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NO.207 第8章 近代国家の成立(2)

凡例:[1    ](項目)「2    」(人名)『3   』(書籍名・作品名)

8-2〕 社会運動の発生(2)エピソード
経過
1900年 [1   ]法の制定が表面化
@政府・一部の資本家の考え−労働者の生活状態の悪化がもたらすもの
 a.背景−生産能率の悪化・階級対立の激化
 b.その解消−労働条件の改善
A資本家の反対で延期
2月 E川俣事件(群馬川俣で3千人が押出し→数十名の逮捕)
@A「2    」60才、弾圧につき議会質問
A政府、調査はしたが操業は停止せず
3月 [3    ]法の制定(労働者の団結権・罷業権の制限)史料
社会主義研究会、E社会主義協会に改組
1901年 5月 *A[4    ]党結成史料→治安警察法により即日禁止
@母体−社会主義研究会。最初の社会主義政党
A安部、片山、幸徳、C「5    」33才、D河上清ら結成
B主張−8時間労働、普選、階級制・軍備全廃、土地と資本の公有化
10月 C天皇直訴事件
@田中正造61才、鉱毒事件直訴状(幸徳31才の書)をA[6   ]天皇50才に提出
A政府、地元の反対を押し切って遊水池建設(谷中村廃村)
1903年 *A「7    」33才・*A「8   」34才・E石川三四郎
@B[9   ]社を結成史料→社会主義運動の政治運動化
A*A[10    ]新聞を発行し、反戦を呼びかける
 (幸徳「立憲君主の下でも社会主義は行われます」)
B政府の対応−厳しく対決
農商務省遍、D『職工事情』刊行
E全日本同胞融和会
@被差別部落の生活改善と一般との融和を推進
A上からの改良主義運動
[11   ](明治39)年 *B[12    ]党結成
@堺・片山・E田添鉄二ら、第一次西園寺内閣の融和政策により結成
A性格−合法的社会主義政党
D西川光二郎ら、日本平民党結成(普選実現要求)→日本社会党と合併
幸徳秋水、渡米(ロシア人より「ゼネスト・治者暗殺」を知る)→帰国
1907年 日本社会党の分裂→治安警察法により解党
@E[13    ](片山・田添)派
AD[14    ](幸徳)派
E社会政策学会設立(東京帝大金井延のぶるを中心に労使強調を主張)
E足尾銅山争議。E生野・幌内鉱山争議、E呉・横須賀海軍工厰争議、
 E大阪・東京砲兵工厰争議
1908年 E赤旗事件
@社会党E山口義造の出獄歓迎で、赤旗掲揚・革命歌合唱→堺・大杉逮捕
A第一次西園寺内閣、退陣
1909年 E新聞紙法(発行禁止、罰金刑、体刑)
1909年 D地方改良運動(内務省、全国吏員を召集してE地方改良事業講習会開催)
[15   ](明治43)年 [16   ]事件(社会主義運動の大弾圧)
@幸徳41才・E菅野スガら26名のD無政府社会主義者を天皇暗殺を企て
 たとして逮捕起訴
A幸徳秋水ら12名処刑史料 史料
B弁護士E平出修から石川啄木へ連絡史料
C社会主義運動の*C[17    ]到来(10年間)
1911年 [18   ]法制定(少年少女−12時間労働、深夜業の禁止など)史料
@最初の労働者保護立法
A適用範囲−15人以上使用の工場
B製糸業−14時間労働
C紡績業−期限付で深夜業
*C[19    ]警察設置(警視庁内に設置された思想警察)
[20    ](大正5)年 工場法実施
1925年 D細井和喜蔵D『女工哀史』(C女工、E工女節)
1968年 E『ああ野麦峠』(D野麦峠)
解答

正解数(   )問/問題数(20)問=正解率(    )%

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