平成20(2008)年2月14日(第261号)

忠臣蔵新聞

ダイジェスト忠臣蔵(第1巻)

事件の発端

長安雅山筆「殿中刃傷の図」(赤穂市立歴史博物館蔵)
 平成20(2008)年1月14日(東京発)
「忠臣蔵の人気の秘密」を連載するにあたっての口上
 最近、井沢元彦氏の「忠臣蔵」はデタラメだらけだ!!(『逆説の日本史14─文治政治と忠臣蔵の謎』)といういタイトルに刺激を受けたのか、あちこちのブログなどで「テロリストに成り下がった大石内蔵助は大罪人です」とか「浅野内匠頭は、乱心で刃傷事件を起こした」・「御家は断絶・身は切腹、それは自業自得だ」・「それを逆恨みして、討入りするとは、何が忠臣蔵だ」などという悪罵・中傷が飛び交っています。
 その根拠を示す史料もなく、伝聞・推測だったりします。
要望に応えて、「ダイジェスト版忠臣蔵」として
「忠臣蔵の人気の秘密」を緊急発行
  私は、松島栄一先生の「忠臣蔵は史料をして語らしめよ」という趣旨に感銘して、史料に基づいて「忠臣蔵新聞」発行してきました。
 今までに259回の長期連載です。「全部読んで、全部理解するには、膨大な時間と労力と能力が必要だ」と指摘されました。
 もっと短時間で、簡単に、理解できる「忠臣蔵」はないかと言われました。
 私は、忠臣蔵の講演をする度に、史料に基づく「忠臣蔵の人気の秘密」と題して、A4版にまとまる内容を説明してきました。
 今回は、それを基に、「ダイジェスト忠臣蔵」(全16巻)を緊急発行することにしました。
刃傷事件で分っていること
「この間の遺恨覚えたるか」
上野介に対する「意趣」を何度も繰り返す
 元禄14(1701)年3月14日、浅野内匠頭(勅使饗応役)が吉良上野介(指南役の高家筆頭)に「この間の怨みを覚えているか」と言って、松之廊下(江戸城)で刃傷に及びました。
 内匠頭は、上野介に対して「この間からずーっと意趣があった」と何度も繰り返しました。
 これは、浅野内匠頭を抱きとめた梶川与惣兵衛の記録です。第一級史料です。
史料
(史料1)「この間の遺恨覚えたるか」
(史料2)「内匠殿被申候は、上野介事此間中意趣有之候故殿中と申今日の事旁恐入候得共不及申是非打果候由の事を、…幾度も繰返■被申候」
*(史料1)(史料2)の出典は『梶川氏日記』です。

詳細は忠臣蔵新聞第42号を!!
詳しくは、「忠臣蔵新聞第42号」をご覧下さい

参考資料
『忠臣蔵第一巻・第三巻』(赤穂市史編纂室)
『実証義士銘々伝』(大石神社)

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