NO.137
第7章 幕藩体制の動揺
凡例:
[1 ](項目)
、
「2 」(人名)
、
『3 』(書籍名・作品名)
2]
享保の改革
1
背景
イ
復古理想主義−理想(諸事権現様A
「1 ]
御定めの通り)
ロ
将軍独裁制の確立
@
A
[2 ]
(将軍の命令を老中に伝える者)政治を排除
A
御三卿設置(田安・清水・一橋の各家)
ハ
財政再建(改革の最大目的)−旗本・御家人に支給するD
[3 ]
不足
2
経過
1716年
4月
家継(8才)、没
5月
家継の側近A
「4 」
・D
「5 」
を罷免
8月
紀伊藩主*A
「6 」
(33才)、八代将軍
1717年
3月
武家諸法度を綱吉のE
[7 ]
令に戻す→以後歴代将軍踏襲
1719年
*A
[8 ]
令
@旗本・御家人と札差との間の金銭貸借関係を出訴受理せず→和談(示談)
A牢人山下幸内、目安箱にその不当性を投書
1720年
A
[9 ]
洋書(実用書)輸入の緩和→
B青木昆陽・D野呂元丈、オランダ語を学習(実学奨励)
同
目安箱の投書より瓦葺き屋根を奨励
1721年
A
[10 ]
法を改め、*A
[11 ]
法(平均収穫高が基準の法)
同
*A
[12 ]
箱(目安とは訴状のこと。評定所前に置いた投書箱)
@B
[13 ]
養生所(薬草園)
AD町火消
・E大名火消・E定火消(幕府の火消)・E除地
同
E質流れ禁令
@本百姓の田畑の質流れ禁止。土地売買の禁止
AE質地騒動(越後)→1723年廃止
同
商人仲間の結成を容認
1722年
勘定方の大増員(勘定奉行E神尾春央)
@公事方と勝手方に分離
A
[胡麻の油と百姓は絞れば絞るほどとれる]
同
*A
[14 ]
(1万石に付百石上納)→参勤交代在府半年に短縮
同
新田開発(C
[15 ]
(商人が資本参加した新田))
→E下総東金
新田、E武蔵野見沼新田、越後紫雲寺の干拓、下総佐倉の開墾
1723年
2月
E出羽長瀞騒動(質入れした土地の取戻しをめざした農民騒動)
6月
*A
[16 ]
の制
→町奉行にC
「17 ]
を登用(人材登用)
@旗本のつく役職の基準石高−大目付・町奉行・勘定奉行3000石
Aそれ以下の者が就任する場合、在職中だけ不足分を支給する制度
1724年
*A
[18 ]
令(生活緊縮令、士風の引締め)
1725年
物価引き下げ令
1727年
租率改正(四公六民→C
[19 ]
五民)→年貢の増徴
同
儒者A
「20 」
(古文辞学の創始者)・室鳩巣を登用
1729年
堂島米市場・*A
[21 ]
(同業組合)の結成を承認→物価統制
1731年
米価下落→米の買い上げ
1732年
B
[22 ]
の大飢饉
→米価3倍
1733年
A
[23 ]
打ちこわし(江戸)
同
田畑永代売買禁止令の緩和
1734年
豊作→米価下落→米の買い上げ
1740年
A
「24 」
にA
[25 ・ ]
・B
[26 ]
を栽培させる
1742年
寺社奉行C
「27 」
(66才)
@*A
『28 』
上下2巻(罪と罰を決める幕府の成文法)
Aその下巻E
『御定書百箇条』
・E
『寛保御触書集成』
1745年
吉宗(62才)、将軍をやめる
3
結果
イ
財政の安定
@
1735年黒字(E米将軍=E米公方)
A
1722〜1731年までの収支状況−1年平均米3万5000石・金12万7000石の黒字
ロ
社会の動揺(年貢増徴)
@
農村−A
[29 ]
一揆(享保年間177件)
A
都市の暴動−A
[30 ]
正解数( )問/問題数(30)問=正解率( )%