NO.160
第8章 近代国家の成立(1)
凡例:
[1 ](項目)
、
「2 」(人名)
、
『3 』(書籍名・作品名)
4]
公武合体と尊王攘夷運動
1858年
井伊直弼、大老
同
安政の大獄
@吉田松蔭・橋本左内を処刑
A西郷隆盛・僧月照水死→西郷、奄美流罪
1860年
*A
[1 ]
策(朝廷と幕府の提携による政局安定策)推進
@*A
「2 」
(42才。磐城平藩主)、老中
A協力−E久世広周
同
A
「3 ]
天皇30才の妹*A
「4 」
15才とA
「5 」
(15才。14代将軍)との婚儀斡旋を関白九条尚忠に依頼
@天皇、攘夷実行を条件に勅許
AD和宮降嫁実現
1861年
E対馬占拠事件(ロシア、対馬に租借地要求)→拒否
同
E武市瑞山(半平太)、江戸で土佐勤王党(尊王攘夷派)結成
@坂本26才ら参加
A吉田東洋、これを弾圧(山内豊信の指示)
同
長州の長井雅楽、
『航海遠略策』
(公武合体に基づく開国論)を毛利敬親に提出
[6 ]
(文久2)年
1月
*B
[7 ]
の変
@犯人−E大橋訥庵ら水戸藩士ら
A老中のA
「8 」
を襲撃し、負傷させた事件
同
薩摩のA
「9 」
(46才。斉彬の弟。藩主忠義の父。公武合体派)
@公武合体成功のために西郷36才を召喚
A西郷、京都の尊攘派に久光の意思を伝達
同
久光、西郷の意図を誤解して再び沖永良部島に遠島(死刑に次ぐ重罪)
同
久光、入洛→E
[10 ]
事件
@薩摩の尊攘派E有馬新七らの殺害事件
A京都−#公武合体派へ
5月
朝廷、久光の建議をいれ勅使E大原重徳62才の江戸派遣を決定
6月
長州藩主*E
「11 」
(44才)、A
[12 ]
論(尊王論と
攘夷論を結合させた思想で、開港以後反幕論に発展)を藩論とする
同
D
[13 ]
の改革(久光の要求を入れた幕政の改革)
@人事
a.C
[14 ]
職(一橋慶喜26才が任命された将軍の補佐役)
b.C
[15 ]
職(松平慶永35才が任命された役職)
c.C
[16 ]
職
・会津藩主C
「17 」
28才を任命
・地位−京都所司代の上役
AA
[18 ]
制(在府1年在国1年交替の制)の緩和・洋式軍制
B洋式軍制
8月
A
[19 ]
(久光の行列を横切ったイギリス人殺傷事件)
10月
坂本27才、松平慶永(春嶽)の紹介で幕府軍艦奉行B
「20 」
40才と会う
@勝の意見「アジアの国々と連合して西洋に対抗する。尊攘・天誅の時代ではない」
A坂本、勝の門人となる
攘夷督促の勅書
11月
京都の尊攘派(長州のD
「21 」
23才と奇兵隊の創始者であるA
「22 」
24才ら)
@朝廷のA
「23 」
26才を通じて攘夷の決行を幕府に要求
A薩摩のA
[24 ]
策を抑圧する意図→京都、#尊攘派へ
12月
吉田東洋、暗殺される
@土佐のA
「25 」
(容堂)36才、激怒
A武市瑞山ら行方不明
正解数( )問/問題数(25)問=正解率( )%