NO.020
第2章 律令国家の形成
凡例:
[1 ](項目)
、
「2 」(人名)
、
『3 』(書籍名・作品名)
4]
飛鳥文化(*A
[1 ]
中心の文化)
1
仏教の発展(6C伝来)
イ
背景−帰化人、蘇我氏の信奉→朝廷の保護政策
@
蘇我氏、朝廷の実権掌握
A
朝廷のおかれた飛鳥を中心に最初の仏教文化がおこる
ロ
寺院建立(古墳に代わる朝廷・豪族の象徴)
588年
A
「2 」
、*A
『3 』
寺(A法興寺、別名E元興寺)
593年
A
「4 」
、D
『5 』
寺(四天王像をつくって戦勝祈願)
603年
秦 河勝、C
『6 』
寺建立
607年
A
「7 」
、*A
『8 』
寺(別名C
『9 』
寺)(用明天皇の病気平復を祈願)
621年
聖徳太子、C
『10 』
寺(母穴穂部間人皇后の菩提を弔う)
622年
山背大兄王、D法輪寺(父聖徳太子の命で建立)
624年現在
寺院(46か寺)、僧(810人)、尼(569人)
ハ
その他ー諸氏はさかんに氏寺を建立
2
造形美術
イ
特徴−日本の古墳文化+中国の南北朝文化
@
古墳文化−帰化人中心に技術の進歩→文化の発展
A
南北朝文化−百済・高句麗を通じて伝えられた中国文化
ロ
建築
@
A
『11 』
寺(A
『12 』
(世界最古の木造建築)
A
A
『13 』
(最古の塔)、A
『14 』
(回廊正面に開かれた門)、B
『15 』
(梁間1間が200m)
B
C法隆寺再建論争(明治以後)
a
『日本書紀』−「670年法隆寺に災けり。一屋も余ること無し」
b
1939年−D
[16 ]
伽藍発掘→再建説有力(金堂・五重塔も再建)
C
B
[17 ]
(寺院の建物の配置様式)の変遷−C
[18 ]
寺式(釈迦の骨を入れる仏舎利塔
中心)→
B
[19 ]
寺式(1塔3金堂形式)→C[20 ]寺式(西に塔、東に金堂)→
C
[21 ]
寺式(東に塔、西に金堂)→
C
[22 ]
寺式(中心に金堂、2つの塔は中門の前)→
D
[23 ]
寺式(塔は南大門の前)
D
中国のE
[24 ]
様式の影響−E卍崩し勾欄、E雲形肘木、Dエンタシス柱
ハ
仏像彫刻
@
特徴−B
[25 ]
(銅で製作された像)、中国のE
[26 ]
様式
A
中国のB
[27 ]
様式(杏仁形の眼、仰月形の鋭い唇)−別名E止利様式
a
仏師*B
「28 」
=止利仏師(祖父司馬達等)
b
作品−法隆寺金堂*A
『29 』
三尊像(金銅像)
、同金堂E薬師如来像
、
*A
『30 』
仏(現在のE安居院の釈迦如来像
B
中国のE
[31 ]
様式(柔和で丸味)
a
法隆寺B
『32 』
観音像(木像)、 同夢殿B
『33 』
観音像
b
半跏思惟像(木像。A
『34 』
寺、A
『35 』
寺)
二
絵画・工芸
@
作品−法隆寺B
『36 』
(箱)、同B
[37 ]
絵、中宮寺B
『38 』
繍帳
A
文様の世界性−C
[39 ]
文様(ギリシャ)、E
[40 ]
(ペルシャ)
B
610年
高句麗僧*D
「41 」
@D
[42 ]
(書の道具)の法・絵具を伝える
A新しい技法の伝来によって飛躍的に発展
3
仏教の教義研究−A
「43 」
の*A
『44 』
(B法華経などの注釈書)
4
暦法−百済僧*E
「45 」
、*E
『46 』
を伝える
イ
年月の経過の記録開始
ロ
神武天皇の即位−紀元前660年辛酉の年正月朔日(7C初め)
ハ
D辛酉革命説、E干支の法、E讖緯説
正解数( )問/問題数(46)問=正解率( )%