳は老化している?
 「書評忠臣蔵」の第16回・第44回で取り上げた井沢氏の『激論 歴史の嘘と真実』は1999年8月に発行したものを文庫本にしたものです。
 忠臣蔵錯覚にとらわれた松島栄一氏との対談で、井沢氏は次の様に言っています。
●井沢元彦「この赤穂事件、いわゆる忠臣蔵に関しては、善玉と悪玉がはっきりわかるように美談にしてしまったフィクション作成者の罪は大きいと思います。その美談が一般常識として刷り込まれたわけですから。だから、討ち入りを起こすに至った殿中での刃傷事件にしても、ドラマでは浅野内匠頭が吉良上野介に「この間の遺恨、覚えたか」と言って正面から斬りかかりますけど、本当は後ろからなんですよね。それについては、事件現場に居合わせ、浅野内匠頭を抱き留めた梶川与惣兵衛の『梶川筆記』にはっきり書いてあるんです。つまり、老人を不意打ちしているわけ」
 まったく、2005年と同じ話を6年前にもしています。
 それに対して、歴史学者である松島栄一氏から次の様に反論されています。
■松島栄一「僕も『梶川筆記』が一番信頼できる資料ではあると思うけど、当時の資料を使って一九世紀に入ってから書かれた『徳川実紀』によると、前から斬った、とあるわけだから後ろからと言い切ることはできないんです。前と後ろに二カ所傷があるからね」
 「忠臣蔵錯覚にとらわれた歴史学者」の松島栄一氏の反論に、井沢氏は全く反論できません。
 最後には、「そう言い切っているいるところが問題である」と自分の考えを、歴史学者の責任にしてそうそうにこの議論から逃げ出します。
●井沢元彦「そうですか。ただ、言い切れないのを吉良上野介を悪人にした物語に仕立て上げるために言い切ってしまったことに問題があるんです」
*解説(井沢元彦氏は、「浅野内匠頭は、老人である吉良上野介を後から不意打ちしている」と持論を展開します。しかし、松島栄一氏は、史料に基づいて、「前から斬った、とあるわけだから後ろからと言い切ることはできないんです」とあっさり井沢持論を否定します。
それを井沢氏は「そうですか」と引き下がっており、簡単に決着となりました。しかし、決着した問題をまたぞろ持ち出しています。井沢氏は、1954年生まれですからまだ53歳の若さです。新しい知識が入らないほど脳が老化しているのでしょうか)

都合がいい時のみ『梶川氏日記』を利用
歴史修正主義者である井沢氏の面目躍如
 その後、井沢氏は、貴重なページ(13〜42ページ)を割いて、フィクションの作品である『仮名手本忠臣蔵』・『冥途の飛脚』などを使って、えんえんと、浅野内匠頭には吉良上野介に対する恨みはなかったと、証明しています。
 「殿中で公務中にもかかわらず、私事たとえば私怨で刀を抜くことは、武士の風上にもおけない重大なマナー違反、ルール違反とされた。…よほど吉良上野介義央に、そのルールを忘れさせるほどの耐えがたい屈辱を浴びせられたに違いない。こう考えた作者が、大先輩の大近松の「梅川忠兵衛」をヒントに、武士の「封印切」を完成させた。ところが、この「お芝居」があまりに上手く出来ていたため、明治になってそれがそのまま「実名入りの忠臣蔵」に踏襲され、あたかも事実であるように多くの人々に認識されるようになってしまったということなのだ。
 つまり、これも「忠臣蔵錯覚」すなわち「フィクションの内容に引きずられて、実際の赤穂事件の内容を忠臣蔵と同一のものと誤解すること」なのである。」
*解説(井沢氏は、長々と冗舌な文章や引用文を引きながら、「封印切」のフィクションを史実と誤解した。これが忠臣蔵錯覚であると主張したかったのでしょう。そのように推測する人はいても、混同したり誤解する人は貧相な発想の持ち主です。多分、そんな人は井沢氏しかいないでしょう。
 井沢氏は、浅野内匠頭が後から切りつけた卑怯者であることを証明するために、『梶川氏日記』を利用し、ここでは『梶川氏日記』には書いていないから、忠臣蔵錯覚が産まれたんだと強弁しています)

井沢氏の手法はTV的、週刊誌的
実証主義的でなく扇情的・売名的・金儲け主義
 井沢氏の文章は、初期の段階を読み終えて、もう、うんざりである。
 「なぜ、そんなに好かれるのか?」(6P)
 「実際の事件とはどういうものか?」(6P)
 「なぜそんなことになるのか?」(7P)
 「実際現場はどうであったのか?」(9P)
 「おわかりだろうか?」(11P)
 「どこがどう違うのか、おわかりだろうか?」(13?)
 「どう演出すればいいのか?」(13P)
 わずか、6〜13ページの間に「?」が7カ所出てきます。次数を稼ぐためだけでなく、読者を見下(みくだ)し、俺は分っているのだ、教えてやろうという立場が見え見えです。
 井沢氏の前歴を調べてみると、やはり、TV記者でした。
 『猿丸幻視考』で江戸川乱歩賞を受賞して、小説家になったまではいいが、その後はパッとしませんでした。
 確固たる思想的な裏づけもなく、「新しい歴史教科書を作る会」に入っています。この立場での発言が、マス=コミに評価され、講演や出筆依頼が増えたといいます。つまり、売名的・金儲け主義に堕したと言われています。
 一度スポットを浴びた作家は、「夢よもう一度」と考える作家が陥りやすいのが、金儲け主義です。その代表が井沢氏です。忠臣蔵にはかなりの支持者がいます。アンチ支持者もいます。そこに目をつけます。一定の説を、もっともらしい史料を使って、批判した本を販売します。当然、支持者は購入し、アンチも購入し、作家も出版社も儲けます。
 次々と雑学を小出し出来るところは、井沢氏の強味です。しかし、忠臣蔵に関しては、歴史学者を批判するだけの史料を読み込んでいないので、すぐボロが出ます。
 最近は、全ての人を読者に想定した大衆を週刊ポストなどを主な活動の場にしていますが、上記にみるように、貧相な雑学をごたいそうに小出して、生活費を稼いでいます。

次回は「バカ殿の中のバカ殿」浅野を「名君」にしたのは「赤穂義士崇拝者」の世論誘導だ
 今回は、史料批判するほどの史料も提出されていませんでした。ほとんど、私の勉強にもなりませんでした。
 次回は、かなり史料を引用していますので、お楽しみにして頂きたいと思います。

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