NO.140
第7章 幕藩体制の動揺
凡例:
[1 ](項目)
、
「2 」(人名)
、
『3 』(書籍名・作品名)
5]
寛政の改革
1
性格
イ
復古的理想主義(理想−8代将軍吉宗のA
[1 ]
の改革)
ロ
農村の復興と商業資本の抑圧
2
経過
1785年
*A
「2 」
のD
『3 』
(朝鮮・琉球・蝦夷地3国図示)
1786年
*A
「4 」
(14才。一橋家)、11代将軍
[5 ]
(天明7)年
*A
[6 ]
の打ちこわし(江戸・大坂などの暴動)
同
白河藩主*A
「7 」
(29才。吉宗の次男田安宗武の子)、老中
同
尊号一件
@E光格天皇、父E典仁親王に太上天皇の尊号を贈ろうとする
A松平定信、拒否
1787年
倹約令発布
1788年
定信、将軍補佐役
[8 ]
(寛政1)年
幕府の鉄座・真鍮座を廃止
同
*A
[9 ]
令(旗本・御家人救済のため札差の借金を破棄させた令)
@1784年までの債務の破棄
Aそれ以後の借金も低利返済
同
都市・農村対策
@*A
[10 ]
(住民が拠出した凶作用穀物倉)
A*A
[11 ]
(富裕者の義援で設けられた穀物蔵)
同
*A
[12 ]
@備荒貯蓄・米価調節の為の籾米の貯蔵。1万石につき50石の割合
A諸藩もみならう
[13 ]
(寛政2)年
*A
[14 ]
(長谷川平蔵が提案)
@江戸隅田川のB
[15 ]
に設置
A無宿人のための職業訓練所
同
*A
[16 ]
の禁
@儒学のうちA
[17 ]
学がC正学→それ以外はD
[18 ]
AA
[19 ]
学問所での異学の教授を禁止
同
林家の私塾聖堂学問所を官立の*A
[20 ]
(D昌平黌)と改称
@*E
[21 ]
三博士(昌平坂学問所の三人の教授)
AD
「22 」
D
「23 」
・E岡田寒泉(のちE古賀精里)
同
D
[24 ]
令(無職者に資金を援助して帰村奨励)
同
出版物統制令・文武奨励
(1789年
フランス革命)
1791年
洒落本・黄表紙の禁止→A
「25 」
の
『仕懸文庫』
に手鎖50日
同
男女混浴禁止・私娼禁止
同
*A
[26 ]
(町費節約、その7割を米・金でC町会所に積立)
同
仙台のA
「27 」
、A
『28 』
(露の南下による海防論展開)
1792年
林子平(別名六無斉。55才)、金錮刑。
『海国兵談』
出版禁止→翌年獄死
同
ロシア使節A
「29 」
(27才)、蝦夷地のA
[30 ]
に来航
同
定信、伊豆・相模巡検
同
定信、一橋治斉(家斉の父)を大御所にすることに反対→家斉と対立
1793年
定信(36才)、辞職
。自伝E
『31 』
(洋学についても、「心なき
者の手に渡り侍らぬようにすべきなり」と)
3
結果−一時的に幕政引締め成功。厳しい統制→庶民の不満
4
藩政の改革−財政難の打開
イ
A
[32 ]
制(生産販売を独占。18C〜19C50藩以上)−津和野の紙、姫路の木綿、
宇和島の紙・蝋、佐賀の陶磁器、薩摩の黒砂糖、米沢の織物、松江の鉄と人参
ロ
藩学設立・農村の復興・倹約実行
ハ
実情
@
田沼時代−松江の松平治郷−鉄・朝鮮人参。熊本D
「33 」
(銀台)−時習館
A
寛政時代
a
米沢のC
「34 」
(鷹山)−織物、興譲館
b
秋田のC
「35 」
−明徳館。補佐−疋田定常・大越範
正解数( )問/問題数(35)問=正解率( )%