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NO.122 第6章 幕藩体制の確立(2)

凡例:[1    ](項目)「2    」(人名)『3   』(書籍名・作品名)

2] 元禄時代
背景エピソード
*A「1    ](五代将軍)の時代−*A[2    ]時代の展開
武士や町人−A[3    ]文化(はなやかな都市文化)の開花
急速な経済発展−C[4    ](自然経済)をたてまえとする社会の変化
幕府財政の窮乏−A[5    ](越後)・伊豆金山などの金銀産出激減・鎖国
施策
1651年 「6    」(48才。三代将軍)、没。老中堀田正盛・安部重次殉死
「7    」(11才。父家光)、将軍。B保科正之45才、補佐
1652年 A山鹿素行(31才)、赤穂の浅野家に仕官(1000石)
[8   ](明暦3) *B[9    ](別名E振袖火事)史料 史料
@江戸城・全市の55%が炎上(江戸三大火事の1つ)
A再建により幕府財政窮迫
1666年 山鹿素行(45才)、『聖教要録』により罪を得て、赤穂に流罪
1672年 正之、没(62才)→下馬将軍酒井忠清、実権(賄賂政治)
1673年 [10    ]屋(三井高利が江戸に開いた呉服屋)
1675年 保科正之没と『中朝事実』により、赤穂流罪の山鹿素行(54才)赦免さる
1680年 家綱(40才)、没。A「11    」(35才。父家光。養父家綱)、将軍
1681年 「12    」(48才)、大老→E天和の治はじまる(〜1684年)
[13    ]寺(綱吉が母桂昌院の願いで享賢が開山)建立
譜代E「14    」、越後騒動により改易
[15   ](天和3)年 [16    ](天和令)
@寛永令−文武弓馬の道、専ら相嗜むべきこと(文武重視)
A天和令
 a.文武忠孝を励し、礼儀を正すべきこと(忠孝・礼儀重視)→
  木下順庵(藤原惺窩の弟子)登用
 b.殉死の禁止の明文化
 c.末期養子の禁緩和の明文化
松平忠輝(家康六男)、驕暴→改易・追放
1684年 若年寄稲葉正休、大老堀田正俊を暗殺→側用人*B「17    」登用
1685年 *A[18    ]の令
@犬公方の極端な動物愛護令。起草隆光
A4万8700匹収容。1日1匹(白米3合・味噌50匁・干鰯1合)
1687(貞享4)年 生類憐みの令史料 史料
1689年 *D[19    ](歌書の研究所)に*A「20    」を登用
編暦にあたる*C[21    ]にA「22    」(渋川春海)登用
1690年 *A23    建立
@神田湯島から上野忍ケ岡に移転の林家の家塾
AB大学頭にB「24    」(=鳳岡47才。祖父羅山。父鵞峰)を任命
1695年 勘定吟味役*B「25    」(38才)の献策→D[26   ]金銀鋳造史料
@慶長小判金分83%→元禄小判金分57%
A出目−幕府の収入(500万両)
B貨幣価値の下落→物価上昇→庶民の生活困窮
1696年 荻原重秀、勘定奉行となる
生類憐みの令史料
1697年 生類憐みの令史料
1700年 「27    」(73才。水戸黄門)、没
1701年 E浅野長矩(34才)、E高家の吉良義央(61才)に刃傷エピソード
[28   ](元禄15)年 *D[29    ]事件史料 史料
@E大石良雄(43才)ら赤穂浪士が吉良義央を殺害した事件
AA[30    ]・A[31    ]で脚色・上演
1709年 1月 10日 綱吉(64才)、没
20日 生類憐みの令廃止
結果−元禄文化の開花
豪商−寺院建立
「32    」(大坂出身)
@ 100間四方の居間の天井にビイドロをはって、水をいれ金魚を飼う
A 屋敷43、田地142町歩、有金8万5000両、大名貸金1億両
「33    」(紀伊熊野出身)
E奈良屋茂左衛門(遊女への土産に江戸の蕎麦をすべて買い占め、値を釣り上げる)
解答

正解数(   )問/問題数(33)問=正解率(    )%

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