NO.085
第5章 武家社会の成長
凡例:
[1 ](項目)
、
「2 」(人名)
、
『3 』(書籍名・作品名)
2]
幕府の動揺と応仁の乱
1
幕府政治の衰退
イ
背景−六代将軍義教の時代
@
現状
a
正長の土一揆を体験
b
幕府内での将軍の地位の低下を実感
A
結果
a
将軍権力の強化にのりだす
b
守護領国体制を展開して強大化していた守護大名とするどく対立
c
幕府の弱体化により徳政一揆の高揚
ロ
経過
1394年
A
「1 」
(19才。父義満)、将軍→幕政の安定期
1416年
上杉禅秀の乱(鎌倉公方持氏に不満の関東管領上杉氏憲の反乱)
1425年
将軍A
「2 」
(19才。父義持)、没(1429年まで将軍空位)
1429年
*A
「3 」
(36才。父義満)、くじびきで将軍となる
[4 ]
(永享10)年
公方*A
「5 」
(41才)、実子に先例無視の加冠
同
将軍義教、独立の勢いの強い鎌倉府を攻撃
[6 ]
(永享11)年
*A
[7 ]
の乱(関東管領A
[8 ]
(29才)
と将軍A
[9 ]
、持氏父子を殺害した事件)
1440年
義教、丹後・若狭守護の四職のE
[10 ]
氏を殺害→
以後、有力守護大名を口実をもうけて次々と処罰
同
E結城合戦
@E結城氏朝、上杉憲実の専横に反発
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「11 」
(7才。父持氏)と挙兵
[12 ]
(嘉吉1)年
6月
*A
[13 ]
の乱
@播磨・備前・美作の守護で四職の*A
「14 」
(61才)が
不安にかられて、将軍A
「15 」
(48才)を殺害
A将軍の権威一段と低下
9月
四職A
「16 」
(38才)、満佑を殺害
同
嘉吉の土一揆
@幕府、やむなく徳政令を発布
A以後、しばしば徳政令を発布
1442年
A
「17 」
(9才。父義教)、将軍。在任中13回の徳政令。分一銭
*A
「18 」
(14才。父義教)、将軍→風流と浪費の生活で幕政に
指導力を発揮できず
1454(享徳3)年
分一徳政令
@幕府は徳政令によって土倉・酒屋からの税収が減少するのを補うために、
借主又は貸主(土倉・酒屋)から、借銭額・貸銭額の1割(分一。又は
2割)をその手数料(分一銭)として徴収
A双方に徳政を認めたり、その適応を免除
B幕府の権威、ますます失墜
同
享徳の乱(鎌倉公方の足利成氏、関東管領上杉氏と対立)
1455年
鎌倉公方A
「19 」
(16才)、古河城に拠る(A
[20 ]
公方)
1457年
D
「21 」
(23才。父義教)、成氏追討ならず、伊豆掘越に拠る
(A
[22 ]
公方という)
正解数( )問/問題数(22)問=正解率( )%