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NO.105 第6章 幕藩体制の確立(1)

凡例:[1    ](項目)「2    」(人名)『3   』(書籍名・作品名)

4] 豊臣秀吉の天下統一
1536年 尾張の*A「1    」(父織田氏の足軽木下弥右衛門)、出生
1558年 E木下藤吉郎(22才)、織田信長(25才)に仕える。徳川家康(17才)
1574年 近江長浜城主となる→柴田と丹羽の名をもらいC「2    」と改名エピソード
1582年 5月 備中高松城(毛利方の拠点)を包囲→水攻め
6月 3日 [3    ]の変(信長暗殺)の報、秀吉側に届く
4日 秀吉、B「4    」(30才。祖父元就)と講和
13日 *B[5    ]の戦いエピソード(A「6    」(57才)を殺害)
27日 信長の跡目相続会議@秀吉(47才)−三法子(3才。信長の嫡男
 信忠の子)A柴田勝家(61才)−神戸信孝(21才。信長の三男)
秀吉検地の最初(山城・近江・能登)
[7   ](天正11)年 *C[8    ]の戦い史料
@A「9    」(62才。信長の重臣)を殺害
A北陸を平定(信長の地位継承)。お市(37才)自害
*A[10    ]城を石山本願寺跡に築造
@水陸交通の要地
A天守5層9階。下は3階まで石垣の中にある。50畳敷の肥後石等使用
1584年 3月 島津氏、B竜造寺氏を滅ぼす
4月 [11    ]の戦い(家康・信長の次男信雄との戦い)→講和
[12   ](天正13)年 [13    ]令(市場の開放令)公布
*A[14    ](秀吉子飼いの5人の大名)設置
@司法のB「15    」(42才)、土木のB「16    」(41才)
A行政のA「17    」(26才)、宗教のB「18    」(47才)
B財政のB「19    」
6月 E豊臣秀次(30才。秀吉甥)、四国平定(B「20    」(47才)
7月 *A[21    ]となる
根来・雑賀一揆平定
1586年 *A[22    ]大臣(律令の最高位)となる。豊臣の姓を受ける
関所を全廃
秀吉、徳川家康と和睦史料
[23   ](天正15)年 九州平定(C「24    」(55才)と弟義弘)史料
検地(中国・九州地方)
[25   ](天正16)年 佐渡・石見・生野直轄
@*C[26  ]大判等を鋳造
AE後藤祐乗、E天正通宝、E文禄通宝
*A[27    ](大内裏跡の邸宅)にC「28    」天皇を迎える
@諸大名に秀吉への忠誠を誓わせる史料
A秀吉政権の不安定のうらがえし
京都・大坂・堺・伏見・長崎を直轄
@富裕商人の統制→豪商を武器・兵粮の調達に利用
A博多の島井宗室・神谷宗湛、堺の千利休(67才)・小西隆佐(行長の父)
E海賊禁止令。*A[29    ]令(大仏造立を名目の武器没収の命令)
[30   ](天正19)年 [31    ]征伐エピソード(D「32    」(53才)を制圧)
検地(陸奥・奥羽地方)
東北地方のB「33    」(24才)・佐竹氏らを制圧→全国統一完了
家康を関東に所替え
1592年 D一里塚設定
1594年 B伏見城築城し移住(秀次−清洲、弟秀長−大和郡山、石田光成−佐和山)
検地、全国的規模(検地条目制定)
1595年 秀頼が出生→秀次(28才。秀吉の姉の子)、自殺
秀吉、大名統制の方針を発表史料
1597年 *A[34    ](五奉行の顧問役の有力大名)→重要政務の合議制史料
@三河のA「35    」(57才)、金沢のA「36    」(60才)
A四国のA「37    」(45才)、備前のB「38    」(25才)
B安芸のB「39    」(65才)、北陸のB「40    」(43才)
C隆景の死後五大老
1598年 醍醐の花見。秀吉(63才)、没→前田利家、大坂城で秀頼を養育
家康、伏見城で政務をみる
解答

正解数(   )問/問題数(40)問=正解率(    )%

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