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NO.189 第8章 近代国家の成立(1)

凡例:[1    ](項目)「2    」(人名)『3   』(書籍名・作品名)

7] 条約改正エピソード
背景−近代化推進上、解決すべき外交課題
[1     ](日本側だけが一方的に強制された約定)
[2     ](治外法権)
[3     ](輸入税率平均5%。協定関税)
経過
1877年 Eハ−トレ−阿片密輸事件→無罪判決→世論沸騰
1878年 外務卿B「4    」46才、米と税権回復
@英独の反対で不成功
A理由−国会・憲法もなく、国際的地位も低いため
1879年 鹿鳴館時代開始(〜1887)→欧化主義(ロ−マ字会、漢字廃止論)
Eヘスペリア号事件(ドイツ船がコレラ検疫を拒否して横浜に入港)
1881年 E平岡浩太郎、D玄洋社設立(前身はE向陽社。E頭山満、E来島恒喜)
[5    ](明治15)年 外務卿[6    ]、列国代表者の共同予備会議
[7     ](明治19)年 8月 井上馨、東京でD[8    ]開催
■安政条約
@横浜・神戸などの居留地内では領事裁判権
Aそれ以外では居住・通商・不動産所有禁止
■条約改正のための条件
@D[9     ]
 a.安政条約−居留地以外では居住・通商・不動産所有禁止
 b.改正案−外人の内地雑居の許容
A外国人被告の裁判−半数以上のB[10 ]採用(大権喪失)
B近代的諸法律の2年以内の制定
 a.条約による法典作成
 b.日本国家主権制限→反対論
■条約改正の内容史料
@A[11     ]撤廃
AA[12     ](輸入税率5%→10%)−了承
10月 [13    ](英貨物船が紀伊半島沖で難破)
@英人船員26人脱出。日本人船客25名船中で水死した事件
Aドレイク船長、「英語のわからない日本人は、ボ−トに乗らなかっ
 たのでやむなく見捨てた」と領事裁判所(裁判長イギリス人)で主張し無罪
B日本人−法権の回復を痛感
1887年 *A[14    ]政策(条約改正を成功させるための西欧化政策)
@C[15    ]時代(外国公使を招いて西洋風の舞踏会を行った時代)
Aイギリス人コンデルが設計(坪数1350万u。費用18万円)
B文化・生活−極端な西欧化奨励
1887年 7月 農商務大臣B「16     」51才、井上案に反対し辞任
「17     」63才、主権侵害と抗議
三大事件建白運動へ
伊藤、条約改正中止を宣言
9月 井上48才、無期延期を通告して辞任
10月 三大事件建白運動に発展
1888年 @2黒田内閣外相*A「18     」52才
@好意的な米独露と個別交渉
A外人判事−C[19     ]のみ
B税率−井上案と同じ
1889年 4月 ロンドン・タイムス紙、報道
10月 18日 右翼団体D[20   ]社来島恒喜(国権論者)31才、大隈襲撃
@来島31才、短刀でのどを突いて自殺
A大隅53才、右足の上腿部より切断
25日 黒田内閣総辞職→改正交渉中断
解答

正解数(   )問/問題数(20)問=正解率(    )%

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