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NO.194 第8章 近代国家の成立(2)

凡例:[1    ](項目)「2    」(人名)『3   』(書籍名・作品名)

[4] 日露戦争と資本主義の発展
1] 立憲政友会の成立
経過エピソード
1886年 帝国大学令
@中・下級社会層から人材を結集
A高級官僚・高級技術者・学者など国家の指導者を育成する機関
1893年 文官任用令
@情実任用=自由任用を廃止
A近代的な資格任用=試験による官吏の任用制度の確立
1894年 3月 第3回総選挙(自由党120 、改進党60、国民協会35)
9月 第4回総選挙(自由党115 、改進党47、革新40、国民協会35)
日清戦争開戦→政党、政争を中止して政府を支持
1895年 伊藤、大隈と板垣に「薩長の党派は最早実利なし」と断言→政党に接近史料
@@5第二次伊藤内閣54才、自由党と連携(板垣入閣)→藩閥と政党の妥協
A軍備拡張予算を承認
[1   ](明治29)年 [2    ]党結成(A改進・革新党合併。党首大隈)
@6第二次A[3    ]成立(別名E松隈内閣)→進歩党と提携
@組閣
 a.首相A「4    」61才・外相A「5    」59才
 b.内相「6    」60才・陸相桂太郎50才・海相西郷従道59才
 c.文相A「7    」56才
A軍備拡張
1897年 進歩・自由党、松方内閣との提携を拒否→内閣不信任案可決
[8   ](明治31)年 1月 第三次@7C[9    ]内閣、軍備拡張のため地租中心の増税案提出
6月 進歩・自由党、A[10    ]党結成(隈・板)
@衆議院で3分の2議席占有
A地租増徴案否決→伊藤内閣、退陣
伊藤57才、政党内閣制に転換
@山県60才、超然主義支持
A激論(山県「明治政府は落城せり」と記録)
@8第一次D[11    ]内閣成立(別名*A[12   ]内閣)
@組閣
 a.首相A「13    」61才・内相A「14    」62才
 b.文相A「15    」58才
A最初の政党内閣(陸海軍両大臣以外はA[16    ]党出身者)
[17    ]事件(憲政党の内紛)
@尾崎文相(旧自由党)の演説
 a.「日本が共和制となれば、三井・三菱は大統領になるだろう」
 b.金権主義を批判
A天皇、侍従を首相につかわして、直接に文相の罷免を要求
B犬養文相(旧進歩党)の誕生
板垣・松田蔵相ら旧自由党系閣僚辞任
@A[18    ]党結成
A旧自由党系の星 亨の暗躍
大隈内閣(旧進歩党系)、総辞職→A[19    ]党結成
11月 @9第二次A[20    ]内閣60才成立→超然主義へ
[21   ](明治32)年 3月 E選挙法改正(直接国税10円。有権者1.1 →2.2%)
D地租増徴案(2.5%→3%)可決
@憲政党−支持(日露戦争に備えての妥協)
A憲政本党−反対
5月 *B[22  ]令改正(政党員の官界・軍進出防止→資格任用制強化)
@藩閥色薄らぎ、東大法学部出の官僚が政党と対立する力となる
A政党の反発で警視総監・警保局長・官房長・大臣秘書官は自由任用
B特別任用以外のE勅任官をE高文合格者のE奏任官より任命
[23    ]令(文官の身分と職務の保障を強化した規定)
解答

正解数(   )問/問題数(23)問=正解率(    )%

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