ごあいさつ
第三十回は中公文庫
森本 繁著『歴史紀行-「忠臣蔵」を歩く-』
ブロードバンド(光ファイバー)の時代 もう一度、ビデオ撮影の旅へ 先ずデスクワークから 指針になる諸先輩の本をひも解く そしてフィールドワークへ |
![]() |
私はこの欄の第四回目に、司波幸作氏の『元禄忠臣蔵の舞台』(←ここをクリック)を紹介しました。その本は、今も私たち夫婦に全国の義士関係の史跡巡りという大きな生きがいを与えてくれた1冊の本です。 そこでも書きましたが、この本のガイドとして優れているのは、苦労して現地を取材していることである。北は岩手県一関市の祥雲寺に行っては「浅野内匠頭供養塔」を撮影している。 南は鹿児島県鹿児島市に行っては西郷隆盛が郷中教育の教材に利用したという「赤穂義士伝」を撮影している。 忠臣蔵史蹟めぐりの色々な本を読むうちに、見たり、読んだりした人のためになる自分らしさのガイドブックが作りたくなった。既に「史跡忠臣蔵」の引き上げルートの部(←ここをクリック)では実施しているが、もう一度諸先輩の本をゆっくりと紹介しながら、何が必要かを検証したいと思います。 その第30回目に選んだのが、森本 繁氏の『歴史紀行ー「忠臣蔵」を歩くー』です。森本 繁氏には「歴史紀行」シリーズがあります。 森本氏は「あとがき」で「本書の紀行は、赤穂事件と直接関係のある史跡で、最近わたしが実際に歩いてたしかめたものばかりですから、間違いないと信じています」と書いています。 |
第一部は「赤穂事件の顛末」です。物語です。 |
(1)「内匠頭刃傷」(江戸城平川門と平川橋、泉岳寺に移された田村邸血染めの石と梅、泉岳寺山門) (2)「赤穂藩の解体始末」(赤穂城、旧大石邸の長屋門) (3)「内蔵助の苦悩」(泉岳寺の大石内蔵助良雄像) (4)「東下りと討入り計画」 (5)「仇討本懐」(広島明星院の討ち入り木像、吉良上野介の首洗い井戸) (6)「義士の処分と評価」(赤穂花岳寺の忠義桜と不忠柳) |
第二部は「義士ゆかりの地を紀行する」です。 |
【1】江戸・東京の史跡 (1)浅野内匠頭刃傷ー江戸城周辺(江戸城平川門、浅野内匠頭終焉之地) (2)浅野内匠頭邸跡(浅野家上屋敷跡、堀部安兵衛武庸之碑、南部坂) (3)赤穂義士討入りー深川周辺から泉岳寺へ(富岡八幡宮、両国橋東詰の大高源五句碑、吉良邸跡、間新六供養塔、万昌院功運寺、万昌院の吉良家四代の墓、慈眼寺の小林平八郎の墓) (4)赤穂義士切腹ー泉岳寺周辺(松平隠岐守中屋敷跡、細川越中守下屋敷跡、泉岳寺本堂、上野介首洗い井戸、大石内蔵助の墓) |
【2】箱根・鎌倉の史跡 (1)東下りのエピソード(箱根街道の石畳、正眼寺曽我堂) 【3】三州吉良の史跡 (1)名君吉良氏のふるさと(華蔵寺山門、華蔵寺の吉良父子の墓、岡山陣屋跡、黄金堤、円融寺の清水一学墓) 【4】信州上諏訪の史跡 (1)吉良義周終焉の地(高島城跡、法華寺本堂、吉良義周の墓) |
【5】山科・京の史跡 (1)内蔵助と浪士潜伏の地(瑞光院の内匠頭と浪士の墓・四十六士遺髪塚、山科の大石神社、大石良雄隠棲旧跡、山科神社本殿) (2)京都(伏見撞木町界隈、撞木町のよろづ屋跡、聖光寺山門・内蔵助の母くまの墓・天野屋利兵衛の墓、長楽寺の寺井玄渓の墓、蟠桃院の大石無人の墓、上善寺のお軽の墓、林昌院の小野寺丹といよの墓、西方寺の小野寺一族の墓、島原の大門と見返り柳) 【6】摂津大阪の史跡 (1)非命に斃れた人々(吉祥寺の四十七士の墓、長久寺の原惣右衛門と母子の墓標柱、城祐寺の矢頭長助・右衛門七父子の墓、萱野三平旧宅の長屋門、萱野三平の墓) |
