NO.179
第8章 近代国家の成立(1)
凡例:
[1 ](項目)
、
「2 」(人名)
、
『3 』(書籍名・作品名)
8]
初期の国際問題
1
不平等条約改正問題−日米修好通商条約13条
「安政諸条約は1872より改正交渉可能」
1863年
伊藤博文、英国留学
1871年
伊藤、米国調査より帰国
[1 ]
(明治4)年
右大臣*A
「2 」
大使ら48人を欧米に派遣
@目的−条約改正に関する予備交渉・欧米の制度文物の視察
A同行−参議木戸・大蔵卿大久保・工部大輔伊藤・外務少輔山口尚芳ら
B留学生−E
「3 ]
8才・E上田悌・E永井繁・E山川捨松ら
C伊藤(三度目)、岩倉・木戸・大久保(初体験)→木戸、伊藤に反感
D全権委任状をとるため、伊藤と大久保帰国→両者の接近
同
交渉不調→欧米視察に変更(日本の立ち後れを痛感)
1873年
英公使パ−クス、キリシタン弾圧を攻撃→三条・岩倉・木戸、困惑
同
フルベッキに師事した大隈重信「西洋にも迫害の歴史事実がある」と反撃→
衆目をして、大隈の存在を認める
[4 ]
(明治9)年
外務卿B
「5 」
44才、D
[6 ]
と税権回復に成功→英独の反対で挫折
2
清国との関係
[7 ]
(明治4)年
7月
*A
[8 ]
条規・通商章程
@E伊達宗城54才、李鴻章49才
A日本が外国と結んだ最初の対等条約(相互開港・相互領事裁判権など)
11月
C
[9 ]
殺害事件
@日清両属の琉球漁民が台湾の生蕃(原住民)に殺害される
A日本−清に責任を追求→清、拒否
[10 ]
(明治5)年
A
[11 ]
藩設置(国王D
「12 」
を琉球藩王)
[13 ]
(明治6)年
外務卿B
「14 」
46才、日清修好条規批准
[15 ]
(明治7)年
4月
*A
[16 ]
の役(最初の海外出兵)
@木戸は大久保の出兵命令に反対して、下野
A指揮官は西郷隆盛の弟D
「17 」
32才
B輸送は岩崎弥太郎41才のC
[18 ]
商会
C英公使ウエ−ドの調停(日本の出兵を義挙と認め償金50万両を支払う)
[19 ]
(明治12)年
*B
[20 ]
処分(琉球藩を廃し*A
[21 ]
県設置を強行、日清両属を清算)→
清国の抗議→米前大統領EU.S.Grant59才調停→不調
3
朝鮮進出
1871年
朝鮮の執政C
「22 」
52才、日本の交渉態度を不満として開国拒否
[23 ]
(明治6)年
8月
*A
[24 ]
論
(朝鮮の鎖国排外政策を武力で打
破し、国交を開こうとする主張。A
「25 ・ 」
らが提案)
9月
欧米使節A
「26 ・ 」
ら帰国→内治整備を主張し否決
10月
西郷47才・後藤36才・板垣37才・江藤40才・副島46才、参議を辞職
同
伊藤32才・寺島41才・勝海舟51才、参議となる
[27 ]
(明治8)年
*A
[28 ]
事件(日本軍艦E雲揚号が朝鮮沿海を測量中砲撃をうけた事件)
1876年
*A
[29 ]
条規(別名D江華条約。江華島事件後締結された条約)
@軍艦6隻派遣
A最初の不平等条約−日本全権薩摩のA
「30 」
37才
BE
[31 ・ ・ ]
の開港、領事裁判権、関税免除
C清国の宗主権否定
D朝鮮の開国→大陸進出の足場
・外務卿寺島宗則、米公使J.Binghamに「貴国のペリルが下田
に来るがごときの所置なり」と語る
4
国境画定
1873年
開拓使次官黒田清隆34才、北海道開拓で手いっぱいとして樺太放棄を建白
[32 ]
(明治8)年
*A
[33 ]
交換条約(日露両国画定条約)
@日本全権−幕臣のB
「34 」
40才。英パ−クス・米ロングの勧告
A露−A
[35 ]
領有。日本−A
[36 ]
全島領有
[37 ]
(明治9)年
*B
[38 ]
諸島領有を英米に通告→英米両国黙認
1899年
E北海道旧土人保護法(アイヌ人保護)→アイヌ人に対する差別の固定化
正解数( )問/問題数(38)問=正解率( )%