NO.230
第9章 近代日本とアジア(1)
凡例:
[1 ](項目)
、
「2 」(人名)
、
『3 』(書籍名・作品名)
4]
護憲三派内閣の成立
1900年
E普通選挙同盟会結成
1920年
普選デモ高揚(全ての成年に選挙・被選挙権を与える制度の要求)
1922年
6月
@21A
「1 」
62才(海軍大将)内閣成立
@超然主義表明
AD陸軍軍縮(山梨軍縮)
9月
犬養毅、国民党を解散
11月
犬養毅・尾崎行雄・島田三郎ら、革新倶楽部結成
1923年
8月
加藤首相、病死
9月
A
[2 ]
(関東地方を襲った大地震)発生
同
@22A第二次
「3 」
72才(海軍閥)内閣成立→超然主義表明
12月
D
[4 ]
事件
@摂政宮裕仁親王を無政府主義者D難波大助が狙撃した事件
A山本内閣、総辞職
[5 ]
(大正13)年
1月
@23A
「6 」
75才(貴族院・官僚)内閣成立
同
*A第一次
[7 ]
運動
@高橋是清61才のA
[8 ]
会と加藤高明65才のA
[9 ]
会と
犬養毅70才の
[10 ]
部がA護憲三派を結成
A目標−清浦内閣打倒・普選断行
・貴族院改革・憲政擁護
同
政友会の清浦支持派の床次竹次郎ら、D
[11 ]
党結成→解散
5月
第15回総選挙(憲政151、政友会105、革新30計三派286。 政友本109)→
護憲三派圧勝
6月
清浦内閣、総辞職
同
@24A
「12 」
内閣成立
@別名D
[13 ]
派内閣(連立内閣)
A外相幣原、内相若槻、蔵相浜口、商工相高橋、逓相犬養毅
B1932年までをD
[14 ]
の常道(政党内閣の慣行)という
Cこの間を*A
[15 ]
(大正期の自由主義・民主主義的風潮)
[16 ]
(大正14)年
1月
D
[17 ]
条約調印(日ソ国交樹立の条約)
3月
*A
[18 ]
法成立
@内容
a.納税資格の撤廃
b.25才以上の男子に選挙権、30才以上の男子に被選挙権
A結果−有権者4倍増(1240万人)。婦人参政権欠如
4月
*A
[19 ]
法成立
@背景−日ソ国交樹立、虎ノ門事件、日本共産党再建の動き
A目的−普選と日ソ基本条約により進出であろう共産主義者弾圧の法
B内容−「国家の変革」「私有財産制度を否認」を目的とする結社の
組織者と参加者、参加予定者を処罰
Cその後−社会運動家や自由主義者にも適応
同
共産党員の検挙
5月
政友会、革新倶楽部・政友本党の一部(犬養毅・尾崎ら)と合同
@総裁A
「20 」
62才(陸軍長老)
A結果−三派提携崩壊(短命)
8月
第二次加藤内閣成立(憲政会単独内閣)→政友会と敵対
1926年
1月
加藤首相、病没
同
@25A第一次
「21 」
61才(憲政会総裁)内閣成立
@内政−陸軍の軍縮
A外交−A
[22 ]
外交(協調外交)維持
3月
農民労働党の一部、労働農民党結成(杉山元次郎)
10月
労農党、分裂
12月
A
[23 ]
党再建
同
労農党の一部、社会大衆党結成(安部磯雄・片山哲)
同
労農党の一部、日本労農党結成(三輪寿荘)
同
大山郁夫、労農党再建
正解数( )問/問題数(23)問=正解率( )%