NO.037
第三章 貴族政治と国風文化
凡例:
[1 ](項目)
、
「2 」(人名)
、
『3 』(書籍名・作品名)
[1]
摂関政治
1]
藤原氏の発展
1
桓武天皇以後数代−天皇の独裁政治
2
北家の台頭
イ
四家−藤原不比等の4人を祖とする家(北家−房前が祖)
ロ
B外戚政策(娘を天皇の后妃に入れ、外祖父として政治の実権を握る事)
ハ
D後宮(皇后一人、妃=中宮2人、夫人=女御3人、嬪=更衣4人)、E里内裏
3
経過
810年
A
「1 」
の変(式家藤原薬子の平城上皇重祚計画)→式家没落
825年
*A
「2 」
(北家。36才)、A
[3 ]
より左大臣へ
@嵯峨天皇の厚い信任
A冬嗣、天皇と姻戚関係
834年
*A
「4 」
(父冬嗣)、参議(31才)
842(承和9)年
7月
*A
[5 ]
の変
@皇太子E恒貞親王(父淳和)派のA
「6 」
・D
「7 」
による謀反事件→
橘・伴両氏の勢力を排斥
A恒貞−廃太子
850年
E道康親王(父仁明、母冬嗣の女順子)、即位(E文徳天皇、24才)
[8 ]
(天安2)年
清和(父文徳、母良房の女明子)、即位(9才)
@太政大臣良房(55才)、事実上の*A
[9 ]
(人臣初)
A天皇の幼少・病気時、政務を代行
B天皇の外祖父として皇族以外では最初
[10 ]
(貞観8)年
*A
[11 ]
の変
@応天門−朝堂院・大極殿など重要な殿舎のならぶ大内裏の一画の正門
A大納言C
「12 」
が左大臣源信の失脚をねらって放火した事件)
B伴善男・紀豊城−流罪→古来の名族伴・紀両氏の没落→北家勢力の強大化
同
藤原良房、摂政となる
878年
E元慶の乱(出羽の蝦夷とE俘囚が秋田城を攻撃)
[13 ]
(元慶8)年
E陽成天皇を強制退位。B
「14 」
天皇(父仁明)即位
@太政大臣*A
「15 」
(養父良房)、事実上の*A
「16 ]
A天皇の成人後も政務を処理する令外の官
888年
E阿衡事件
@阿衡の紛議
A関白任命書の起草者E橘広相を処罰した事件
891年
基経、没(56才)
同
A
「17 」
天皇(父光孝)の政治
@摂関を置かず
A蔵人頭に*A
「18 」
(文章博士)登用→E寛平の治(藤原氏抑圧)
[19 ]
(延喜1)年
左大臣*C
「20 」
(父基経。29才)、策謀により
右大臣菅原道真(55才)をD
[21 ]
(権師)に左遷
902年
*A
「22 」
天皇(父宇多)の親政
@B
[23 ]
の治(律令政治の復興)
AC
[24 ]
令(勅旨田、院宮王臣家の荘園禁止令)→延喜の治
907年
A
[25 ]
格式の編纂
909年
道真を
[26 ]
(学問の神)として崇拝
930年
C朱雀天皇(父醍醐、母基経の女穏子)、即位(8才)→藤原忠平、摂政
935年
承平・天慶の乱、はじまる
946年
村上天皇(父醍醐)、即位
949(天暦3)年
忠平、没
同
*A
「27 」
天皇(父醍醐、母基経の女穏子。24才)の親政
@乾元大宝鋳造
A『後撰和歌集』勅撰→*B
[28 ]
の治(効果なし)
967年
C藤原実頼(父忠平)、20年ぶりの関白(68才)
968年
左大臣B
「29 」
(父醍醐)、里第において政治(55才)
[30 ]
(安和2)年
*A
[31 ]
の変
@「為平親王(父村上)擁立の陰謀」を源満仲が密告
A源高明が大宰府左遷
同
園融(父村上、母師輔の女)、即位
同
藤原実頼、摂政
@以後摂政・関白常置(基経の子孫が継承する慣例)
A藤原氏北家の地位確固化
正解数( )問/問題数(31)問=正解率( )%