NO.110
第6章 幕藩体制の確立(1)
凡例:
[1 ](項目)
、
「2 」(人名)
、
『3 』(書籍名・作品名)
[2]
幕藩体制の成立
1]
江戸幕府の成立
1542年
*A
「1 」
(父三河の小大名松平広忠)、出生
1549年
駿河守護A
「2 」
(31才)の人質となる(8才)
1560年
B
[3 ]
の戦い(義元、没)→自由の身となる(19才)
1562年
尾張のA
「4 」
(27才)と同盟(21才)
1564年
三河のA
[5 ]
(浄土真宗門徒の一揆)を平定(十八松平成立)
1566年
松平を徳川と改姓
1572年
E
[6 ]
の戦い(武田信玄(52才)に敗れた戦い)
1579年
徳川信康(家康長男)、謀反の疑いで自害
1582年
A
[7 ]
の変(信長が殺害された事件)→東海第一の大名となる
同
秀吉、光秀の家臣斉藤利三を処刑(お福4才)
1584年
C
[8 ]
の戦い(秀吉と講和した戦い)→浜松より駿府に移る
同
お福7才、四国の長宗我部元親をたよる
[9 ]
(天正18)年
A
[10 ]
(小田原城主)滅亡
同
秀吉の命令で関東に移る(250万石を領有する最大の大名)
@居城−太田道潅築城の*A
[11 ]
城(今の本丸)
A領国経営
a.家臣団の配置(小身−江戸城周辺、1万石以上−領国周辺)
b.町づくり−京都の茶屋四郎次郎らの移住(井の頭池より神田上水
c.検地−伊奈忠次、大久保長安ら実施
1595年
お福17才、稲葉正成(主人小早川秀秋)と結婚
1598年
A
[12 ]
(秀吉の諮問機関)の筆頭→朝鮮出兵せず勢力温存
同
秀吉(63才)、没。子の秀頼(6才)→伏見城にて実権掌握
1599年
*A
「13 」
(49才。五奉行の1人)、家康排斥を計画
@文治派−三成、小西行長、宇喜多秀家(27才)、毛利輝元(47才)
A武断派−加藤清正(38才)、福島正則(39才)←家康の援助
同
A蝦夷地ではD蛎崎氏が徳川氏に従い、C
「14 」
氏と改称
[15 ]
(慶長5)年
6月
会津の上杉景勝(謙信の養子。三成と同盟)征伐へ
7月
三成(毛利輝元、宇喜多秀家、島津義弘)、伏見攻略
9月
*A
[16 ]
の戦い(E天下分け目の戦い)
同
反対派大名を処分(改易91大名440 石)→全国の支配権を掌握
[17 ]
(慶長8)年
*A
[18 ]
(武士の最高位)となる(62才)
同
武田信吉(家康五男)、無嗣断絶
1604年
お福26才、竹千代(後の家光)の乳母
[19 ]
(慶長10)年
*A
「20 」
(20才。父家康(64才))、将軍
1607年
駿府へ隠居(66才)→C
[21 ]
(隠居した将軍)として幕政指導
同
松平忠吉(家康四男)、無嗣断絶
[22 ]
(慶長19)年
E
[23 ]
事件(秀吉建立の寺院の鐘銘が問題となった事件)
10月
*C
[24 ]
の陣
[25 ]
(元和1)年
4月
C
[26 ]
の陣
@豊臣氏滅亡(E元和偃武)
AA
「27 」
(23才。父秀吉)・E
「28 」
(49才)、没
同
C一国一城令制定
同
A武家諸法度制定
同
A禁中並公家諸法度制定
同
A寺院法度制定
1616年
家康(75才)、没。秀忠(38才)
1617年
家康、神号(東照大権現)をうけ、日光山に改葬される
1619年
外様D
「29 」
(59才)を広島から信濃に移封(無断城修築)
同
御三家(家康の十男紀伊・九男尾張・十一男水戸)の成立
1622年
宇都宮譜代E
「30 」
(58才。秀忠の執政)→出羽(釣り天井事件)
1623年
福井の親藩E
「31 」
(29才。秀忠の甥)→豊後(侍女殺害)
同
*A
「32 」
(18才。父秀忠)、3代将軍。秀忠(45才)
1632年
秀忠(55才)、没。家光(27才)
正解数( )問/問題数(32)問=正解率( )%