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NO.061 第四章 武家社会の形成 

凡例:[1    ](項目)「2    」(人名)『3   』(書籍名・作品名)

2] 承久の乱
後鳥羽院政
皇室領荘園の集積
@ [1   ]領(八条女院の荘園)→春華門院(父後鳥羽)、八条女院の養子に
A [2  ]領(宣陽門院の荘園)→六条宮(父後鳥羽)、宣陽門院の養子になる
軍事力の強化−*B[3    ](A[4    ]の他に新設した院の武士
経過
1196年 九条兼実、反幕派の源通親により失脚
[5   ](建久9)年 「6    」天皇(4才。父後鳥羽)、即位エピソード
*A「7    」上皇(19才)、院政開始史料
@広大な皇室領を上皇が結集→幕府と対決し朝廷の勢力を挽回の気運
AE『世俗浅深秘抄』、E『日中行事』、E『裁判至要抄』
1210年 土御門(17才)、譲位。A「8  」天皇(14才。父後鳥羽)、即位
[9   ](承久1) 1月 将軍A「10    」(28才)の暗殺→朝幕関係不安定
2月 「11    」(父時政)、C[12  ]将軍(後鳥羽上皇の皇子)を要請→上皇、拒否
3月 上皇、摂津の長江・倉橋両荘(寵姫の所領)の地頭の罷免を要求→義時、拒否
7月 *C[13  ]将軍(別名藤原将軍。頼朝の遠縁で摂関家出
身D[14    」(父九条道家))を迎える
[15   ](承久3) 4月 順徳(25才)、譲位。C「16    」天皇(4才。父順徳)、即位
5月 15日 「17    」上皇(42才)、「義時追討」の院宣史料
@院宣に呼応したグル−プ−畿内・西国の武士、大寺院の僧兵
A北条氏の勢力に反発する東国武士の一部
22日 E尼将軍A「18    」(65才)の演説史料
@上皇の予測に反し、東国武士団の大多数は北条氏のもとに結集
A幕府軍(*A「19   」(39才。父義時)、A「20    」(47才。父時政)、上洛
6月 15日 *A[21    ]の乱(幕府軍が京都で勝利した戦乱)おわるエピソード
16日 *A[22    ](京都守護に代って置かれた機関)設置史料
@元清盛邸に設置(北六波羅−北条泰時、南六波羅−北条時房)
A任務−朝廷監視、京都内外警備、西国御家人の統轄→二元支配の克服
B以後、この地位は北条氏内で世襲
7月 9日 「23  」天皇(父順徳)、廃位。後堀河(9才。祖父高倉)、即位
13日 「24    」上皇(42才。父高倉)、隠岐に流罪
21日 「25    」上皇(25才。父後鳥羽)、佐渡に流罪
8月 E承久の没収地(上皇側加担の貴族・武士の所領3000余か所没収)
@*A[26    ]地頭(乱後、新補率法に基づいて任命された地頭)
A*A[27    ]地頭(乱以前から補せられていた地頭とは区別される)
1223年 5月 「28    」上皇(29才。父後鳥羽)、自ら土佐に流罪
6月 [29    ](新補地頭の得分(収入)の法定率)の制定史料
@田畑11町につき1町のD[30    ](荘園領主への年貢が免除される田)か
らあがる収益
A田地1反につき5升の[31    ](領主に納める諸負担以外に地頭などが農
民から徴収する米)山や川からの収益の半分
C地頭在・不在のどちらでも、給与が非常に少ない場合、新たに定めた基準に
従って給与を保証
義時、守護に太田分(図田帳)を作成させる(土地に対する支配権の強化)
結果
畿内・西国の荘園・公領にも幕府の力が強く波及→幕府の全国支配はさらに強化
朝廷−以後も院政が継続
朝幕の二元的支配大きく変化→幕府の優位が確立
解答

正解数(   )問/問題数(31)問=正解率(    )%

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