エピソード日本史 編集方針

編集方針
 ある事項に関して、多くの史料や資料を提示しています。
 その史料や資料に基づいて、私のエピソードやコメントを紹介しています。
 私のエピソードやコメントは、私の様々な体験・経験(出会い、読書、映画・TV・音楽、旅行など)を総動員しています。
ご意見やご指摘について
 私は、私の体験・経験を踏まえて、史料や資料についてエピソードやコメントは紹介しています。
 私のエピソードやコメントは、私の人格でもあります。
 しかし、前提となる史料や資料が不足していたり、間違っていると、エピソードやコメントもバランスを欠いたものとなります。
 史料や資料についてのご意見やご指摘については、柔軟に対応いたします。大歓迎です。
 史料や資料のないエピソードやコメントについてのご意見やご指摘は、ご遠慮ください。
過激な発言(退職後)とメールの増加
01  最近、私のプリント日本史・エピソード日本史を見て、中学生・高校生からメールが増えました。
 先生では、小学校・中学校・高校の先生からメールが増えました。
 日本史の先生志望の大学生や受験生からのメールも増えました。
 と、同時に、修正・訂正や削除を要求する読者のメールも増えました。
 その理由は、私のホームページのアクセスがトップや上位に来たことで多くの方の目にとまったと考えられます(下記の表)。
02
番号 検索項目 アクセス 私の退職年月日 ホームページのアップ
01 高校日本史 2/1620万 2002年3月31日 2004年3月14日
02 エピソード日本史 1/403万
03 日本史 24/1230万
03  私が退職したのは、2002年3月31日です。
 私が自己採点用日本史をアップしたのは、2004年3月14日です。これは、教科書や大学入試問題の36年間の蓄積です。
 同時にエピソード日本史もアップしました。過激な発言は、退職後です。以下、その理由を説明します。
自己採点用日本史の発行について←クリック
エピソード日本史の発行について←クリック
政治教育でなく政治的教養(新しい教育基本法)
01  「歴史は何のために学ぶのか」と問われることがよくあります。
 「歴史は、現在を知るために過去を学ぶ。現在を知って、来るべき未来に対応する。それが歴史だ」というのが私の持論です。教養としての歴史は面白いですが、実学としての歴史こそ意味があります。
02  時々過激な発言をするので、政治教育ではないかと、批判する方もいます。しかし、新しい教育基本法(平成18年12月22日法律第120号)でも、次の様に規定されています。
「第十四条
 良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重されなければならない。
 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない」
 つまり、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育ではなく、良識ある公民として必要な政治的教養という立場を堅持しています。ですから、尊重されなければならないのです。
「つくる会」と「考える会」
01  幸い、在職中、あまり過激な政治的教養を生徒の前で披露することはありませんでした。
 しかし、在職中から、気になる動きはありました。
 1997年1月30日、「新しい歴史教科書をつくる会」が結成されました。初代会長に西尾幹二氏、副会長に藤岡信勝氏を選出しました。
 1997年2月27日、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が結成されました。会長は中川昭一氏、事務局長は安倍晋三氏、幹事長は平沼赳夫氏、座長は中山成彬氏が文科相就任までつとめました。
02  ついに、心配する人物が行政のトップに就任しました。
 2006年9月26日、安倍晋三首相が誕生しました。この頃から、バランスを欠く学者や評論家がTVなどマスコミに登場するようになりました。
 安倍晋三首相は、第166回通常国会(2007年7月5日)で、「戦後レジーム(体制)からの脱却」を明言しました。戦後体制は、麻生太郎首相の祖父吉田茂首相が東京裁判を受け入れてスタートし、安倍首相の祖父・岸信介首相や安倍首相の大叔父・佐藤栄作氏が継承して来た戦後の日本の歴史そのものです。これは世界との公約です。安倍首相は、その事実を御存じなのでしょうか。
 その結果、私の発言も過激となりました。
「つくる会」と「考える会」について←クリック
歴史修正主義と実証主義
01  歴史修正主義(revisionism、リヴィジョニズム)とは「客観的・論理的・科学的・学問的に構築された歴史モデルから逸脱し、特定のイデオロギーに沿って独自の修正を加える思想・歴史観のこと」とされています(Wikipediaより)。
(1)渡部昇一氏は、南京事件をなかったと主張する証拠として、「大虐殺について中国の代表さえ国際連盟の議場でも取り上げていないのだ」(『渡部昇一のマンが昭和史』)と書いています。
(2)しかし、産経新聞は次のような記事を書いています(2008年10月29日)。
 南京事件について自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(中山成彬会長)が入手した資料をまとめた「南京の実相」(日新報道)が11月1日、出版される。
 南京陥落直後の1938(昭和13)年2月に中国国民党政府の顧維鈞代表が国際連盟理事会で「南京で2万人が虐殺された」と演説した議事録などが収録されている。
(3)田母神氏の防衛大学校での恩師でもある森本敏氏は、「田母神俊雄・前航空幕僚長の論文は、他人の論評の中から都合の良いところを引用して、バランスに欠ける論旨を展開している」と書いています(2008年12月5日付け産経新聞)
「歴史修正主義」について←クリック
02  実証主義(positivism、ポジティヴィズム)とは「一般法則は観察・論理(帰納法)によってのみ正当化され、そこからは当然ながら独断や啓示は排除される」とされています(Wikipediaより)。
03  保阪正康氏は「私が採用しているのは実証主義的な見方です。残された史料、語られている口伝、それから遺跡などを含めて、事実と認められることを史実として確立し、それに基づいて歴史を見ていくという立場です」として、帰納的見方を支持しています。
 他方、「演樺的な見方というのは、ある物差しをもって上から全体を見下ろし、細部をその物差しに照らし合わせていく方法です」として、唯物史観や皇国史観を批判しています。
 「ある物差しをもって上から全体を見下ろし、細部をその物差しに照らし合わせていく方法」は、歴史修正主義の立場でもあります。
04  私も、保阪氏と同じ立場です。自分にとって、都合のいい史料・資料はもちろん、都合の悪い史料・資料も提示して、自由に議論し、それに対するコメントは尊重するという立場です。
 私の知っている歴史修正主義者は、自分の史観に都合のいい史料・資料のみを提示し、都合の悪い史料・資料は提示せず、結論を善悪として、主張しています。
「井沢元彦氏の忠臣蔵論と歴史修正主義」について(1)←クリック
「井沢元彦氏の忠臣蔵論と歴史修正主義」について(2)←クリック