NO.049
第三章 貴族政治と国風文化
凡例:
[1 ](項目)
、
「2 」(人名)
、
『3 』(書籍名・作品名)
3]
武士団の成長
1
清和源氏の棟梁化
イ
10〜11C−地方武士団は、中央貴族の血筋を引く棟梁をいただいて勢力統合
ロ
系統
満仲─┬─頼光………………………………………………頼政(多田源氏)
└─頼信−頼義─┬─義家−義親−為義−義親−頼朝(河内源氏)
└─義光………………………武田氏(甲斐源氏)
ハ
経過
859年
D宇佐八幡宮(戦いの神)を京都男山に勧請(D石清水八幡宮の起源)
941年
A
「1 」
(清和源氏の祖経基王)、藤原純友の乱を平定
969年
*B
「2 」
(58才。父経基)
@安和の変で藤原氏接近
A摂津多田荘に土着
970年
C
「3 」
(23才。父満仲。多田源氏の祖)、摂関家の保護をうけ勢力伸長
1028年
*A
「4 」
(父忠頼)の乱(房総一帯の反乱。安房国司を殺害)
[5 ]
(長元4)年
甲斐守A
「6 」
(64才。父満仲。河内源氏の祖)
@忠常の乱平定
A源氏、東国へ進出する契機
1051年
A
[7 ]
の役
@別名奥州十二年の合戦
A陸奥のE俘囚の長豪族安倍頼時の勢力強大、E貞任父子の反乱
B国司と闘争
1052年
A末法第一年
1062年
陸奥守・鎮守府将軍*A
「8 」
(75才。父頼信)・*A
「9 」
(24才。父頼義)
、
東国武士を率いて安倍氏と戦闘
@前九年の役平定
A出羽の豪族清原光頼・武則兄弟の援助
1063年
石清水八幡宮を鎌倉に勧請(鶴岡八幡宮の起源)
1083年
A
[10 ]
の役はじまる
@A
[11 ]
氏−安倍氏にかわり、陸奥・出羽両国で大勢力保持
A一族(E真衡・家衡)の遺産争い
1087年
陸奥守A
「12 」
(59才。八幡太郎)、*A
「13 」
(父藤原経清母安倍頼時の
女)を援助し、後三年の役平定→武家の棟梁として地位確立
@東国武士団との主従関係強化→源氏譜代の臣を形成
A保護・奉公の関係は血縁関係より強固→鎌倉時代の封建関係へ
1091年
義家に、
「天下第一武勇の士」
として田畑寄進集中→朝廷、寄進を禁止
1098年
義家に昇殿許可(70才。武士として最初)
2
*A
[14 ]
氏三代の繁栄(100年)
イ
A
「15 」
@
陸奥の平泉を根拠地として強大な支配力保持
A
奥州*A
[16 ]
にA中尊寺金色堂建立(1124年)
ロ
B
「17 」
(父清衡)−E毛越寺建立(1156年)
ハ
B
「18 」
(父基衡)−無量光院建立
正解数( )問/問題数(18)問=正解率( )%