NO.162
第8章 近代国家の成立(1)
凡例:
[1 ](項目)
、
「2 」(人名)
、
『3 』(書籍名・作品名)
5]
攘夷運動の挫折
1
背景
イ
A
[1 ]
国が対日外交を指導
ロ
列強−貿易の悪化はA
[2 ]
運動(外人排斥運動)にあると分析
2
経過
1859年
英駐日総領事D
「3 」
51才、着任
1863年
6月
英軍艦7隻、A
[4 ]
事件の報復のため鹿児島湾に進撃
@英代理公使ニ−ル、賠償金2万5千ポンドの支払いを要求
A島津忠義、拒否
7月
*A
[5 ]
戦争(薩摩と英国との戦争)はじまる
11月
薩英講和条約
@背景−英国、セポイの反乱を反省
A結果−薩摩、開国策に転換
1864年
2月
西郷38才、赦免される(大久保利通35才らの尽力)
3月
仏駐日公使A
「6 」
56才、着任
7月
*A第一次
[7 ]
(禁門の変を理由に長州征討の詔をうけた
幕府が長州を攻撃した最初の事件)
8月
*A
[8 ]
事件(別名D
[9 ]
事件)
@口実−A
[10 ]
事件の報復のため
A事件の内容−英・仏・米・蘭の連合艦隊が下関を砲撃
B目的−最大の攘夷藩を粉砕し攘夷計画を放棄させ貿易を発展させる
同
停戦協定→開国派のA
「11 」
26才らの台頭
10月
西郷の説得(戦争は国力を消耗するだけ)→
長州藩は@三家老の切腹A藩主父子の謝罪を約束
11月
長州、幕府に恭順の意を表明→保守派の台頭
[12 ]
(慶応1)年
閏5月
英駐日公使*B
「13 」
、着任
9月
列国、貿易上条約の勅許が必要としてC
[14 ]
沖へ進軍
10月
兵庫港を除いて条約を勅許
1866年
5月
*C
[15 ]
約書(外国に有利なように、関税20%を一率5%に引下げ)調印
7月
仏公使B
「16 」
、英と対抗して幕府を支持
1867年
A
[17 ・ ]
開港→外人居留地をA
[18 ]
村(摂津)に設置
3
結果
イ
英公使A
「19 」
@
幕府の無力をみぬき天皇中心の雄藩連合政権を期待(反幕派)
A
薩摩E家老小松帯刀、*A
「20 」
とA
「21 」
を抜擢
ロ
仏公使B
「22 」
−幕府に財政的・軍事的援助
ハ
英・仏の対日政策の対立→朝廷・雄藩と幕府との対立激化
正解数( )問/問題数(22)問=正解率( )%