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NO.103 第6章 幕藩体制の確立(1)

凡例:[1    ](項目)「2    」(人名)『3   』(書籍名・作品名)

2] 南蛮貿易とキリスト教
キリスト教の伝来
1517年 [1   ]改革(95か条の意見書にはじまるルタ−のカトリック批判)
1534年 カルヴィンの宗教改革→A[2    ](新教徒)の立場
1534年 [3    ](旧教徒)のIgnatius Loyola53才・Francisco de Xavier
 (38才)ら7人、*A[4    ]エピソード(Compagnia de Iesus。耶蘇会)設
 立(この会に所属する人−Jesuite)
8月 ポルトガル人、種子島に漂着。*A[5    ]の伝来史料 エピソード
@紀伊のC[6    ]寺(種子島で1挺購入)
A近江のC[7    ] 村(島津氏の将軍献上品から)→信長が支配
B堺(商人橘屋又三郎が製造販売)
C製造−日本古来の技術C[8    ]、弾丸は国産のA[9    ]
  火薬の原料は国産のA[10    ]とA[11    ](床下の土を
  水に溶かし、灰汁を加えて上澄を煮詰め、よもぎなどを土と交互に積重
  ねて作る)→火薬は江戸の打上げ花火に応用される
[12   ](天文18)年 *A「13    」(42才)、鹿児島来航(島津貴久許可)史料
1551年 1月 ザヴィエル、京都着(政情不安)→将軍との面会できず→再び山口着
@山口のD「14    」、布教許可
A豊後府内のA「15    」、布教許可
7月 ポルトガル商船、豊後日出に来航
10月 ザヴィエル、日本を退去(信者1000人)→ゴア着
1552年 ザビエル、広東港外の上川島(サンシャン)で病没
1560年 Gaspard Vilera36才、将軍義輝に布教を許可さる
1579年 Alessandro Valignano、来日50才
@3布教区(都・豊後・下)設定
Aセミナリオ(有馬・安土)、コレジオ(府内)、ノビシャド(臼杵)
1582年(天正10年) 「16    」・D「17    」・D中浦ジュリアン・D原マルチノをロ−マに派遣
@ヴァリニャ−ノの進言
A天正遣欧使節(大友・有馬・大村の諸大名)史料 エピソード
1584年 イスパニア人、平戸来航
1585年 使節、ロ−マ教皇グレゴリウス13世に謁見
1587年 豊臣秀吉、キリスト教を禁止
1590年 天正遣欧使節、帰国。伊東−没。千々石−棄教。中浦−処刑。原−追放
キリスト教(B[18    ](吉利支丹、切支丹)、D天主教)の普及史料
大名の保護−*A[19    ]大名(貿易のため改宗した大名)
@ 豊前中津B「20   」、豊後府内*A「21   」、肥前大村*A[22    」
A 同原*A「23    」、肥後宇土A「24    」(父の隆佐も)
B 摂津高槻A「25    」、C細川忠興・E細川ガラシャ、黒田長政(如水の長男)
[26    ](宣教師)の活躍
@ 「27    」(ポ)、D「28    ](ポ。E『日本史』の作者)
A Eオルガンチノ(伊)、C「29   」(伊。ロ−マへ*B[30    ]を派遣)
布教活動
@ [31    ](大学程度の宣教師養成学校)、教会堂(南蛮寺)
A [32    ](中学校程度の神学校)史料、ノビシャド(入会者の修練所)
結果−信者数1570年3万人、1579年10万人、1582年15万人
*A[33    ](*B[34    ](ポルトガル・イスパニア人)との貿易)
中継貿易−ゴア←→B[35    ](広東湾の入口。ポルトガル領)←→日本
貿易品−輸出(銀、刀剣、漆器)。輸入(鉄砲、火薬、鉄、薬品、皮革、生糸)
貿易港−肥前*A[36    ]・*A[37    ]、豊後府内、薩摩坊津、山川、横瀬、福田、口之津
日本人の海外進出−マカオ・ルソンなど東南アジアへ
解答

正解数(   )問/問題数(37)問=正解率(    )%

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