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NO.052 第三章 貴族政治と国風文化 

凡例:[1    ](項目)「2    」(人名)『3   』(書籍名・作品名)

3] 保元・平治の乱
伊勢平氏の台頭と源氏の衰退エピソード
1006年 E平維衡(父*A[1  ]平氏の平貞盛)、伊勢守(伊勢・伊賀平氏)
1028年 「2    」の乱→関東平氏の滅亡
1069年 E村上源氏のE源師房(祖父村上天皇)、右大臣(公家として発展)
1098年 白河上皇、A「3    」(父頼義)の昇殿を許可
1108年 摂関家藤原忠通(父忠実)に接近したB「4   」(曾祖父維衡)、
「5  」(父義家)を殺害→以後、武家の棟梁として源氏の勢力衰退史料
1109年 「6    」(14才。父義親)、源氏の棟梁となる
1120年 「7    」上皇(68才。父後三条)
@D「8    」(43才。父師実)の関白を解任
AB「9    ](24才。父忠実)を関白に任命
1123年 鳥羽(21才。父堀河)、譲位。A「10  」天皇(5才。父鳥羽)、即位
1129年 白河(78才)、没。A「11    」上皇(26才。父堀河)、院政開始
1132年 1月 鳥羽、藤原忠実(55才)を再び関白に任命
3月 「12    ](38才。父正盛)、鳥羽に蓮華王院寄進
@院と結んで発展史料
A昇殿許可(武士としても院近臣としても重用)
1135年 平忠盛、海賊を退治する→鳥羽法皇の信任史料
1141年 崇徳天皇(23才)、強要されて譲位
近衛天皇(3才。父鳥羽、母得子(藤原忠通の姉))、即位
忠通(45才)、再び関白に任命
1143年 源為義(48才。父義親)、内大臣B「13   」(24才。父忠実)に接近
1150年 忠通(54才)、父忠実(73才)の命に背き頼長(31才)への関白譲与拒否
1153年 「14    」(36才。父忠盛)、平氏の棟梁(勢力を飛躍的に拡大)
1154年 「15    」(16才。父為義)の乱→為義(59才)の検非違使を解任
*A[16    ]の乱(天皇・上皇と摂関家の内紛によりおきた戦乱)エピソード
原因史料
@ 天皇・上皇対立−鳥羽法皇・後白河天皇(父鳥羽)×崇徳上皇(父鳥羽。弟後白河)
A 摂関家の内紛−藤原忠通(父忠実)×藤原忠実・藤原頼長(父忠実。兄忠通)
経過史料
1155年 5月 23日 近衛(17才)、没
24日 「17    」天皇(29才。父鳥羽)、即位→忠通を信任
8月 源義平(父義朝)、叔父義賢(父為義。木曽義仲の父)を殺害
1156年 6月 鳥羽、義朝(父為義)に禁中・院の警護を任命→頼長と疎遠
7月 2日 鳥羽(54才)、没。後白河、遺詔と称して崇徳上皇の弔問拒否
10日 法皇に嫌われていた*A「18    」上皇(父鳥羽)、頼長・為朝・
「19    」(61才。父義親)・B「20    」 (父正盛)を招集し軍議
11日 後白河、忠通・*A「21    」(側近)・*A「22   」(34才。父為義)・
頼政(53才。玄祖父頼光)・A「23   」(39才。父忠盛)を招集→奇襲命令→勝利
結果史料
@ 崇徳上皇(38才)、讃岐流罪
A 頼長・為義・忠正、斬首。為義、伊豆流罪
*A[24    ]の乱(源平の対立・院の近親の対立による戦乱)史料エピソード
1159年 12月 4日 清盛、熊野参詣に出発
9日 「25  」・義朝、C二条殿襲撃→後白河・二条天皇を幽閉
信頼、ほしいままに除目(信頼近衛大将、頼朝播磨守)
13日 「26    」(妻が後白河上皇の乳母)、自殺
25日 後白河、脱出→清盛に義朝追討の命令(平治の乱のはじまり)
27日 信頼を斬首
1160年 義朝(38才)、尾張で家人の長田庄司忠致に殺害される史料
頼朝(14才。父義朝)、伊豆蛭小島に流罪(清盛の継母池禅尼の嘆願)
結果−中央政界(貴族社会内部)の抗争を武士の実力のみで解決
武家の棟梁としての清盛の地位と権力が急速に高まる
平氏政権(最初の武士政権)の確立
解答

正解数(   )問/問題数(26)問=正解率(    )%

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