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NO.065 第四章 武家社会の形成 

凡例:[1    ](項目)「2    」(人名)『3   』(書籍名・作品名)

[3] 元寇と幕府の衰退
1] 蒙古襲来(元寇。ニ回にわたる元軍の襲来)
日宋関係−私貿易
経過
@ 平氏政権の積極的な海外通交
A その後−日宋間の正式な国交はなし
輸出−金、水銀、硫黄、漆器、木材、米、刀剣、扇
輸入−宋銭、陶磁器、書籍、東南アジア産の香料・薬品
民間交流は活発
@ 僧侶・商人の往来
A 両国の通交
B 日本は宋を中心とする東アジア通商圏に組み入れられる
モンゴル帝国と[1    ](元軍の襲来)
1127年 宋、滅亡→南宋時代(〜1279年)
1167年 重源入宋
1168年 栄西入宋
1188年 テムジン(27才)、モンゴル部の長となる
1189年 義経(31才)、自殺
1206年 *A「2    」(45才。成吉思汗)、B[3    ]を統一→
中央アジアから南ロシアを征服エピソード
1216年 陳和卿、鎌倉へ
1223年 道元・加藤景正入宋
1234年 太宗(オゴタイ)、D[4    ](女真族の王朝)を征服
@都−カラコルム
Aユ−ラシア大陸の東西にまたがる大帝国建設
1259年 *A「5    」(44才。忽必烈。祖父チンギス=ハン)、A[6    ](朝鮮
の王朝)を服属させる→激しい抵抗が続く
1264年 フビライ、C[7    ](今の北京)に遷都
1268年 *A「8    」(18才。父時頼)、執権(8代目)
1269年 モンゴル使者黒的、日本に朝貢を強要→時宗、拒否史料
1271年 フビライ、国号を*A[9    ]とする
フビライ、趙良弼を日本に派遣→朝貢を強要→拒否
マルコ=ポ−ロ、ヴェネチア出発(〜1295年帰国)
*A[10    ]番役(九州の御家人に沿岸警備を命令)史料
[11   ](文永11)年 10月 元(忻都・洪茶丘)・徴発した高麗軍、合浦出発→
*A[12    ]の役エピソード
対馬(宋助国)→壱岐→博多上陸
@元軍−C[13    ]戦法、C[14   ](新兵器)で苦戦史料
A日本軍−鎮西奉行E少弐経資、E竹崎季長ら迎撃→元軍、大損害
大風雨で元軍、敗退
1275年 フビライ、杜世忠を派遣→時宗、使者を斬首
1276年 E長門探題設置(北条一門を任命)
@御家人に長門警固番役を命令史料
A範囲−非御家人・本所一円地
 a.地頭職が設置されていない土地
 b.本所が支配している土地
[15    ](海岸線に作らせた防壁)構築
1279年 南宋、元により滅亡
[16   ](弘安4)年 [17    ]の役エピソード
@[18   ]軍(元・高麗連合軍)4万人900隻、合浦出発
AC[19   ]軍(范文虎。南宋中心の軍)10万人3500隻、寧波出発
B鷹島で合流→大軍が博多湾で上陸を阻止されている間に暴風雨→
元軍、敗退(E神国思想発生)
解答

正解数(   )問/問題数(19)問=正解率(    )%

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