【7】播州赤穂の史跡 (1)赤穂浪士のふるさと(息継の井戸、花岳寺本堂・大石家先祖の墓、赤穂城大手門・本丸跡、大石内蔵助屋敷跡、大石神社義芳門、山鹿素行像、岡野金右衛門宅跡) 【東播・西播の史跡】 (1)旧浅野領の町々(観音寺の義士の墓、光明寺の小野寺十内の鎖帷子、久学寺本堂、若狭野の浅野家の陣屋跡) 【8】但馬豊岡の史跡 (1)内蔵助妻子のふるさと(正福寺の大石理玖母子の供養塔、興国寺の大石吉之進の墓) |
【9】備中岡山の史跡 (1)若き日の内蔵助良雄(桜山墓所の池田由成の墓、備中松山城) 【10】芸備広島の史跡 (1)瑤泉院と義士遺族の墓(鳳源寺本堂、明星院の赤穂義士の木像、国泰寺の大石理玖・大三郎の墓、円隆寺の原惣右衛門夫妻の墓、西福寺の武林唯七の祖父孟二官の墓) |
第三部は「忠臣蔵の謎と真実」 |
(1)播州赤穂城前史(赤穂城大手門) (2)赤穂築城と山鹿素行(赤穂藩上水道の遺構、宗参寺の山鹿素行の墓) (3)赤穂延慶と饗庭塩(塩問屋の川口屋の遺構) (4)浅野内匠頭刃傷の動機(花岳寺の浅野内匠頭の墓) (5)赤穂義士をめぐる巷説と真相(泉岳寺の主税の梅、片岡源五衛門宅跡、岡島八十右衛門宅跡) |
(6)吉良邸の犠牲者たち(功運寺の吉良家忠臣供養塔) (7)吉良上野介義央の人物評価(功運寺の吉良上野介の墓) (8)吉良左兵衛義周の末路(高島城大手門) (9)赤穂義士の遺族たち(花岳寺の千馬三郎兵衛養父の墓) (10)瑤泉院と月光院(鳳源寺の瑤泉院遺髪塚、増上寺の将軍家宣の墓) |
(11)赤穂義士の母(磯貝十郎左衛門宅跡) (12)萱野三平の実像(萱野三平辞世の句碑) |
最後に「追録」があります |
(1)赤穂浪士の評価(細川屋敷跡、大石神社の内蔵助討入り像、寛永寺の徳川綱吉霊廟の勅額門) (2)忠臣蔵の劇化上演(泉岳寺の「いろはかな」の碑) |
自分の手足を使って歩く、手作りの温もりを感じさせる紀行文 |
「山陽新幹線を相生駅で下車して、JR赤穂線に乗り継ぎ、三つ目の播州赤穂駅に降り立つ…まず駅前の250号線を横断して南下し、二番目の交通信号機のあるところで右折すると、そこに息継井戸がある」と私がよく使うルートを紹介しています。ここまで細かい描写があると、この本を片手に、旅をする人も、安心ができます。 |
この書の問題点 |
『歴史紀行ー「忠臣蔵」を歩くー』というタイトルといい、サブタイトルといい、これからは完全な忠臣蔵史跡のガイドブックと理解するのが当然でしょう。紀行は「旅の間の生活・事件・見聞などを記したもの」と定義されています。 ところが、1〜69ページは「赤穂事件の顛末」と題して、物語の要約です。 236ページ〜366ページが「忠臣蔵の謎と真実」「追録」に充てられています。 正味70ページから235ページがガイドブックになっています。半分以上がガイドブック以外です。この場合は、『忠臣蔵の物語と紀行』というタイトルにして欲しかったと思います。 紀行文は素晴らしいだけに、次回は、正真正銘の「忠臣蔵紀行」をお願いします。 |